ブルーノ・メグレ

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2005年5月にパリ市内で行われた集会で演説するブルーノ・メグレ

ブルーノ・メグレBruno Mégret, 1949年4月4日 -)は、フランス政治家。反EU移民反対などを唱える極右政党共和国運動党首。妻はヴィトロル市前市長のカトリーヌ・メグレ。

経歴[編集]

1949年4月4日パリ市で生まれる。理工科学校・卒業。国土整備関係のエンジニアを経て、シャルル・パスクワの推薦で対外関係省に入り、1981年の国民議会議員選挙に保守第一党の共和国連合公認でイヴリーヌ県から立候補したものの落選した。

1985年に国民戦線に入党した。1986年3月の国民議会議員選挙に国民戦線から出馬して当選し、1988年6月まで務める。

1989年の欧州議会議員選挙に国民戦線から出馬して当選し、1999年まで務める。1992年3月に初当選してから2002年3月までプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏議会議員を務める。2001年3月からマルセイユ市議会議員を務めている。

国民戦線内の経歴[編集]

共和国運動を結成[編集]

メグレは1998年に国民戦線の乗っ取りを試みたが、ル・ペン党首との権力闘争に敗れて同年の12月13日に除名された。

メグレは自らを支持する国民戦線の党員・幹部を引き連れて、1999年1月23日-25日に党大会を開催し、国民戦線-国民運動を結党し、メグレが党首に就任した。しかし、5月11日にパリ大審裁判所はメグレ派が 国民戦線という党名とマークを使用することを禁止した。

1999年欧州議会議員選挙(6月13日、投票)にメグレ派は候補者を擁立したが、フランス全土で57万8774票(3.28%)を得るにとどまり、議席は一つも獲得できず、敗退に終わった。1999年10月2日に党大会を開き、党名を共和国運動に変更した。

2002年フランス大統領選挙にメグレが出馬したものの、66万7026票(2.34%)を得ただけで惨敗した。2002年国民議会議員選挙(6月9日、16日、投票)では577の小選挙区のうち571選挙区に党公認候補を擁立したが、フランス全土で27万6376票(1.1%)を得ただけで当選者はゼロだった。

2006年12月20日にメグレはル・ペン党首と会談して、2007年フランス大統領選挙で共和国運動がル・ペン候補を支持することで合意した。

2007年国民議会議員選挙(6月10日、17日、投票)では「反移民・反イスラム化・反治安悪化」[1]スローガンにして379名の党公認候補を擁立したが、当選者はゼロだった。

参考文献[編集]

  • 『パリの移民・外国人 欧州統合時代の共生社会』  本間圭一(著) 高文研
  • 『フランス極右の新展開―ナショナル・ポピュリズムと新右翼』  畑山敏夫(著) 国際書院
  • 『現代フランスの新しい右翼―ルペンの見果てぬ夢』  畑山敏夫(著) 法律文化社
  • 『沸騰するフランス 暴動・極右・学生デモ・ジダンの頭突き』  及川健二(著) 花伝社

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  1. ^ Contre l'immigration-islamisation-insécurité

外部リンク[編集]