フレジャ・ベハ
Freja Beha Erichsen
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| プロフィール | |
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| 生年月日 | 1987年10月18日 |
| 現年齢 | 24歳 |
| 出身地 | |
| 公称サイズ(時期不明) | |
| 身長 / 体重 | 178 cm / 49 kg |
| BMI | 15.5 |
| スリーサイズ | 79 - 60 - 89 cm |
| 活動 | |
| ジャンル | ファッション |
| モデル: テンプレート - カテゴリ | |
フレジャ・ベハ・エリクセン (Freja Beha Erichsen,デンマーク語読み:フレヤ・ベア・エリクセン,1987年10月18日- )は、デンマークのファッションモデル。IMG所属。
目次 |
[編集] 経歴
2003年、15歳の時コペンハーゲンの街を母と共に歩いていたところ、偶然タクシーで通りかかったエージェントの目にとまりスカウトされる。
2004年、「高校の友達はバイトをしていたし、普通の事をするくらいなら」との動機でモデル活動を始め、IMGと契約。
2005年2月、ミラノ・パリ秋冬コレクションにてプラダ、ルイ・ヴィトンでランウェイ・デビュー。同年3月ミュウミュウのファーストルックを飾り、ジル・サンダーやバレンシアガの広告に登場し話題となった。
2006年、数多くのエディトリアルをこなし、ヌメロ、ヴォーグ誌の単独表紙を飾る。バレンシアガ、カルヴァン・クライン、H&M、Gapなどのキャンペーンに起用される。ランウェイに出演したブランド数は年間130を超えジェマ・ワードについで2位だった。
6月東京で開催されたルイ・ヴィトンショー出演の為、来日したことがある。
2007年、カルバン・クラインとグッチの香水CMに出演。
エージェントの意向に反し、長い髪を大胆にも短く切り落とす。男性的であり女性らしい両性の特徴をもつアンドロジナスかつクールさに拍車がかかり、モデル界の「The queen of cool」「反逆児」と形容され、アギネス・ディーンやイリナ・ラザレアヌに並ぶ個性派モデルの1人となる。
写真家兼デザイナーであるカール・ラガーフェルドに見出されシャネルの広告塔に抜擢。
デザイナーの創作意欲を刺激する存在となったこの年、インスピレーションを受けたとしてジル・スチュアートがフレジャハンドバッグを発表した。以降、各デザイナーが「フレジャ」の名を冠にした作品を発表するようになる。
2008年、日本版ヴォーグの初単独表紙を飾る。ジャンフランコ・フェレ、エンポリオ・アルマーニ、Moussyなどのキャンペーンを務める。クロエがフレジャクラッチを発表する。
デンマーク最優秀モデル賞を受賞。
2009年、ELLE初単独表紙を飾る。シャネル、カール・ラガーフェルド、ロベルト・カバリなどのキャンペーンを務める。アレキサンダー・ワンからフレジャブーツ、ポリーニからフレジャバッグが発表された。
10月パリ春夏コレクションシャネルのショーで披露したララ・ストーンとのキスが反響を呼ぶ。
2年連続デンマーク最優秀モデル賞を受賞。
2010年、伊・仏・英・韓国版ヴォーグの単独表紙を飾る。イタリア版は高名な写真家スティーブン・マイゼルによって撮影され話題となった。デビュー間もない頃、未熟な被写体(フレジャ)に彼は突然帰宅を命じ、撮影はお蔵入り。共に仕事をする事はもうないと思われた。しかし、5年の歳月を経て、彼は指名のうえ大規模な撮影を敢行、充分に成熟した被写体をカメラに収め、2人は伝説的な表紙を世に送り出した。
宝飾ブランドハリー・ウィンストンはじめ、契約を交わした広告数は19本。
日本のファッション誌SPURで特集が組まれ、日本でも存在が認知されるようになる。
女性特有の肉体美の概念を根本から履がえしたとして非常に高く評価されたイネス・ヴァン・ラムスウィールド&ヴィノード・ マタディン撮影のpurple誌2010年春夏号、カール・ラガーフェルド撮影2011年度版ピレリカレンダー「MYTHOLOGY 神話」にてフルヌードを披露した。
ピレリでは知性と理性に充ちる美青年の太陽神アポローン、航海の守護神ポリュデウケース、 アビー・リー・カーショウを妻役に吟遊詩人オルペウスに扮し、3役すべてにおいて男性の神を演じている。
2011年、3大メゾンルイ・ヴィトン、ヴァレンティノ、シャネルのキャンペーン制覇を果たす。3月FW11、10月SS12ともにパリ・コレクションにのみ登場。
カール・ラガーフェルド監督・脚本シャネルクルーズコレクション用の短編映画『The Tale of a Fairy』に性別不詳の妖精役として出演し、仏女優アナ・ムグラリスとのキスシーンに挑んだ。
モデルサイト「Models.com」のモデル・ランキングで第2位[1]になるなど、強い意志を感じさせるクールな顔立ちとマニッシュな個性を持ち味に、新世代のトップモデルとして多忙極まる活躍をみせている。
[編集] 私生活
デンマーク最古の街のひとつロスキレにて法律家である両親のもと生まれる[2]。両親の離婚により、1歳の時から母親と暮らし、7つ年上の兄は父親に引き取られる。週末は兄と共に、父親と母親の自宅を週替わりで過ごした。[3]
子供時代は木登りや自転車競争を楽しむお転婆娘でロック歌手になるのが夢だった。メタリカのファンである兄とクラブに通いつめ、彼らの歌詞を聴いて成長した。
「デビューした翌年、プラダとミュウミュウの独占契約でミラノへ送られて、でも私の頭の中はいつだってメタリカが流れてた。服や業界人、ファッションへの興味は皆無だった」とSPUR誌に語るほどロック音楽をこよなく愛し、また激動の時を他人事のように受け止めていた。
出身地ロスキレで行われるヨーロッパ最大の野外音楽祭「ロスキレ・ミュージック・フェスティバル」には毎年欠かさず行っている。ギターを5本、ピアノ、ドラムを所有し、ロックやブルースを演奏するのが趣味[4]。
かつてVマガジンの録音インタビューで歌声を披露したが[5]本人曰く「シャワー中でさえ歌うべきじゃない」程の音痴だと謙遜している。
好きな歌手はPJ ハーヴェイ[6]、ジャニス・ジョプリン、ジェフ・バックリィ[7]、ヤー・ヤー・ヤーズ、レッドツェッペリン、ローリングストーンズ[8]など。
2010年、デンマークに家を購入。生活拠点はNYブルックリンである。
2011年12月、モデル業を充分やり遂げたと感じた時に表舞台から退く予定であることを示唆した。 「仕事をするうえで目標を持つことは重要だと思う。私のは視覚的な意味も大きい。将来は小さな農場に数頭の馬、いくつかの楽器を所有して、有機栽培の果物や野菜を育てて自給自足の生活をするつもり」。 [9]
[編集] スタイル
16歳で初めてタトゥーをいれ、現在は16ものタトゥーを持つ[10][11]。「タトゥーは簡単に隠せるし、仕事に支障はない」と発言している。
「タトゥーを増やしていい代わりに髪だけは切らないこと」とエージェントと約束をしていたにも関わらず、 2007年夏にデビュー以降長かった髪を大胆にも短く切る。業界に固執せず、自分らしさを求めた行動がかえって本人の魅力を開花させた。 美青年のような性別を超越した中性的ルックス、クールで憂いあるロックスターのような存在はこれまでのスーパーモデルとは異質のオーラを放ち、 多くの女性の心を鷲掴みにした。The fashion spotモデル閲覧ランキングにおいてケイト・モスを抜いて第1位を記録し、 デザイナーからも注目される存在となり、奇しくもトップへの出世コースを歩む事になったフレジャにエージェントからの叱責は無かった。
子供の頃からパンツスタイルを好み、私服は自分らしさと着心地の良さを重視し、決して流行を追わない。 レザージャケット・スキニー・バイカーブーツなど全身黒色を基調としたシンプルかつロックスタイルが定番である。
ヘアースタイルにおいても、ファッションアイコンとして活躍する著名人が彼女のスタイルを取り入れるなど、 男女問わず若者から支持されている。
好きなデザイナーはバレンシアガ、リック・オウエンス、ヘルムート・ラング、アレキサンダー・ワン。
普段のメイクアップについて、保湿スキンケアは行うが仕事以外での化粧は一切しない。
[編集] 人柄
自身について「反抗的な面がある」と言うものの、性格は実にマイペースで理性的である。
休日は詩学の授業をとり、バルコニーの植物の手入れや食料品店での買い物、料理や洗濯、公園を散歩したり、ごく普通の生活を大事にしている。得意料理はチリ・ダークチョコレート。食べる事が好きで日に4、5回食事を摂り、母親の手料理を最も好む。お酒を好まず、二日酔いを体験したことがない。
第一線で活躍する同期は現在サーシャ・ピヴォヴァロヴァ1人だけという厳しい業界において今でも仕事がある自分は恵まれていると考えており、モデルを続ける意義について「単身で世界を飛び回ることで自立心が鍛えられ、協力し合うことで良い仕事ができる充実感、ものの見方も養えられ、人間的な成長ができる」とインタビューに答えている。
首に彫られたタトゥー『float』は「ストレスなく穏やかに、人生気楽に」という意味。「私はストレスを拒み続けてる。どんなに忙しくても、誰かが私に怒鳴っていようとも」。
モデルのアビー・リー・カーショウはこう評す「モデルとして刺激を与えてくれる。周りすべてがクレイジーな状況でさえ彼女は全く動じず冷静なの」。
貪欲なところはまったく感じさせないがボランティア活動には積極的である。「熱心にやっているつもりはないのに、街で声をかけられるとついつい何にでもサインしてしまうから、いつの間にかいろんな団体のメンバーになってしまっているみたい」。
2005年からマリ在住の少女のスポンサーシップを続けている。「私にとってはなんでもないような金額で、ひとりの子がご飯を食べられて学校に行けるのだから賛同しない理由は見つからない。とても可愛い絵を描いて送ってくれる」。
母親が役員を務めるボランティア基金のポスターモデルを無償で引き受けたり、野生動物絶滅保護運動などのメンバーでもある。
2011年10月にはファッション業界に向け「Doctors Without Borders(国境なき医師団)」への寄付をアリゾナ・ミューズと共に呼びかけた。[12]
また、多忙なトップモデルになってもなお変わらずファンの声かけに気さく丁寧に応え続ける誠実な面もあり、ファンを大切にしていることで有名である。
2011年、ファッション界の大御所カール・ラガーフェルドはドイツのトーク番組に出演した際、シャネルのミューズとしてフレジャの名を挙げている。「お気に入りのモデルがいる。私にとっては友人、あるいは娘のような存在だ。彼女の名はフレジャ・エリクセンといって、非常に人気がある。彼女以上の女性はいない。容姿においても人間性にしても申し分のない最良の女性でね、共に仕事をしなくなってもずっと友人でいつづけたいんだ」。[13]
[編集] 交友関係
2008年、モデルのキャサリン・マクニールと交際していた[14]といわれている。
2011年7月、昨年から噂されるモデルのアリゾナ・ミューズとの交際をELLE.comがとりあげ[15]以降、2人がペアで仕事を行う度に話題になっている。互いに相手家族とのプライベート写真をtwitterに公開するなど交流の深さを伺わせるものの、真相についての明言はない。
親交のあるモデル仲間はイリナ・ラザレアヌ、アギネス・ディーン、リリー・ドナルドソン、ラケル・ジマーマン、スネジャナ・オノプカ、イセリン・ステイロ、ハイジ・マウント、ララ・ストーン、アビー・リー・カーショウ、カルメン・ペダル、アリゾナ・ミューズ、ココ・ロシャ、サーシャ・ピヴォヴァロヴァ、クリスチャン・ブリルなど。
[編集] 出典
- ^ “Models.com 50topmodels Freja Beha Erichsen”
- ^ “Vogue UK.com Freja Beha Erichsen Biography”
- ^ “issuu.com interview1”
- ^ “Vogue.com UK Freja Beha Erichsen”
- ^ “v magazine old interview”
- ^ “vmagazine.com top 10 women 2007”. http://www.vmagazine.com/fashion_article.php?n=859
- ^ Vogue Pairs April 2009, Top Models Supplement
- ^ “Vogue.com Freja Beha Erichsen Biography”
- ^ [http://postimage.org/image/oebnh1cbn/ “issuu.com interview2”]
- ^ “Freja Beha Blog”
- ^ “Vogue.com UK Freja Beha Erichsen”
- ^ “Freja Beha Doctors Without Borders October 4th at Paris Fashion Week”
- ^ “The Interview on german tv (ZDF - Markus Lanz) with Karl Lagerfeld”
- ^ Vogue UK August 2008, "Model's Ink", (Page 155)
- ^ “Model News: Arizona & Freja Dating”
[編集] 外部リンク
- Freja Beha Erichsen's Unique Modelling Agency profile
- Freja Beha Erichsen's profile on IMG models webpage
- Freja Beha Erichsen on style.com
- Freja Beha Ercishen profile on New York Magazine
- Freja Beha Ercishen profile on Models.com