ブリッジ・フォー・ピース

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ブリッジ・フォー・ピース
Bridge for Peace
事務局が置かれている愛知県岡崎市のカフェ
略称 BFP
設立 2004年8月
設立者 神直子
設立地 埼玉県さいたま市[1]
種類 特定非営利活動法人
法人番号 5030005002488 ウィキデータを編集
本部 愛知県岡崎市
所在地 愛知県岡崎市康生通東1丁目23
座標 北緯34度57分31.535秒 東経137度09分52.873秒 / 北緯34.95875972度 東経137.16468694度 / 34.95875972; 137.16468694座標: 北緯34度57分31.535秒 東経137度09分52.873秒 / 北緯34.95875972度 東経137.16468694度 / 34.95875972; 137.16468694
会員数
129人(2015年4月現在)
代表理事 神直子
ウェブサイト ブリッジ・フォー・ピース Bridge For Peace
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ブリッジ・フォー・ピースBridge for Peace)は、戦争体験者のメッセージ記録をもとにワークショップを行うNPO法人。2004年に設立された。略称はBFP

概要・沿革[編集]

起源は青山学院大学教授(英語学)の雨宮剛が1988年3月に始めた「フィリピン体験学習」に遡る。「貧困の原因には戦争の被害がある。何をすべきか、何ができるかを考えてほしい」という雨宮の訴えに応えた学生が二人いた。以来、例年2月から3月にかけての3週間、ルソン島ミンダナオ島の教会や学校、「死の行進」が行われたバターン半島などの戦跡を訪ね、「謝罪と和解のためのステートメント」という名のメッセージを読み上げる旅が続けられた[2]

2000年2月、14回目となる雨宮の体験学習ツアーに参加したのが当時青山学院大学4年生の神直子(じんなおこ)だった[3]。大学卒業後、人材派遣会社やNPO法人に勤務していたが、転機は2003年4月に訪れた。新潟県小千谷市の極楽寺の住職から、戦時中の残虐行為を悔い、老人ホームで嘆き続けながら死んだ元兵士の話を聞かされたとき、就職直前にフィリピンネグロス島で出会った女性の泣き叫ぶ声の記憶がよみがえった[1]。戦争で傷を負ったフィリピン、日本両国の人々の架け橋となることを決心した神は2004年8月に「ブリッジ・フォー・ピース」を設立[1][4]。2005年10月にフィリピンを再訪し、元日本兵のビデオメッセージの上映会を各地で開催した[5]

2009年8月、NHKがインターネット上で「戦争証言アーカイブス」を公開。全国のNHKの放送局が保存している元兵士や市民らの証言動画が公開され、ページビューは2か月間で約70万回にのぼった[6]。戦争体験者の声の記録保存に対する関心が高まる中[7]、ブリッジ・フォー・ピースは2010年1月にNPO法人格を取得した(「NHK戦争証言アーカイブス」の公式サイトは同年8月2日にオープン)。

2017年2月時点で、フィリピンでの従軍経験者を中心に250人の元日本兵への聞き取りが行われた。証言者の映像はそれまでにフィリピンで40回以上上映された[8]。日本ではビデオ上映のほかワークショップを全国各地で開催。現在はフィリピンだけでなく、中国や朝鮮半島にも活動の幅を広げている[9][10]。代表の神は自治体の平和記念式典などで講演も行う[11][12][13]

20代から90代まで約140人のメンバーがそれぞれに戦争体験者の証言を集めており[14]、事務局は愛知県岡崎市と東京都千代田区に置かれている[15][16][17]

事業内容[編集]

  • 戦争体験者のメッセージ記録
  • ワークショップ(2013年4月現在、215回・11426名を対象に実施)

主なメディア掲載[編集]

  • 2009年 
  • 2010年
    • 東京新聞(8月14日)
    • まにら新聞(11月2日)
    • 朝日新聞「人脈記」(11月25日)
  • 2011年
    • 日本経済新聞「社会人」(8月14日)
    • NHKラジオ「私も一言!夕方ニュース」(1月6日)

脚注[編集]

  1. ^ a b c 西村圭史「元日本兵の証言、フィリピンへ さいたまの団体取材、映像に記録 29日上映/埼玉県」 『朝日新聞』2009年10月25日付朝刊、埼玉、33面。
  2. ^ 朝日新聞』1999年12月7日付朝刊、東京、35面、「フィリピンに『謝罪の旅』 青山学院大・雨宮教授と学生 /東京」。
  3. ^ 『朝日新聞』2010年11月25日付夕刊、総合、1面、「(ニッポン人脈記)語り継ぐ戦場:6 見た、ふれた、線着そうの記憶」。
  4. ^ 新潟県「雲外寺」にて上映ワークショップをやらせて頂きました!”. ブリッジ・フォー・ピース公式blog (2011年11月8日). 2019年12月31日閲覧。
  5. ^ 主な活動内容・実績 | ブリッジフォーピース Bridge for peace
  6. ^ 「NHK戦争証言アーカイブスについて」 - NHK放送総局長会見資料 2010年7月21日実施分(PDFファイル)の情報に基づく。
  7. ^ 『朝日新聞』2009年8月15日付朝刊、総合、3面、「あの戦争の記憶 世代を超え、橋を架ける」。
  8. ^ 森田真奈子「西三河のひとびと NPO法人代表 神直子さん (39) 岡崎市 元日本兵の証言 比で上映」 『中日新聞』2017年2月28日付朝刊、西三河版、20面。
  9. ^ Cabalza, Dexter (2018年2月26日). “World War II long over, but Japanese group still on healing mission”. Philippine Daily Inquirer. https://newsinfo.inquirer.net/971274/world-war-ii-long-over-but-japanese-group-still-on-healing-mission 2019年12月31日閲覧。 
  10. ^ 森田真奈子「わたしが編集長 (26) 通信使出迎えの地岡崎」 『中日新聞』2016年7月3日付朝刊、西三河版。
  11. ^ 安藤聡 (2019年7月28日). “平和の大切さ後世へ”. 東愛知新聞. http://www.higashiaichi.co.jp/news/detail/5025 2019年12月31日閲覧。 
  12. ^ 平和祈念式(令和元年7月19日)”. 岡崎市役所 (2019年7月24日). 2020年3月22日閲覧。
  13. ^ 大阪市戦後70年記念シンポジウム みて きいて つたえたい へいわ” (PDF). 大阪中心 The Heart of Osaka Japan. 2020年3月22日閲覧。
  14. ^ “(継承の旅 天皇陛下フィリピンへ:下)被害者と加害者、つなぐ”. 朝日新聞. (2016年1月22日). https://www.asahi.com/articles/DA3S12171420.html 2019年12月31日閲覧。 
  15. ^ 宋光祐「戦争、謝罪の心橋渡し 元日本兵の声、占領地へ 岡崎のNPO 【名古屋】」 『朝日新聞』2013年8月15日付朝刊、29面。
  16. ^ NPO法人ブリッジ・フォー・ピース” (PDF). 国際協力機構. 2019年12月30日閲覧。
  17. ^ NPO概要・設立目的 | ブリッジフォーピース Bridge for peace

参考文献[編集]

  • 神直子『ビデオ・メッセージでむすぶアジアと日本―わたしがやってきた戦争のつたえ方』梨の木舎、2015年5月。ISBN 978-4-8166-1502-3 

外部リンク[編集]