プリエヴィドザ
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| Prievidza | |||
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| 座標 : 北緯48度46分26秒 東経18度37分27秒 / 北緯48.77389度 東経18.62417度 | |||
| 行政 | |||
| 国 | |||
| 州 | トレンチーン州 | ||
| Prievidza | |||
| 市長 | Ján Bodnár | ||
| 地理 | |||
| 面積 | |||
| 域 | 40.52km2 | ||
| 標高 | 280m | ||
| 人口 | |||
| 人口 | (2009年現在) | ||
| 域 | 50,484人 | ||
| 人口密度 | 1245.9人/km2 | ||
| その他 | |||
| 等時帯 | CET (UTC+1) | ||
| 夏時間 | CEST (UTC+2) | ||
| 公式ウェブサイト : www.prievidza.sk | |||
プリエドヴィザ (スロバキア語:Prievidza、マジャル語:Privigye、ドイツ語:Priewitz)は、スロバキア、トレンチーン州の都市。
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地理 [編集]
スロバキア中央部、州の東部に位置する。ニトラ盆地の中間にあり、東はヴタツニク山地、ジアル山地、西はマラー・マグラ山と境を接する。ニトラ川が市西部を、ニトラ川の支流のハンドロヴカ川が流れる。
歴史 [編集]
1113年、ゾボル修道院の記録にPreugianという地名が記された。1383年、ハンガリー女王マーリアによって王立自由都市とされた。16世紀以降、町で職人による細工が発展した。1599年、二トラ川流域をオスマン帝国軍が襲い、町は火に包まれた。1673年に反ハプスブルク家反乱クルク(en)が起き、再び町は放火され、町の公文書の一部が焼けた。19世紀後半から20世紀前半にかけ、鉄道の到来で町に産業がもたらされた。第二次世界大戦中はレジスタンス運動が活発だった。戦後には産業の発達で人口が倍増し、戦前の約5000人から5万人となった。プリエドヴィザ住民の多くは、町の炭鉱や、隣のノヴァーキにある発電所や化学工場で働く労働者である。
統計 [編集]
2001年の調査で、人口の96.65%がスロバキア人、0.95%がチェック人、0.48%がマジャル人であった。カトリック教徒は61.91%、無宗教が29.01%、ルーテル教会が2.29%である。