フランソワ・ド・ラロック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

フランソワ・ド・ラロック(François de La Rocque, 1885年10月6日 - 1946年4月28日)はフランス軍人右翼団体火の十字団」の指導者。

生家は伯爵家に連なる貴族。ブルターニュ海軍中尉の四男として生まれ、優秀な成績で士官学校を卒業後、北アフリカに赴任し1917年には第一次大戦で苦戦していた本国に戻り数々の戦功を挙げた。大戦終結後は、事務仕事につき1920年にはポーランドの支援に向かっている。帰国後まもなく植民地モロッコで発生した原住民反乱に鎮圧へおもむき成功した。しかし、健康上の理由やこれ以上の出世を望めない(当時は中佐)ことから1928年に軍を除隊。それから退役軍人団体「火の十字団」に加入し1931年に総裁に就任。その行動力とカリスマによって1933年までに団員10万人程度まで拡大させたが1936年に人民戦線が政権を握ると火の十字団は解散に追い込まれる。

しかし、ラロックは自らの組織をフランス社会党(現在の社会党とは無関係)に衣替えして、民族主義反共主義を主張し勢力を拡大。第二次世界大戦でのフランス降伏後のヴィシー政権下にあっては、ドゴールのようにフランスの外から抵抗するという道は選ばなかったが、地下抵抗運動に関わっている。1943年にゲシュタポに逮捕され、イッター城英語版収容所にて2年あまりの強制収容所生活を送り健康を害した。1945年春、イッター城の戦いを経て収容所から解放された後も拘留され帰国後も危険人物として監視下におかれ、十分な治療を受けられないまま1946年に病死。死後、支持者や遺族たちが公式の名誉回復を求め、ドゴールによって1962年にようやく実現した。

参考文献[編集]

  • 『記憶の中のファシズム 「火の十字団」とフランス現代史』 剣持久木(著) 講談社選書メチエ

外部リンク[編集]