ブランカ・アヴ・ナムール

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ブランカ・アヴ・ナムール

ブランカ・アヴ・ナムール(Blanka av Namur, 1320年 - 1363年)は、スウェーデンマグヌス4世の王妃。フランス語名はブランシュ・ド・ナミュール(Blanche de Namur)。

ナミュール伯ジャン1世とマリー・ダルトワの娘として生まれた。1335年の秋、マグヌスと結婚した。結婚の祝いとして、ブランカはトンスベルグ(現在のノルウェーヴェストフォル県の都市)を与えられた。戴冠式が行われたのは1336年、ストックホルムであった。

2人には、エリク12世(1339年 - 1359年)とホーコン6世(1340年 - 1380年)が生まれた。ホーコンが1355年にノルウェー王位についたとき、エリクは父に対して反乱を起こし、スウェーデンの共同統治者となった。

ブランカはスウェーデン中世史上、興味深い女性の一人である。女王として政治に関わっただけでなく、多くの話や歌が伝わっていることから、彼女は女性としても積極的に外に出たと思われる。マグヌスは同性愛者と噂されており、彼にはフィンランド公ベングト・アルゴットソンという愛人がいた。にもかかわらず、ブランカは夫と良好な関係を保ち、政治的な影響力を保持し続けた。スウェーデン=ノルウェーの同君連合の期間、ブランカは夫によりノルウェーの摂政に任じられていた。

1359年のマグヌスの死後、ブランカはトンスベルグ城で暮らした。1363年、息子ホーコンとデンマーク王女マルグレーテ1世の結婚式を見届けた後に、ブランカは病死した。死因も埋葬場所も伝えられていない。