ブルース・ブラザーズ (バンド)

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ブルース・ブラザーズ
(The Blues Brothers)
基本情報
出身地 ニューヨークアメリカ
ジャンル ブルース, ブルー・アイド・ソウル
活動期間 1978–1982, 1988–現在
レーベル アトランティック・レコード, House of Blues
メンバー
エルウッド・ブルース
ジー・ブルース
ブルース・ブラザーズ・バンド:
スティーブ・クロッパー
ルー・マリーニ
Jonny Rosch
エディ・フロイド
旧メンバー
ジェイク・ブルース
ドナルド・ダック・ダン
スティーブ・ジョーダン
ウィリー・ホール
トム・マローン
マット・マーフィ
ポール・シェーファー
マーフィー・ダン
トム・スコット
マイティ・マック・マクティ
ラリー・サーストン
Tommy McDonnell
アラン・ルービン

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ブルース・ブラザーズ (The Blues Brothers、または The Blues Brothers' Show Band and Revue) は二人のコメディアン、ダン・エイクロイドジョン・ベルーシが「サタデー・ナイト・ライブ」(SNL)の一コーナーで演じたブルースソウル・ミュージックリバイバルバンド。ベルーシとエイクロイドは、それぞれリードボーカルのジョリエット・ジェイク・ブルース(Joliet Jake Blues)とハーモニカ/バッキングボーカルのエルウッド・ブルース(Elwood Blues)としてバンドのフロントマンを務めた。1976年 1月 17日のサタデー・ナイト・ライブに初出演し[1]、1978年 4月22日にゲストミュージシャンとして出演した[2]。三度目にして最後の出演となったのは 1978年 11月 18日である[3]

ブルース・ブラザーズはテレビ番組の枠を越えて活動を拡げ、1978年にアルバム 「ブルースは絆英語版」 を発表し、更に 1980年には映画「ブルース・ブラザーズ」を公開した。

1982年のベルーシの死後、残ったメンバーはゲストシンガーを迎えてブルースブラザーズの活動を続けた。1988年にはワールドツアーのために、更に 1998年に映画の続編「ブルース・ブラザース2000」のためにバンドを再編。世界中の音楽の祭典やフェスティバルでは常連の出演者であった。

2011年 8月 31日、ダン・エイクロイドとJudith Belushi Pisano英語版(ジョン・ベルーシの元妻)が新たにブルースブラザーズのテレビシリーズをプライムタイムネットワークに公開することがアナウンスされた[4][5]

メンバー[編集]

オリジナルメンバー[編集]

ブルース「兄弟」以外のメンバーは本名で活動している.

その他のメンバー[編集]

そのときどきで以下のアーティストが部分的に演奏に参加した。

歴史[編集]

由来[編集]

ブルース・ブラザーズの創成は 1976年 1月 17日の「サタデー・ナイト・ライブ」(SNL)のスケッチに見ることができる[1]。この日の「キラー・ビー」のスケッチ(ベルーシとエイクロイドはハチの衣装を身につけていた)において「ハワード・ショアと All-Bee バンド」はスリム・ハーポキング・ビーを演奏し、ベルーシ(ボーカル)とエイクロイド(ハーモニカ)も参加した。

このスケッチは SNL の録画テープを見た出演者や週ごとの司会者の間で評判となり、エイクロイドとベルーシが場所を借りて始めたバー Aykroyd's Holland Tunnel Blues bar に通うようになった。エイクロイドとベルーシはこの店のジュークボックスをサム&デイヴThe Viletones英語版のような沢山のアーティストの曲で一杯にし、また店にはアンプや楽器を揃えておき、誰でもそこでジャムセッションを演奏できるようにした。ここでエイクロイドは映画「ブルース・ブラザーズ」の元となったストーリーを執筆した(その分量から「分厚い本」として知られている)。

このバー(Aykroyd's Holland Tunnel Blues bar)でエイクロイドはベルーシにブルースを紹介した。単なる興味の対象だったブルースに強く魅き着けられるようになり、二人は地元のブルースバンドと共にブルースを歌うようになった。SNL のバンドリーダーであるハワード・ショアは冗談で「ブルース・ブラザーズ」を名乗るように勧めた。1988年 4月、シカゴ・サンタイムズのインタビュー記事で,ブルースブラザーズのスタイルはサム&デイブなどから拝借したとエイクロイドは語った:「デュオのスタイルやダンスについては言うまでもないが、ソフト帽はジョン・リー・フッカーに倣ったんだ。スーツについては、まじめな話、1940年代~60年代のジャズプレイヤーだったらスーツを着なくちゃならんという考え方による。」

バンドはまた部分的に、カナダにおける最初期のプロのブルースバンドであるDownchild Blues Band英語版(エイクロイドは時に彼らと演奏していた)をモデルとした[6]。エイクロイドは 70年代初期にオタワカールトン大学在学中にこのバンドと出会った。また彼は同じ時期にオタワのカフェLe Hibou Coffee House英語版に出入りし、時には演奏に参加してブルースへの興味を深めていった。エイクロイドはこの時期について次のように語っている:

僕は首都であるこのオタワで育った。両親は公務員で、僕は小学校から高校、大学までこの街の学校に通ったんだ。サセックス・ドライブ英語版(首相公邸のある区域。Parliamet Hill英語版を参照)の近くで、Le Hibou(フランス語で「フクロウ」の意味) という名前の小さなクラブも近くにあった。Harvey Glatt英語版が出資していて、みんなを,あなたや僕が 50年代の終わりにオタワでどうしても見たかったブルースのスターたちみんなという意味だけど、連れてきて演奏させていた。思うに、 60年代終盤の Newport におけるジャズの再発見とつながるんじゃないかな。僕は Le Hibou に通ってジェイムズ・コットンオーティス・スパン英語版パイントップ・パーキンス英語版マディ・ウォーターズを聞いたんだ。本当のところ、マディ・ウォーターズの後ろで演ったこともある。S.P.Leary がある晩ドラムセットを置いていって、マディが「誰かドラムを叩くやつはいないか?ドラマーがいないんだ」と言ったんだ。僕がステージに登って演奏が始まったんだけど、僕は「Little Red Rooster英語版」か何かを知らなかった。彼は「そのビートのまま続けろ,マディは気分よくやれてるよ」と言ったよ。それからハウリン・ウルフ(チェスター・バーネット)も聞いたよ。何度も何度も彼のステージを見た。もちろんバディ・ガイ、バディ・ガイとジュニア・ウェルズソニー・テリー英語版ブラウニー・マギー英語版もそう。だから学術的なコミュニティが形成されていて知的な人が多いオタワという土地で僕は彼らと彼らのプレイすべてにさらされたことになる。他の土地で暮らしていたらこんなことにはならなかったと思う、というのは、教養のある公務員、この地域の大学、オタワ大学やカールトン大学の関係者などが集まってできたものだし、彼らはブルースの文化に興味を持っていたんだ。

[7]

トロントに本拠をおく Downchild Blues Band は、 1969年に Donnie とRichard "Hock" Walsh英語版 の兄弟によって始められたが、ブルース・ブラザーズの二人のキャラクターの着想のきっかけとなった。エイクロイドははじめのうちハーモニカ奏者でギタリストの Donnie Walsh をモデルにエルウッド・ブルースのキャラクターをつくりあげ、ベルーシのジェイク・ブルースのキャラクターはリードシンガーの Hock Walsh をモデルとした。ブルース・ブラザーズとしての最初のアルバム「Briefcase Full of Blues」(1978)で、エイクロイドとベルーシは Downchild のヒット曲三曲(Donnie Walsh の書いた「I've Got Everything I Need (Almost)」、Donnie と Hock の共作「Shotgun Blues」、オリジナルはビッグ・ジョー・ターナーが書いた名曲「Flip, Flop and Fly」)を Hock Walsh の歌唱スタイルで歌っている[8]。これらの三曲はすべて Downchild のセカンド・アルバム「Straight Up」(1973)に収められているが、「Flip, Flop and Fly」(1974)は Downchild 最大のヒットシングルであった。

ベルーシに芽吹いたブルースへの興味は 1977年 10月、オレゴンのユージーンで「アニマル・ハウス」の撮影中に結実した。彼は現地のホテルに 25歳のブルース歌手/ハーモニカ奏者カーティス・サルガド英語版の演奏を聞きにいった。ショーの後、ベルーシとサルガドは何時間もブルースについて語り合い、ベルーシはサルガドの熱狂が伝染してしまったことに気づいた。そのときにユージーンの現地紙「Eugene Register-Guard英語版」のインタビューに答えて曰く

ロックンロールは聞き飽きた、退屈なだけだ...それにディスコ・ミュージックは嫌いだ。何か別の音楽が必要だった。それまであまりブルースを聞いたことはなかったが、いいと思った。

サルガドは彼の持っていたいくつかのアルバム、フロイド・ディクソン英語版チャールズ・ブラウンジョニー"ギター"ワトソンなどをベルーシに貸したところ、ベルーシはそれらから離れられなくなってしまった[9]

ベルーシはサルガドとステージに上がり、フロイド・ディクソンの「Hey, Bartender」を歌ったり「I Don't Know」の歌詞をサルガドのおかしな替え歌で歌ったりするようになった:

I said Woman, you going to walk a mile for a Camel
Or are you going to make like Mr. Chesterfield and satisfy?
She said that all depends on what you're packing
Regular or king-size
Then she pulled out my Jim Beam, and to her surprise
It was every bit as hard as my Canadian Club

これらの歌詞は SNL での初演奏でも使われた。1978年 4月 22日のエピソードの一つ(司会はスティーブ・マーチン)であり、オープニングでドン・カーシュナー英語版(ポール・シェーファーが演じた)は、チェッカー・レコードの Marshall Checker が新進のブルースバンド(ブルース・ブラザーズ)のために口利きを頼み、また「Neshui Wexler」と「Jerry Ertegun」(レコード業界の重鎮ジェリー・ウェクスラー英語版Nesuhi Ertegun英語版のもじり)の支援を受け、このバンドはもはや正統派のブルースバンドの域にとどまらず、商業的にも有望なものになりつつある、と経緯を語った。そしてブルース・ブラザーズは「Hey Bartender」を歌った。シェーファーがこのスケッチの登場人物を演じていたので、キーボード演奏は Cheryl Hardwick が担当した。

バンド結成[編集]

ピアニストでありアレンジャーであるポール・シェーファーの助けを受け、ベルーシとエイクロイドは彼らのバンドをつくるためにスタジオミュージシャンのリストを集めはじめた。その中には SNL バンドのメンバーも含まれており、サックス奏者 "ブルー"・ルー・マリーニ、以前ブラッド・スウェット・アンド・ティアーズで演奏していたトランペット/サックス奏者トム・マローンがいた。シェーファーの提案で、ブッカー・T&ザ・MG'sの強力なコンボ、ギタリストスティーブ・クロッパーとベーシストドナルド・ダック・ダンが加入した。結果として 60年代にメンフィスのスタックス・レコードから出たほとんどのヒット曲のサウンドを取り入れることになった[10]

ベルーシはパワフルなトランぺッターと強烈なギタリストを望み、ジュリアード学院で学んだトランぺッターであるアラン・ルービンが連れてこられた。またブルースで多くの伝説的なプレイを残していたマット・マーフィが同じく参加した。

ブラザーズの見た目について、ベルーシはジョン・リー・フッカーのトレードマークであるレイバンのサングラスとソウル・パッチ(顎の上に小さく残した髭)を拝借した。

音楽性[編集]

ブルース・ブラザーズの音楽は R&B、ブルース、ソウル・ミュージックがベースにあるが、スタンダードなブルースやロックのスタイルを取ってロックやジャズの要素も取り入れていった。バンドは三つのセクションとして描写できる:四人のホーンセクション、五人のリズム隊から来る伝統的なロックのセクション、そして兄弟二人からなるボーカルである。二つの伝統的なサウンドが融合して彼らの音楽を形作った:クリーンで正確でジャズの影響を受けたニューヨーク的なホーンセクションのサウンドと、シカゴやメンフィスのこすれるようなソウル、ブルース的なリズムセクションのサウンドである。この融合が成功したのは、シェーファーのアレンジ、プレイヤーの才能双方のおかげである。技術的な面からいうと、ベルーシの声はそう良いものではなかったが、ブルースの力の源と言われる、感情と情熱のこもった歌いっぷりがその埋め合わせとなった。

映画「ブルース・ブラザーズ」の DVD 版[11]に同梱された 1998年のドキュメンタリー「Stories Behind the Making of The Blues Brothers」でクロッパーは語り、友人たちの中にはクロッパー他ブルース・ブラザーズでバックバンドに参加したミュージシャンはハリウッドへの売り込みもしくは手っ取り早く金を手にする方を選んだと思っていたことを明らかにした。クロッパーはこれに対して、彼がバックを務めたシンガーたちに比べてベルーシは同等かそれ以上であると主張した。彼はまた、ベルーシは一時期プロのドラマーで特に鋭いリズム感を持っていたことに触れた。

アルバム、初期の演奏、キャラクターの背景[編集]

1978年、スティーブ・マーチンがギブソン・アンフィシアターでの公演の前座を彼らに依頼してから後、ブルース・ブラザーズは最初のアルバム「Briefcase Full of Blues」(邦題:「ブルースは絆」)を録音した。この年にベルーシの「アニマル・ハウス」が大当たりしており、アルバムもBillboard 200の一位[12]ダブル・プラチナを達成した。アルバムではサム&デイブの「ソウル・マン」、The Chips英語版の「Rubber Biscuit」をフィーチャしており、特に「Rubber Biscuit」ではエイクロイドが talk-singing を際立たせて歌っている。

アルバムのライナーノーツにはジェイクとエルウッドの人生について書かれ(ただしフィクションである)、彼らのイメージづくりに寄与している。彼らはイリノイ州ロックアイランドのカトリック系の孤児院で育ち、カーチスという用務員にブルースを教わった。義兄弟の契りを交わすときにはエルモア・ジェームスのものと言われているギターの弦で互いの中指に傷をつけたという[13]

1978年の大晦日にはWinterland英語版でのグレイトフル・デッドの最終公演でNew Riders of the Purple Sage英語版と一緒に前座を務めた。

映画と同時にブルース・ブラザーズの初めてのスタジオ録音アルバムであるサウンドトラックがリリースされた。「Gimme Some Lovin'英語版」は Top40 に達し、バンドは映画のプロモーションとしてツアーを行った。このツアーにおいて、1980年のギブソン・アンフィシアターの様子を録音したものは彼らの三枚目のアルバム(そして二枚目のライブ・アルバム)「Made in America英語版」となった。「Who's Making Love」は 39位にまで上り詰めた。このアルバムはベルーシのジェイク・ブルースが聴ける録音のうち最後のものになる。

ベルーシの妻 Judith Jacklin と彼の友人Tino Insana英語版 はブルース・ブラザーズの宇宙と映画のバック・ストーリーについての書籍「Blues Brothers: Private英語版」を書いた。

1981年、「ブルース・ブラザーズ英語版」が発表された。それまで未発表であったバージョンの「The Soul Survivors英語版」、「Expressway to Your Heart」、同じく未発表の「Everybody Needs Somebody to Love」と「Rubber Buiscuitt」の別録音が収められ、初期のコンピレーション・アルバムとして長い間販売された。1998年のイギリスのコンピレーション・アルバム「The Complete Blues Brothers」では、それまで「Soul Man」の B面でしか聴けなかったLamont Cranston英語版 の「Excuse Moi Mon Cheri」をフィーチャーした。

1982年 3月 5日にジョン・ベルーシはヘロインコカインの過剰摂取によりハリウッドで死亡した。

ベルーシの死後、ブルース・ブラザーズ・バンドは彼抜きで SNL の番組内やチャリティ、行政的な場で演奏を行った。エイクロイドは"ジー"・ブルース(ジェームズ・ベルーシ)、"マイティ・マック"(ジョン・グッドマン)とも一緒にステージに立っている。また、著作権者たちの許諾のもとブルース・ブラザーズのモノマネが演じられている(オーランドハリウッドユニバーサル・スタジオで見られる)。

1997年にジェイクとエルウッドを用いたコメディアニメが企画されたが、8回分のストーリーがつくられた後お蔵入りとなった[14]

エイクロイド、ジェームズ・ベルーシ、ジョン・グッドマンは「ブルース・ブラザース2000」(1998年)のブロモーションで、ZZトップジェームズ・ブラウンと共に第31回スーパーボウルのハーフタイムで演奏した。その直前には、ブルース・ブラザーズが監視を逃れてルイジアナ・スーパードームに向かっているというニセのニュースがレポートされた。

エイクロイドはブルースの支持者として精力的に活動を続け、この、いわば副業で得た収入をHouse of Blues英語版(米国内でフランチャイズ展開しているナイトクラブ)の創設と所有権の保持(一部)に費やしている。

ジョン・ベルーシの弟であるジェームズ・ベルーシは "Zee"・ブルースとしてしばらくの間ブルース・ブラザーズ・バンドとツアーを行い、アルバム「Blues Brothers and Friends: Live from House of Blues英語版」を録音した。しかし彼は「ブルース・ブラザース2000」には出演していない。それは彼へのオファーがマイティ・マック(ジョン・グッドマンが演じた)の役ではなく、保安官 "キャブ"・チャンバレンの役だったからとの噂もある(結果としてこの役はジョー・モートンが演じた)。ジェームズ・ベルーシは後にエイクロイドと「Belushi/Aykroyd - Have Love Will Travel」という名前のアルバムを制作したが、ブルース・ブラザーズとしてではない。

2004年、シカゴで「ブルース・ブラザーズ リバイバル」というミュージカルが上演された。ストーリーはエルウッドが辺獄/煉獄からジェイクを救い出す、というものであった。このミュージカルはジョン・ベルーシ estate (ベルーシの未亡人である Judith Belushi-Pisano も参加している)とエイクロイドの賛意と許諾を得てつくられた。

近年の活動[編集]

House of Blues や北米のいろいろなカジノでは定期的にエルウッドとジーによるブルース・ブラザーズが演じられている。普段はジェームズ・ベルーシの Sacred Hearts バンドがバックバンドを務めている。ブルース・ブラザーズ・バンドの他のメンバーは定期的に世界ツアーを行っている。バンドに残っているオリジナルメンバーはスティーブ・クロッパーとルー・マリーニだけとなり、ボーカルは "The Rock & Roll Doctor" Jonny Rosch、ときに Eddie Floyd英語版 が参加する。

エイクロイドは現在、エルウッド・ブルースのキャラクターでDial Global英語版ラジオ・ネットワークの番組「House of Blues Radio Hour」のホストを務めている。

映画[編集]

「ブルースブラザーズ」[編集]

1980年にジョン・ランディスを監督として映画「ブルース・ブラザーズ」が製作された。仮釈放で刑務所から出てきたジェイクとエルウッドが神の啓示を受け、彼らが育った孤児院の財政問題を解決するために昔のバンドメンバーを集めてライブを開く、という筋立てで、カーチェイスと、アレサ・フランクリン他著名アーティストが見せるミュージックパフォーマンスが特徴的である。映画館での興行売り上げは米国内で 10位の 5700万ドルに達した[15]。SNL のスケッチが基となった映画では第二位の売り上げ(一位は 1992年の「ウェインズ・ワールド」)で、ミュージカル映画では 12位である[15]

「ブルース・ブラザース2000」[編集]

再びジョン・ランディスを監督として、1998年に「ブルース・ブラザーズ」の続編「ブルース・ブラザース2000」が製作された。前作より 18年後、刑務所を出所したエルウッドが既にジェイクが死んでいることを知り、元のバンドメンバーに新たな仲間を加えてバンドを再結成するというストーリーである。前作同様多数のブルースミュージシャン、ロックミュージシャンが出演している。本作では1シーンでポール・シェーファーも演奏に参加しており、ブルース・ブラザーズ・バンドのオリジナルメンバーが映画媒体で初めてパフォーマンスを見せた。

ビデオゲーム[編集]

Titus英語版は多くのプラットフォーム向けにブルース・ブラザーズのキャラクターを使ったビデオゲームを制作した。同社は他にも一本AmigaゲームボーイPCSuper NES向けのゲームを制作している。ニンテンドー64向けに「Blues Brothers 2000英語版」という名前のビデオゲームが販売されている。

ブルース・ブラザーズ・バー[編集]

ブルースブラザース・バーはベルーシとエイクロイドがもぐりで始めた小さな酒場で、シカゴ オールドタウンWells Street英語版沿い、「セカンド・シティ」から通りを渡った向かい側で、ナイトクラブ「Earl of Old Town」の裏にあった。バーはCollege of DuPage英語版にいたベルーシの友人たちによって経営されており、無免許での開業であったため、アルコールを手に入れるには「バーテンダーに飲み物を頼むためのチケット」を購入する必要があった。1982年当局に店の存在が知れてしまい、すぐに閉店を余儀なくされた。

1981年シカゴで撮られた映画「ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー」のDVD コメンタリーでジェームズ・カーンがブルース・ブラザーズ・バーについて触れている。

ディスコグラフィー[編集]

アルバム[編集]

著名なシングル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b Saturday Night Live (season 1)(en)
  2. ^ Saturday Night Live (season 3)(en)
  3. ^ Saturday Night Live (season 4)(en)
  4. ^ Levine, Stuart (2011年8月30日). “'Blues Brothers' readies for primetime”. Variety. 2012年5月15日閲覧。
  5. ^ Blues Brothers and Panacea Entertainment Have Big Plans”. The Hollywood Reporter (2012年4月6日). 2012年5月15日閲覧。
  6. ^ エイクロイドは 2009年の秋に Downchild Blues Band 40周年のツアーに参加している: "… when one thinks of blues music in Canada, the first name that springs to mind is DOWNCHILD. It’s been 40 years since Donnie 'Mr. Downchild' Walsh and his late brother Hock, formed the renowned group that would be the inspiration for the world famous Blues Brothers. DOWNCHILD plans to celebrate this anniversary in style, with some very special friends—including blues brother and movie icon DAN AYKROYD and that's why they call it the Blues." News Release, July 21, 2009; www.downchild.com. See also Cross Reference At Blues Brothers Central; www.bluesbrotherscentral.com, where it is also mentioned that when the Blues Brothers played the Casino Rama in 2005, Donnie "Mr. Downchild" Walsh appeared as their guest.
  7. ^ Still on a mission from God; interview with Dan Aykroyd by Roger Gatchet, May 18, 2007, www.austinsound.net.
  8. ^ Jim Slotek, Bye to blues brother: Downchild's Donnie Walsh talks about late sibling, Jam! Music, February 4, 2000; www.jam.canoe.ca.
  9. ^ This is detailed in an article in the January 4, 1979, edition of the Eugene Register-Guard.
  10. ^ In his biography of Belushi, Wired: The Short Life and Fast Times of John Belushi, Bob Woodward learned, from the numerous interviews he conducted, that Belushi recruited Cropper and Dunn by "alternating good-natured jokes and hard sell."
  11. ^ The Blues Brothers (Collector's Edition), ASIN:078322804X.
  12. ^ Live From New York: The First 5 Years of Saturday Night Live. NBC. 2005年2月20日放送.
  13. ^ Biography of the Blues Brothers from their album, A Briefcase Full of Blues, retrieved on November 30, 2006.
  14. ^ The Blues Brothers Animated Series (1997) – Episode list
  15. ^ a b Box Office Mojo”. The Blues Brothers. 2008年8月2日閲覧。

外部リンク[編集]