フランティシェック・ストラカ
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| 名前 | ||||||
| ラテン文字 | František Straka | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 | ||||||
| 生年月日 | 1958年5月21日(54歳) | |||||
| 出身地 | チェスケー・ブディヨヴィツェ | |||||
| 身長 | 182cm | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | DF | |||||
| 代表歴 | ||||||
| 1983-1990 | 35 (0) | |||||
| ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
フランティシェック・ストラカ(František Straka, 1958年5月21日 - )は、チェコ出身、ドイツ国籍の元サッカー選手、現サッカー指導者。2009年にチェコ代表の監督を務めた。
相手分析、そしてコミュニケーション&モチベーション能力が高く、選手達のポテンシャルを引き出し、短期的に結果を残すことが出来る監督として知られている。選手の人望も厚くUEFA欧州選手権2008後のチェコ代表監督最有力候補として名前が挙がっていた。ドイツの名将クリストフ・ダウムとは旧知の仲である。
オーストリア・ブンデスリーガのFCヴァッカー・チロルでは「熱い魂を持つ監督」としてサポーターの間で「ここ20年間で最も人気の高い監督」に選ばれた。
目次 |
経歴 [編集]
選手として [編集]
チェコスロバキアを含む共産圏では30歳になるまで国外への移籍は禁止されていた。そのため国際レベルのDFとしての実力を持ち、実際にドイツ・ブンデスリーガからのオファーがあったのにも関わらず国外への移籍を実現できなかった。1980年から1988年までチェコスロバキアリーグの強豪ACスパルタ・プラハ(現在はチェコのガンブリヌス・リーガ所属)でイワン・ハシェックやユリウス・ベーリックと共にプレーした。守備の要として223試合10得点の結果を残した。
1988年から1994年までドイツのブンデスリーガやドイツ2部でプレー。所属したクラブはボルシア・メンヒェングラットバッハ、 1.FCケルン、ハンザ・ロストック、ヴッパーターラーSVボルシア。ドイツでは計179試合4得点の結果を残した。
チェコスロバキア代表の守備の中心選手として1983から1990年までプレー。ジョゼフ・ベングロシュ監督の下、1990 FIFAワールドカップにも主力選手として出場。準々決勝まで進出するが、その後優勝を果たすドイツ代表を相手に0-1で敗戦を喫した。1990 FIFAワールドカップ本大会での背番号は6番。
指導者として [編集]
現役引退後は指導者の道へ進む。2003年9月1日からはFKテプリツェの監督に就任すると初年度からチェコカップ優勝、チェコリーグ2位の結果を残した。ヨーロッパカップでは1.FCカイザースラウテルン、フェイエノールトなどヨーロッパの強豪を破りUEFAカップ本大会3回戦に進出し、FKテプリツェの奇跡と言われた。
2004年3月30日からはACスパルタ・プラハの監督に就任。2004-05シーズンのリーグ戦では2位との差が9ポイント、と圧倒的な強さで首位を走るが、「UEFAチャンピオンズリーグ本大会で勝利を挙げることが出来なかったこと」(クラブ発表)との理由から解雇された。しかし実際の理由はサポーターの間で非常に人気が高かったストラカをクラブ会長が嫉んだから、と言われている[要出典] 。ストラカの解任後、熱狂的なサポーター2000人がクラブハウスの前で抗議デモを起こした。
2006年4月1日、FCヴィクトリア・プルゼニの会長の要請により短期的に監督を引き受ける。2部降格が確実とされていたクラブを数週間で立て直し、最終節アウェーでのACスパルタ・プラハ戦で3-1で勝利し1部残留を果たす。
2004-05シーズンからは、LRアーレンの監督に就任。3部降格の危機にあったクラブを立て直し、2部残留を果たした。
アルバニア代表監督就任がほぼ確定していたが、オーストリア・ブンデスリーガの名門、FCヴァッカー・チロルからオファーを受けたことによりアルバニア代表監督を辞退した。
2006年6月1日からはFCヴァッカー・チロルの監督に就任。昨シーズンオーストリア・ブンデスリーガで9位と残留争いをしていたクラブを数ヶ月間で立て直し、多くの地元チロル州出身の若手選手を抜擢、同時にチェコのネットワークを利用し数人のベテランチェコ人選手を格安の移籍金で獲得、リーグ上位を狙えるチームを作り上げた。
2006年11月12日、オーストリア・ブンデスリーガにてFCヴァッカー・チロルの12倍の年間予算を誇るレッドブル・ザルツブルクを2-1で破る、という結果を残し、チロルのサッカーファンを熱狂させた。
2009年5月13日、チェコ代表の監督に就任した。
2010年6月、Aリーグのノースクイーンズランド・フューリーFCの監督に就任。
選手経歴 [編集]
- 1979-1988
ACスパルタ・プラハ - 1988-1991
ボルシア・メンヒェングラットバッハ - 1991-1992
ハンザ・ロストック - 1992-1996
ヴッパーターラーSVボルシア - 1996-1998
ヴィクトリア・ケルン
指導者経歴 [編集]
- 1999.7.1-2001.11.30
ヴッパーターラーSVボルシア 監督 - 2003.7.1-2003.8.31
FKテプリツェ ヘッドコーチ - 2003.9.1-2004.3.30
FKテプリツェ 監督 - 2004.3.30-2004.12.16
ACスパルタ・プラハ 監督 - 2005.3.7-2005.10.25
LRアーレン 監督 - 2006.4.1-2006.5.31
FCヴィクトリア・プルゼニ 監督 - 2006.6.1-2007
FCヴァッカー・チロル 監督 - 2007-2008
SKディナモ・チェスケー・ブジェヨヴィツェ 監督 - 2008-2009
OFIクレタ 監督 - 2009
チェコ代表 監督 - 2009-2010
MFKルゾンベロク 監督 - 2010-2011
ノースクイーンズランド・フューリーFC 監督 - 2011
アルカ・グディニア 監督 - 2011-2012
SKスラヴィア・プラハ 監督
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