フランシスコ・モラサン
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フランシスコ・モラサン
Francisco Morazán |
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| 任期 1829年4月13日 - 6月14日 |
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| 任期 1830年9月16日 - 1834年9月16日 |
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| 任期 1835年2月14日 - 1839年2月1日 |
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| 任期 1839年7月11日 - 1840年2月16日 |
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| 任期 1842年4月 - 9月 |
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| 出生 | 1792年10月3日 |
| 死亡 | 1842年9月15日(満49歳没) |
| 政党 | 自由党 |
| 配偶者 | マリア・ホセファ・ラスティリ (en) |
| 信仰 | カトリック教会 |
| 署名 | |
フランシスコ・モラサン(Francisco Morazán、1792年10月3日 - 1842年9月15日)は、中米連邦の政治家、軍人、カウディーリョである。
ホンジュラス出身。1830年から1834年、1835年から1839年まで中米連邦の大統領であり、中央アメリカを列強の従属国にしたくない一心で五州(後にロス・アルトスが加わる)の分離主義を前に、自由派として中米連邦の維持に心を砕き、ラファエル・カレーラを代表するグアテマラの保守派と戦い続けた。
しかし、連邦崩壊後の1840年にグアテマラでの戦いに敗れると、ペルーに亡命して客将として戦い、1842年にコスタリカ大統領になったものの、中米連邦再興のためにニカラグア侵攻を計画していたところを同年暗殺された。
ホンジュラスの5レンピラ紙幣に肖像が使用されている。
| 先代: マヌエル・ホセ・アルセ (en) |
1829年4月13日 - 6月14日 |
次代: ホセ・F・バルンディア (en) 暫定大統領 |
| 先代: ホセ・F・バルンディア 暫定大統領 |
1830年9月16日 - 1834年9月16日 |
次代: グレゴリオ・サラサール (en) 暫定大統領 |
| 先代: グレゴリオ・サラサール 暫定大統領 |
1835年2月14日 - 1839年2月1日 |
次代: ディエゴ・ビルギル (en) 暫定大統領 |
| 先代: アントニオ・ホセ・カーニャス (en) |
1839年7月11日 - 1840年2月16日 |
次代: ホセ・マリア・シルバ (en) |
| 先代: ブラウリオ・カリーリョ (en) |
1842年4月 - 9月 |
次代: アントニオ・ピント (en) |