ブライアン・トロティエ

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ブライアン・トロティエ
生誕 1956年7月17日(58歳)
カナダサスカチュワン州ヴァル・マリー
身長
体重
5 ft 11 in (1.80 m)
195 lb (88 kg; 13 st 13 lb)
ポジション センター
シュート 左利き
所属クラブ ニューヨーク・アイランダース
ピッツバーグ・ペンギンズ
代表 カナダ &
アメリカ合衆国
NHLドラフト 22nd overall(1974年)
ニューヨーク・アイランダース
WHAドラフト 18th overall(1974年)
シンシナティ・スティンガーズ
現役期間 1975年 – 1994年
1997年殿堂入り

ブライアン・トロティエBryan John "Trots" Trottier1956年7月17日 - )は、カナダサスカチュワン州ヴァル・マリー(Val Marie)生まれのプロ・アイスホッケー選手である。NHLではニューヨーク・アイランダーズで15シーズン、ピッツバーグ・ペンギンズには3シーズン在籍し、攻守にバランスの取れたセンターであったと評価される。特に1980年代初頭にアイランダーズがスタンレー・カップで4連覇(1980年から1983年まで)を記録したいわゆる「アイランダー王朝時代」の中核メンバーとして名高い。1997年ホッケーの殿堂入りを果している。

来歴[編集]

ブライアン・トロティエは、1974年のドラフトにおいてチーム第2巡目、全体では第22位でアイランダーズに指名された。当時の北米ホッケー界はNHL1972年に発足したライバルリーグWHLに対し様々な対抗策を講じていた時期であるといわれ、NHLによる 17、18歳の有望若年選手の囲い込み、青田買いも行われていた。トロティエの獲得もその一例である。このため、トロティエはすぐに NHL でプレーすることなく、1974-1975シーズンはジュニアリーグ (WCIHL) で144ポイントを上げ、リーグ最優秀選手となった。

翌1975-1976シーズンからは、アイランダーズに昇格し、メジャー第2戦でハットトリックを演じた。そして、シーズンが終わってみると当時マーセル・ディオンが保持していたアシスト数、ポイント数の新人記録を破って、カルダー記念賞(新人王)を受賞した。

1977-1978シーズン頃からアイランダーズは、トロティエ、マイク・ボッシー、Clark Gillis の強力布陣を備えめきめきと力をつけていった。トロティエが最高成績を残したのは 1978-1979シーズンで、リーグ首位の134ポイントを上げた。また、同年のアシスト数87は、前年の77に続く2年連続のリーグ首位記録である。

1979-1980シーズンには、アイランダーズはスタンレー・カップに優勝し、トロティエもコーン・スマイス賞(プレイオフ最優秀選手賞)を獲得する。こうして、1970年代後半から1980年代前半にかけて、圧倒的な力量を見せたウェイン・グレツキーを除けば、トロティエは、その得点能力と固い守備力によって当時最も優れたオールラウンドプレーヤーの一人に数え上げられる選手となった。

しかし、一方で同世代のセンター達、例えばマーク・メシエスティーブ・アイザーマンと比較すると、第一線で長く活躍できた期間はやや物足りないとする評価もある。特に現役生活14年目以降は、その力が急激に衰えたように見え、1988年に82ポイントを上げていたのが、翌年は45ポイント、翌々年は24ポイントと落ちていった。

1990年7月20日にはフリー・エージェントで15年在籍したアイランダーズを後にして、ペンギンズに移籍した。同僚にはマリオ・ルミューヤロミール・ヤーガーらがおり、移籍後の3年間のうち、1991年1992年とスタンレー・カップ連覇を経験し、1993年は一旦アイランダーズのフロント入りするが飽き足らず、1994年にペンギンズの選手兼アシスタントコーチとして37歳で復帰しその年限りで現役を引退した。引退時点でのポイント数は NHL 歴代6位であった。

なお1984年のカナダカップにおいては、トロティエはカナダ人同胞から多くの批判を浴びながら、米国チームの一員として参戦した。この決断を行ったのは、自らの居住国に報恩するためと、妻が米国人であったためとされている。そして、1984年7月には、父方の祖先にクリー(Cree)族系のメティがいたため、米国籍を取得している。

引退後は、AHLポートランド・パイレーツのコーチ、NHLではコロラド・アバランチのアシスタントコーチ、ニューヨーク・レンジャースのヘッドコーチを務めた。

なお弟ロッキー・トロティエ(Rocky Trottier、1964年4月11日 - )もNHLのニュージャージー・デビルスでプレーした(1983-1984、1984-1985の2シーズンの在籍記録が残されている。)。

受賞歴等[編集]

生涯成績[編集]

    レギュラーシーズン   プレイオフ
シーズン チーム リーグ GP G A Pts PIM GP G A Pts PIM
1975-1976 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 80 32 63 95 21 13 1 7 8 8
1976-1977 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 76 30 42 72 34 12 2 8 10 2
1977-1978 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 77 46 77 123 46 7 0 3 3 4
1978-1979 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 76 47 87 134 50 10 2 4 6 13
1979-1980 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 78 42 62 104 68 21 12 17 29 16
1980-1981 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 73 31 72 103 74 18 11 18 29 34
1981-1982 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 80 50 79 129 88 19 6 23 29 40
1982-1983 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 80 34 55 89 68 17 8 12 20 18
1983-1984 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 68 40 71 111 59 21 8 6 14 49
1984-1985 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 68 28 31 59 47 10 4 2 6 8
1985-1986 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 78 37 59 96 72 3 1 1 2 2
1986-1987 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 80 23 64 87 50 14 8 5 13 12
1987-1988 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 77 30 52 82 48 6 0 0 0 10
1988-1989 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 73 17 28 45 44 - - - - -
1989-1990 ニューヨーク・アイランダーズ NHL 59 13 11 24 29 4 1 0 1 4
1990-1991 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 52 9 19 28 24 23 3 4 7 49
1991-1992 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 63 11 18 29 54 21 4 3 7 8
1993-1994 ピッツバーグ・ペンギンズ NHL 41 4 11 15 36 2 0 0 0 0
NHL合計 1279 524 901 1425 912 221 71 113 184 277

外部リンク[編集]