フランチェスコ・マリーア2世・デッラ・ローヴェレ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
フランチェスコ・マリーア2世像

フランチェスコ・マリーア2世・デッラ・ローヴェレ (Francesco Maria II della Rovere, 1549年2月20日 - 1631年4月23日)は、イタリアコンドッティエーレウルビーノ公(在位:1574年-1631年)。

グイドバルド2世・デッラ・ローヴェレの子としてペーザロで生まれた。

1570年、フェラーラエルコレ2世の子ルクレツィア・デステ(1535年-1598年)と結婚。彼女との間に子供のないまま1598年に死別し、1599年にリヴィア・デッラ・ローヴェレ(1583年-1641年)と再婚。彼女との間に長男フェデリーコ・ウバルド・デッラ・ローヴェレをもうけた。

しかし、フェデリーコは妻クラウディア・デ・メディチとの間に一女ヴィットーリアを残して1623年に若死にした。男子の後継者のいなくなったデッラ・ローヴェレ家は、フランチェスコ・マリーア2世の死後ヴィットーリアを相続人に指定していたが、教皇領にされた。

執筆の途中です この「フランチェスコ・マリーア2世・デッラ・ローヴェレ」は、イタリア歴史関連の書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(PJイタリア/P:イタリア