フラウィア・マクシミアナ・テオドラ
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銅貨の表面にあしらわれたテオドラ(左)。裏面は一族の女神ピエタス(右)。
フラウィア・マクシミアナ・テオドラ(Flavia Maximiana Theodora, 生没年不詳)は、ローマ皇帝マクシミアヌスの義理の娘である。通常、単にテオドラと呼ばれる。
概要 [編集]
実の両親はフラウィウス・アフラニウス・ハンニバリアヌスとエウトロピア。2人は283年以前には離婚しており、エウトロピアはのちにマクシミアヌスの妻となった。
実父のハンニバリアヌスは292年にコンスルを務め、ディオクレティアヌスの治世ではプラエフェクトゥス・プラエトリオ(近衛隊長官)も務めた。
293年、テオドラはフラウィウス・ウァレリウス・ユリウス・コンスタンティウス(のちのコンスタンティウス・クロルス)と結婚する。コンスタンティウスは結婚を通して自身の政治的地位を高めていくことになる。
息子および娘 [編集]
3人の息子と3人の娘がいた。
- フラウィウス・ダルマティウス - 333年にケンソル(監察官)を務めている
- ユリウス・コンスタンティウス - ローマ皇帝フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌスの父
- ハンニバリアヌス
- アナスタシア - ローマ皇帝ウァレリウス・リキニアヌス・リキニウス(リキニウス2世)の母
- エウトロピア - 350年6月3日、ローマ皇帝を僭称しローマに入城したネポティアヌスの母