フランコ・ブリエンツァ

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フランコ・ブリエンツァ Football pictogram.svg
名前
本名 Franco Brienza
カタカナ フランコ・ブリエンツァ
ラテン文字 Franco BRIENZA
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 1979年3月19日(35歳)
出身地 カントゥ
身長 168cm
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 アタランタBC
ポジション MF, FW
背番号 23
利き足 左足
代表歴2
2005 イタリアの旗 イタリア 2 (0)
2. 2008年7月30日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フランコ・ブリエンツァ(Franco Brienza, 1979年3月19日 - )は、イタリアカントゥ出身のサッカー選手セリエAアタランタBCに所属している。左右ウィングを得意とするが、トップ下センターフォワードなど攻撃的ポジションを複数こなす。

経歴[編集]

いくつかのクラブでユース時代をすごした後、1997年にセリエBに所属していたUSフォッジャでプロデビューし、3年間プレーした。素質を評価され21歳の時にASローマと契約したが、すぐさまセリエC1パレルモに貸し出された。この移籍は、当時のローマ会長であったフランコ・センシがパレルモも所有していたために実現したものであり、若手に経験を積ませるためにブリエンツァら数名の選手が送り込まれた。パレルモでは主力として活躍し、セリエC1優勝を経験。2002年に完全移籍する。マウリツィオ・ザンパリーニがパレルモを買い取った2002-03シーズンは開幕後にアスコリにレンタル移籍し、7ゴールを挙げた。翌シーズンはパレルモに戻り、主力として活躍したが、1月にペルージャに期限付き移籍。ここで初めてセリエAでプレーする機会を与えられた。ブリエンツァはペルージャでもレギュラーを勝ち取ったがチームは降格。シーズン終了後にセリエBで優勝したパレルモに戻る。パレルモにとって32年ぶりのセリエA挑戦となった2002-03シーズンは、ペルージャでチームメイトだったファビオ・グロッソや、エースのルカ・トーニなどと共に不可欠な存在となり、10ゴールを挙げた。この活躍によりマルチェロ・リッピ監督率いるイタリア代表にも選ばれ、2005年6月8日のセルビア・モンテネグロ戦でA代表初キャップを記録した。

2005-06シーズンは、さらなる飛躍が期待されていたが新監督ルイジ・デル・ネーリのもたらした4-4-2のフォーメーションに適応できず、出場機会を大きく減らしてしまった。その後もパレルモでさしたる活躍ができずにいたが、2007-08シーズン後半戦から期限付き移籍したレッジーナでは半年で7ゴールをマークし、復活した。その後完全移籍し主力としてさらに2シーズンプレー。セリエBでプレーすることになった2009-10シーズンは11得点を挙げたが、このシーズン限りでレッジーナを退団し、シエナと契約した。シエナでは一年目にセリエA昇格を成し遂げる。2年目はジュゼッペ・サンニーノ監督のもとトップ下として新境地を開拓し、プレイメーカーとして素晴らしい活躍を見せた。この活躍からシーズン終了後、サンニーノ監督が就任したかつての古巣、パレルモに34歳にして復帰することになった[1]

しかし、わずか開幕3試合でサンニーノ監督が解任。ブリエンツァ自身はその後も出場機会を得ていたが、冬の移籍市場最終日の2013年1月31日、アタランタBCへの完全移籍が決まった[2]

タイトル[編集]

所属クラブ[編集]

イタリアの旗 USチッタ・ディ・パレルモ 2000-2002 (loan)
  • イタリアの旗 USチッタ・ディ・パレルモ 2002-2008
イタリアの旗 アスコリ・カルチョ 2002-2003 (loan)
イタリアの旗 ペルージャ・カルチョ 2004(loan)
イタリアの旗 レッジーナ・カルチョ 2008(loan)

脚注[編集]

  1. ^ “MOVIMENTI DI MERCATO” (Italian). palermocalcio.it. (2012年6月22日). http://palermocalcio.it/it/1112/news/scheda.php?id=26869 
  2. ^ “BRIENZA SI TRASFERISCE ALL'ATALANTA LORES E SOSA CEDUTI IN PRESTITO” (Italian). palermocalcio.it. (2013年1月31日). http://palermocalcio.it/it/1213/news/scheda.php?id=27985