ブダイ・ラースロー

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Flag of Hungary.svg この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、印欧語族風にラースロー・ブダイと表記することもあります。
ブダイ・ラースロー Football pictogram.svg
名前
ラテン文字 László Budai
ハンガリー語 Budai László
基本情報
国籍 ハンガリーの旗 ハンガリー
生年月日 1928年7月19日
出身地 ブダペスト
没年月日 1983年7月2日(満54歳没)
選手情報
ポジション FW/MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1948-1950 ハンガリーの旗フェレンツヴァーロシュ
1951-1961 ハンガリーの旗ホンヴェード
代表歴
1949-1959 ハンガリーの旗 ハンガリー 39 (10)
監督歴
1959-1967 ハンガリーの旗ETI SC
1967-1979 ハンガリーの旗コッシュトKFSE
1979-1980 ハンガリーの旗フォーティ・トスSK
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ブダイ・ラースローハンガリー語:Budai László, 1928年7月19日 - 1983年7月2日)は、ハンガリー出身の元サッカー選手サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワードミッドフィールダー

経歴[編集]

1950年代マジック・マジャールと呼ばれたハンガリー代表の一員。ずんぐりした体形ながら精力的かつ勇敢なプレーを持ち味とし、代表ではストライカーを務めるコチシュ・シャーンドルとのコンビネーションプレーを得意とするウインガーとして活躍した [1]1948年フェレンツヴァーロシュTCに移籍すると、翌1949年にリーグ制覇に貢献。1951年に同僚のチボル・ゾルターンやコチシュと共にブダペスト・ホンヴェードへ引き抜かれると、3度のリーグ優勝と1度のミトローパ・カップ優勝に貢献した。

ハンガリー代表としては、1949年5月2日中央ヨーロッパ選手権、対オーストリア戦で代表デビューをすると[1]1959年に引退するまで国際Aマッチ39試合出場10得点を記録した[1]。また、1950年9月24日アルバニア戦では4得点(試合は12-0でハンガリーの勝利)を記録している[1]

マジック・マジャールの一員として1952年ヘルシンキオリンピック金メダル、1953年の中央ヨーロッパ選手権優勝に貢献、1953年ウェンブリー・スタジアムで行われたイングランドとの親善試合にも出場した。1954年FIFAワールドカップ・スイス大会では1次リーグの韓国戦、準決勝のウルグアイ戦での顕著な活躍に関わらず、決勝戦はフェレンツ・プスカシュの控えとなった。

また1958年FIFAワールドカップ・スウェーデン大会でも代表メンバーに選出されたが、出場機会を得ることは出来なかった。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d Budai II (Bednarik) László (1928-1983)”. Aranycsapat. 2012年2月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年6月15日閲覧。