フランツ・ザルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナ

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フランツ・ザルヴァトール大公、1910年

フランツ・ザルヴァトール・フォン・エスターライヒ=トスカーナFranz Salvator von Österreich-Toskana, 1866年8月21日 アルトミュンスター - 1939年4月20日 ウィーン)は、イタリアの旧トスカーナ大公国の統治者ハプスブルク=トスカーナ家の一員で、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人。騎兵大将。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の娘婿。

生涯[編集]

最後のトスカーナ大公フェルディナンド4世の弟カルロ・サルヴァトーレ(カール・ザルヴァトール)大公、その妻で両シチリア王フェルディナンド2世の娘であるマリーア・インマクラータの間の次男として、アルトミュンスター(オーバーエスターライヒ州グムンデン郡)で生まれた。全名はフランツ・ザルヴァトール・マリア・ヨーゼフ・フェルディナント・カール・レオポルト・アントン(Franz Salvator Maria Joseph Ferdinand Karl Leopold Anton von Österreich-Toskana)である。

テレジア・アカデミー公立中等学校(Öffentliches Gymnasium der Stiftung Theresianische Akademie)を卒業後、ガリツィア駐屯第6槍騎兵連隊(Galizisches Ulanen-Regiment „Kaiser Joseph II.“ Nr. 6)の少尉に任官し、1895年にはチロル駐屯の狙撃兵連隊(K.u.k. Kaiserjäger)へ、その後騎兵部へ転属となった。1911年には騎兵大将(General der Kavallerie)となり、最終的にはウィーン駐屯の騎兵師団長となった。第1次世界大戦中は、志願看護兵団の統監およびオーストリア=ハンガリー赤十字社の代表を務めた。

1890年7月31日にバート・イシュルにおいて、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の末娘マリー・ヴァレリーと結婚し、間に4男6女の10人の子女をもうけた。結婚生活ははじめ順調だったが、フランツ・ザルヴァトールが他の女に手を出し始めると険悪になった。

1914年の初め、フランツ・ザルヴァトールは愛人の1人であったユダヤ系の弁護士の娘シュテファニー・リヒター(Stephany Richter)を妊娠させた。リヒターは同年5月にホーエンローエ=ヴァルデンブルク=シリングスフュルスト家の公子フリードリヒ・フランツ(1879年 - 1958年)と結婚し、12月に産んだフランツ・ザルヴァトールの息子に夫の姓を名乗らせた。リヒターはのちに『名誉アーリア人』となり、ナチスドイツのスパイとして暗躍したことで知られている。

1934年、マリー・ヴァレリーと死別して10年後にライゼンフェルス男爵夫人メラニー(1898年 - 1984年)と再婚したが、間に子供は生まれなかった。

子女[編集]

最初の妻マリー・ヴァレリーとの間に10人の子女をもうけた。

また、シュテファニー・リヒターとの間にも息子をもうけた。息子はリヒターの夫の実子として育てられた。

  • フランツ・ヨーゼフ・フォン・ホーエンローエ=ヴァルデンブルク=シリングスフュルスト(1914年 - )