プラハ音楽院

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プラハ音楽院 (Pražská konzervatoř) は、プラハにある音楽演劇の指導を目的とするチェコの高等教育機関である。

概要[編集]

プラハ旧市街にある音楽院の建物

プラハ音楽院は、アコーディオンギターピアノオルガンを含む器楽演奏や、声楽作曲指揮演劇の教育を提供している。修業年限は6年間。カリキュラムには、一般教育とともに、専門的な音楽理論、語学教育も含まれる。オーケストラ室内管弦楽団劇団、複数の室内楽アンサンブルを付設しており、年間に約250回の演奏会と約40回の演劇を開催している。

2005年/2006年の学期には、およそ550人のチェコ人と40人の留学生がこの音楽院に在籍していた。

歴史[編集]

プラハ音楽院は、1808年、地元貴族や市民階級によって創設された。ナポレオン戦争の影響で開学は遅れ、授業が開始されたのは1811年になってからだった。初代学長に指名されたのは ベドルジフ・ディヴィシュ・ヴェベル (Bedřich Diviš Weber) だった。

1891年ドヴォルザーク が作曲科の学科長に就任、1901年から1904年までは学長をつとめた[1]。ドヴォルザークの指導を受けた学生には、 ヴィーチェスラフ・ノヴァークヨセフ・スク(のちに学長となる)、ルドルフ・フリムル (Rudolf Friml)、オスカル・ネドバルフランツ・レハールらがいる。また、この音楽院で教壇に立った指導者のなかには、のちに学長にもなったピアニストヴィレーム・クルツ (Vilem Kurz) らがいる。

この音楽院で学んだ音楽家の中には、オタカル・シェフチーク (Otakar Ševčík)、ヤン・クベリークヴァーツラフ・ターリヒカレル・アンチェルラファエル・クーベリックヴィーチェスラフ・ノヴァークエウゲン・スホニュボフスラフ・マルティヌー(中退)、ヤロスラフ・イェジェクヴァーツラフ・ノイマンイルジー・ビエロフラーヴェクフランツ・シマンドル (Franz Simandl)、ヴァーツラフ・スメターチェクらがいる。

1918年チェコスロバキア独立後、演劇学科とバレエ学科が設立された。そこで学んだ者の中には、リダ・バアロヴァーLída Baarová、中退)、イジー・ラングマイェルタチアナ・ヴィルヘルモヴァーTatiana Vilhelmová、中退)、フィリプ・ブラジェクズザナ・ヴェイヴォドヴァ(Zuzana Vejvodova) らがいる。

脚注[編集]

  1. ^ ドヴォルザーク自身はプラハ音楽院ではなく、1859年、プラハ・オルガン学校を卒業した。このオルガン学校がプラハ音楽院に吸収されるのは1890年である。内藤久子『ドヴォルザーク』、音楽之友社<作曲家 人と作品>、2004年、36-39頁、を参照。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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