プロヒューモ事件

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プロヒューモ事件(プロフューモじけん、Profumo Affair)は、1962年、当時のイギリスハロルド・マクミラン政権の陸相であったジョン・プロヒューモが、ソ連側のスパイとも親交があった売春婦に国家機密を漏らしたと疑われた事件である。同政権の崩壊につながり、「20世紀最大の英政界スキャンダル」とされる。

事件の概要[編集]

売春[編集]

クリスティーン・キーラー(1988年撮影)

1961年7月にプロヒューモは、「クリーヴデン(ビル・アスター卿所有のバッキンガムシャーにある大邸宅)」で行われた「プール・パーティー」で、売春婦でヌードモデルクリスティーン・キーラーを知人に紹介され、その後プロヒューモはキーラーと金銭を介した肉体関係を持つことになる。

なおこのパーティーには、キーラーと肉体関係を持っていた駐英ソ連大使館海軍武官エフゲニー・イワノフ大佐も招かれており、キーラーはイワノフとの肉体関係を継続しながら、プロヒューモとも関係を持つに至った。なお当時キーラーは、イワノフ大佐の友人で著名な整骨療法医のステファン・ウォード博士と同棲していた。

間もなくイギリスの上流階級の間においてプロヒューモとキーラーの関係に関する噂が広がり始め、この噂を知った内閣官房長官のノーマン・ブルック卿は、「キーラーがイワノフ大佐とも関係している」というMI5長官のロジャー・ホリス卿のアドバイスをプロヒューモに話した。プロヒューモはこのアドバイスを受けて1961年8月9日にキーラーに「もはや会うことができない」と手紙で伝え、2人の関係は数週間で終わることとなった。

真相発覚[編集]

その後、1962年12月に発生した、キーラーと性的関係のある2人の男性の銃撃事件を調査したマスコミが、「キーラーはプロヒューモ陸相と、イギリス駐在ソ連大使館付海軍武官のイワノフ大佐とも親密な関係がある」という情報を入手。しかし、「政治家プライバシーを尊重する」というイギリスの伝統のため、当初事件は大きく扱われなかった。

しかし1963年3月21日に、イギリス下院労働党議員ジョージ・ウィッグが「ある傷害事件の証人として出廷を命じられたキーラーと、マクミラン政権の閣僚の1人が関係があり、国家の安全のために事件を追究すべし」とし、噂の真相究明を要求した。疑いをもたれたプロヒューモは、「その女性は知っているが、不品行な関係はない」と下院で身の潔白を主張した。

その後、キーラーがイワノフ大佐とも関係があったことがマスコミにより明らかになり、国家の軍事機密漏洩事件にまで発展。イギリスのマスコミもこぞってこの事件の詳細を報道、国内の大きな関心事となった上、アメリカフランスなどのイギリスの同盟国でも大きく報じられた。

辞任[編集]

このためプロヒューモは、ハロルド・マクミラン首相宛の手紙の中で、「議会での発言に嘘が含まれていた」と主張し、キーラーとの「親密な関係」については認めたが、「軍事機密の情報漏洩についてはなかった」と告白、謝罪して6月5日に辞任した。プロヒューモは「保守党の輝かしい星」ともいわれた政治生命を、恥辱のうちに自ら葬り去ることを余儀なくされた。

告白前、プロヒューモは女優であった妻のヴァレリー・ホブソンに事件の事実を話したが、妻はスキャンダルの渦中でも夫の言い分を支持していた。なお、プロヒューモがキーラーに対して職務上の機密を漏らしていたことや、キーラーがイワノフ大佐に対してプロヒューモから入手した機密情報を流していたという事実があったかは確認されていない。

その後[編集]

この「世紀のスキャンダル」にイギリス議会は混乱し、マクミランの責任問題にまで発展。マクミランは、3月17日の下院における内閣不信任案は切り抜けたものの、11月には健康上の理由で辞意を表明、1964年の総選挙では同党は労働党に敗北した。

銃撃事件における裁判においてキーラーは偽証罪で懲役9カ月の判決を受け、1963年12月に投獄され、その後も好奇の目にさらされて生きることを余儀なくされた。また、その後プロヒューモは慈善事業に専念し、1975年に叙勲されるなど名誉を回復し2006年に死去した。なおウォード博士は、マスコミの好奇の目にさらされたことなどを苦にして1963年8月に自殺し、その後売春あっせん罪で有罪判決を受けた。

評価[編集]

「イワノフ大佐とウォード博士は、キーラーに対して、アメリカの核ミサイルがいつ西ドイツに配備されるかプロヒューモに質問するように依頼した」と言われているが、その後の調査の結果、プロヒューモがキーラーに対して軍事機密を含めた国家機密を話したか、また、キーラーがイワノフ大佐にそれらの話を流したかは証明されることはなかった。

しかしこの事件の結果、プロヒューモのみならずマクミランも辞任を余儀なくされたうえに、保守党が総選挙で敗北するなどイギリス政界が混乱に陥ったことから、「イギリス政界を混乱させるためにソ連情報部(イワノフ大佐)の仕掛けたハニートラップによる作戦の成功」という評価をされることもある。

映画化[編集]

1989年に「スキャンダル」 (Scandal)の題名で映画化されている。

関連項目[編集]