ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス

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ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス
Rafael Frühbeck de Burgos
ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(1948年)
基本情報
生誕 (1933-09-15) 1933年9月15日
出身地 スペインの旗 スペインブルゴス
死没 (2014-06-11) 2014年6月11日(80歳没)
学歴 ミュンヘン高等音楽学校
ジャンル クラシック音楽
職業 指揮者

ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(Rafael Frühbeck de Burgos, 1933年9月15日 - 2014年6月11日)は、スペイン指揮者。スペイン・ブルゴスの出身[1]。本名はラファエル・フリューベック(ラファエルが名、フリューベックが姓)で、デ・ブルゴスは「ブルゴス(出身)の」という意味である。

人物・来歴[編集]

1933年生まれ。父はドイツ人、母はドイツ系スペイン人で、キャリアも両国にまたがっている。ビルバオマドリードの音楽院でヴァイオリンピアノ作曲を学んだ後、ミュンヘン高等音楽学校に留学して優等で卒業した。指揮科でリヒャルト・シュトラウス賞を授与される。

フランス・スペイン音楽とドイツ・オーストリア音楽の両方をメジャーレパートリーとした[1]ベルリン放送交響楽団ベルリン・ドイツ・オペラライン・ドイツ・オペラの音楽監督や、ビルバオ交響楽団の首席指揮者やウィーン交響楽団モントリオール交響楽団の音楽監督を歴任しただけでなく、欧米各地のオーケストラに客演してきた。またスペイン国立管弦楽団の音楽監督も長く務めた。なお、フィラデルフィア管弦楽団を指揮して米国デビューを果たしている。

数々のレーベルにまたがって積極的な録音活動を行なっており、代表的音源にメンデルスゾーンの『エリヤ』、モーツァルトレクィエムオルフの『カルミナ・ブラーナ』、ビゼーの『カルメン』、ファリャの管弦楽曲集などが挙げられる。1997年にベルリン放送交響楽団を率いて来日した際、サントリーホールで収録されたブラームス交響曲第1番の演奏風景は、2006年DVD化されており、きわめて評価が高い。

日本での活動[編集]

読売日本交響楽団へは1974年に初登場[1]。1980年には同楽団の4代目の常任指揮者を務めた[1]。その後も同楽団の首席客演指揮者、名誉指揮者(1990年 - )を務め[1]、同楽団での公演回数は169回にもなった[2]。とりわけスペイン音楽の演奏は評価が高く、アンコール曲として頻繁に取り上げられたヒメネスの『ルイス・アロンソの結婚』間奏曲は、フリューベックの代名詞とも呼ばれ好評であった[2]。2012年に同楽団で公演したのが日本最後の公演となった[1]

引退表明と死[編集]

2012年にデンマーク国立交響楽団の首席指揮者に就任していたが[3]、体調悪化のため2014年6月4日に引退が表明された[3]。日本でも2日後の6月6日に指揮活動より引退することが報道された。「私は癌に侵されており、主治医たちとの協議の結果、今後の一切の指揮活動を中止するべきとの結論に達しました。私自身、とても残念ですが、プロフェッショナルとして活動を続けることが保証できない以上、引き際がやってきたことを認めざるをえません」とコメントを寄せた[2]。その5日後の6月11日、スペインのナバラ州パンプローナ市内の病院で死去した[1][3]。80歳没。

参考文献[編集]

脚注[編集]

注釈・出典[編集]

先代
不明
ビルバオ交響楽団
首席指揮者
1958年 - 1962年
次代
不明
先代
アタウルフォ・アルヘンタ
スペイン国立管弦楽団
首席指揮者
1962年 - 1978年
次代
アントニ・ロス=マルバ
先代
不明
デュッセルドルフ交響楽団
音楽監督
1966年 - 1971年
次代
不明
先代
若杉弘
読売日本交響楽団
常任指揮者
1980年 - 1983年
次代
ハインツ・レーグナー
先代
ヘスス・ロペス=コボス
スペイン国立管弦楽団
音楽監督
1988年 - 1991年
次代
アルド・チェッカート
先代
フランク・シップウェイ
RAI国立交響楽団
音楽監督
2001年 - 2007年
次代
フランツ・ユライ・ヴァルチュハ
先代
マレク・ヤノフスキ
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
首席指揮者
2004年 - 2011年
次代
ミヒャエル・ザンデルリング
先代
トーマス・ダウスゴー
デンマーク国立交響楽団
首席指揮者
2012年 - 2014年
次代
ファビオ・ルイージ