フレッド・アレクサンダー

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フレッド・アレクサンダー
Fred Alexander
フレッド・アレクサンダー
基本情報
フルネーム Frederick Beasley Alexander
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・ニューヨーク
生年月日 (1880-08-14) 1880年8月14日
没年月日 (1969-03-03) 1969年3月3日(88歳没)
死没地 同・カリフォルニア州ビバリーヒルズ
利き手
バックハンド 片手打ち
殿堂入り 1961年
生涯獲得賞金 値なし
4大大会最高成績・シングルス
全豪 優勝(1908)
全米 準優勝(1908)
優勝回数 1(豪1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(1908)
全米 優勝(1907-10・17)
優勝回数 6(豪1・米5)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全米 準優勝(1918)

フレッド・アレクサンダーFred Alexander, 1880年8月14日 - 1969年3月3日)は、アメリカニューヨーク出身の男子テニス選手。フルネームは Frederick Beasley Alexander (フレデリック・ビーズリー・アレクサンダー)という。1908年の全豪選手権(現在の全豪オープンテニス)で男子シングルス・男子ダブルス優勝を飾り、同選手権で最初の外国人優勝者になった選手である。地元開催の全米選手権でも男子ダブルス5勝を挙げ、とりわけ1907年から1910年までハロルド・ハケット1878年 - 1937年)と組んで4連覇を達成した。彼のテニスは、やせ気味の細い体格から繰り出す滑らかなグラウンド・ストロークを大きな武器とした。

来歴[編集]

現在は「全豪オープン」として知られるテニス競技大会は、1905年に第1回大会が創設された。最初は男子シングルス・男子ダブルスの2部門のみで始まり、会場もオーストラリア国内のあちこちの名門テニスクラブを転々とした。アレクサンダーが1908年の第4回大会を制した時は、シドニーの「ダブル・ベイ・テニスクラブ」が会場となった。彼は地元オーストラリアとニュージーランド勢以外の外国選手として、最初の全豪選手権参加者になり、決勝でアルフレッド・ダンロップ1875年 - 1933年)に 3-6, 3-6, 6-0, 6-2, 6-3 の逆転勝利を収めた。ダブルスでは、アレクサンダーとダンロップがペアを組み、アンソニー・ワイルディング&G・G・シャープ組を破って優勝する。こうして、フレッド・アレクサンダーは「全豪選手権史上初の外国人優勝者」になった。その後は、もうこの大会に参加しなかった。

地元開催の全米選手権では、アレクサンダーは1906年から1922年まで出場記録を残しているが、彼のシングルス自己最高成績は1908年の「チャレンジ・ラウンド」(挑戦者決定戦)決勝進出であった。初期の全米選手権は、チャレンジ・ラウンドから「オールカマーズ・ファイナル」(大会前年優勝者とチャレンジ・ラウンド勝者で優勝を争う)への流れで優勝者を決定した。アレクサンダーは全豪で優勝した1908年のチャレンジ・ラウンドでビールズ・ライト1879年 - 1961年)に 3-6, 3-6, 3-6 で敗れ、大会前年優勝者ウィリアム・ラーンド1872年 - 1926年)との「オールカマーズ・ファイナル」に進めなかった。アレクサンダーは全米選手権の男子ダブルスで、ハロルド・ハケットと組んで1905年-1911年まで「7年連続」決勝進出の記録を残した。これは今なお、全米男子ダブルスの史上最多連続決勝進出記録である。1907年から1910年まで、アレクサンダーとハケットは男子ダブルス「4連覇」を達成したが、1911年に連続優勝記録が止まった。

1914年第1次世界大戦が勃発した後も、全米選手権は途切れることなく開催され、アレクサンダーは戦時中の全米選手権にも参加を続けた。ハケットとの男子ダブルス4連覇から7年後、1917年にアレクサンダーは当時19歳のハロルド・スロックモートン(Harold Throckmorton)と組んで5度目の優勝をした。同選手権の混合ダブルスでは、1918年モーラ・マロリーと組んだ準優勝がある。

フレッド・アレクサンダーは42歳を迎える1922年まで全米選手権に出場を続け、1961年国際テニス殿堂入りを果たす。全豪選手権で最初の外国人優勝者となってから60年後、アレクサンダーは1969年3月3日カリフォルニア州ビバリーヒルズにて88歳の長寿を全うした。

4大大会成績[編集]

  • 全豪選手権 男子シングルス:1勝(1908年)/男子ダブルス:1勝(1908年) [単複とも制覇]
  • 全米選手権 男子ダブルス:5勝(1907年-1910年・1917年) [男子シングルス準優勝1度:1908年/混合ダブルス準優勝1度:1918年]

参考文献[編集]

  • Our Open - 100 years of Australia's Grand Slam” (我らのオープン-オーストラリア・グランドスラムの100年史) News Custom Publishing, Victoria, Australia (2004) ISBN 1-876176-60-1

外部リンク[編集]