ブルース・セルドン
2010年8月28日撮影
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| 基本情報 | |
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| 本名 | ブルース・サミュエル・セルドン |
| 通称 | アトランティックシティ・エクスプレス |
| 階級 | ヘビー級 |
| 国籍 | |
| 誕生日 | 1967年1月30日(46歳) |
| 出身地 | ニュージャージー州, アメリカ合衆国 |
| スタイル | オーソドックス |
| プロボクシング戦績 | |
| 総試合数 | 43 |
| 勝ち | 37 |
| KO勝ち | 33 |
| 敗け | 6 |
ブルース・セルドン(Bruce Samuel Seldon、男性、1967年1月30日 - )は、アメリカ合衆国のプロボクサー。ニュージャージー州アトランティックシティ出身。身長187cm、リーチ198cm。1995年から1996年までWBAヘビー級のチャンピオンだった。ヘビー級としては小柄ながらもスピードに優れ、一時期「タイソン2世」とまで言われた。俳優の2パックが乗車中に射殺されたのは、セルドンがマイク・タイソンにTKO負けで敗れて王座を失った試合を観戦した帰り道でのことである。
目次 |
来歴 [編集]
アマチュア時代 [編集]
アマチュア時代の戦績は20勝4敗で、ニュージャージー州のゴールデングローブ大会スーパーヘビー級チャンピオンにもなった。
プロ時代 [編集]
「アトランティックシティ・エクスプレス」という異名を持って1988年10月4日にデビューした。デビュー戦ではジョエル・マックグローを1ラウンドKOで破り、以来18連勝を記録。しかもこの間の連勝中、エルザ・セラーズ、オジー・オカッシオ、デビッド・ベイ、ホセ・リベルタなど並みいる強豪を倒してきた。
1991年4月18日、後のWBC世界ヘビー級王者になるオリバー・マッコールに初黒星を喫した。この試合では9ラウンド終了までは明らかにポイントでリードしていたが、体調不良のためそれ以上続けられなかった。この結果スリーノックダウンでセルドンの負けとなった。次の試合でも、後のWBA・WBC・IBF世界ヘビー級チャンピオン、リディック・ボウに1RKO負け、マスコミからは「小さい」「限界が見えた」と酷評されることになる。
しかし、その後のセルドンは続く4年間で13勝1敗の成績を収めた。この間の試合には、前のWBAヘビー級チャンピオンであるトニー・タッブスに判定で敗れた試合や、やはり前のWBAヘビー級チャンピオンであるグレグ・ペイジにTKOで勝った試合がある。1995年4月8日、セルドンは空位のWBAヘビー級王座をトニー・タッカーと争った。ジョージ・フォアマンがランク1位のタッカーと戦わずアクセル・シュルツと戦ってタイトルを剥奪されたためである。セルドンはこの時、WBA世界ランク2位だった。セルドンはタッカーを7ラウンド終了後TKO負けで破ったが、これがタッカーにとって初めてのKO負けとなった(マイク・タイソンとレノックス・ルイスに喫した以前の2敗はいずれも判定負けである)。1回目の防衛戦では、世界ランク4位のジョー・ヒップを10ラウンドTKOで下した。
タイソン戦 [編集]
ヒップ戦から13か月後の1996年9月7日にラスベガスのMGMグランドで行われた2度目の防衛戦で、マイク・タイソンと対戦し敗れた。第1ラウンドでタイソンのフックが頭頂部をかすり、クリーンヒットは許さなかったものの2度のダウンを喫した。観客が「止めろ!」と叫んだ直後に試合はレフェリーストップとなった。試合後、セルドンは控え室で号泣した。
ボクシング界への復帰 [編集]
タイソン戦から7年半後の2004年3月6日にリングに復帰し、復帰第1戦ではオーティス・ティスデールを3ラウンドKOで、第2戦ではレンジー・モルガンを2ラウンドTKOで破った。
復帰第3戦目は2004年3月15日、無敗のジェラルド・ノブレスが相手だったが、セルドンは第2ラウンドでダウンを奪い、第8ラウンドまで8ポイント差のリードだった。しかし第9ラウンド序盤で相手の指が目に入り試合の続行が不可能となってTKOで敗れてしまった。
次戦は2005年10月28日で、明らかに調整不足でオーバーウェイトのセルドンはタイ・フィールズに2ラウンドKO負けを喫した。2007年2月10日、調整し直したセルドンは1ラウンド1分5秒にKOでマーカス・ロードを下した。
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
| 前王者 ジョージ・フォアマン |
第41代WBA世界ヘビー級王者 1995年4月8日 - 1996年9月7日 |
次王者 マイク・タイソン |