フライング・スコッツマン

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フライング・スコッツマン、2003年の撮影

フライング・スコッツマンFlying Scotsman)は、ロンドン - エディンバラ間の列車の愛称である。その名の通り「空飛ぶスコットランド人」という意味である。

また、蒸気機関車でフライング・スコッツマンの名前をつけられた車両(LNER クラス A3 No.4472)が存在する。

誕生[編集]

鉄道が開通する前の19世紀前半には、首都ロンドンとスコットランドの古都エディンバラの間は、当時の主力な交通手段である駅馬車によって結ばれていた。エディンバラ行きの駅馬車は「空飛ぶ馬車(Flying Coach)」と呼ばれ、約600kmの道のりを2日かけて走っていた。しかし当時は舗装されていない道が多く、乗り心地は悪かったと言われている。

1850年ブリテン島東海岸に沿ってロンドン・エディンバラ間がグレート・ノーザン鉄道Great Northern Railways、GNR)とノース・イースタン鉄道(North Earstern Railways、NER)により結ばれた。1852年にはロンドンのキングス・クロス駅が完成した。1862年、ロンドン・エディンバラ間を急行列車が結ぶこととなり、この列車が「フライング・スコッツマン」と称されることとなった。エディンバラ行きの列車は午前10時にキングス・クロスを出発し、10時間半後の午後8時35分にエディンバラに到着した。

列車は途中、ヨーク(午後2時半)、ニューカッスル(午後5時55分)などの駅に停車した。当初は食堂車はおろかトイレすら設置されておらず、駅に着くたびに乗客が食堂やトイレに走った(そのための停車時間も用意されていた)。用を足していたり料理を待っている間に列車の発車ベルが鳴り、乗り遅れることもあったと言われる。

当時のイギリスの優等列車には1等車と2等車しか設置されておらず、3等車はスピードの遅い列車にしかなかった。1872年ごろから他の鉄道会社との間でサービス競争が始まったが、このフライング・スコッツマンだけは例外だった。3等車が連結されたのは1887年11月になってからだった。20世紀が始まる頃にはトイレや食堂車など車内サービスも充実していった。

ロンドンとエディンバラを走る線路のうち、イースト・コースト本線の所要時間は並行する鉄道会社とのサービス競争の中で短縮され、1888年には初めて7時間27分で結ぶことに成功した(のち、安全確保のため延長される)。

4大私鉄時代[編集]

1922年、GNRの技師長(鉄道車両開発の技術責任者)のナイジェル・グレズリーは、急行旅客列車けん引用に軸配置4-6-2パシフィック)の3気筒蒸気機関車クラス A1」を設計し、同社のドンカスター鉄道工場 (Doncaster railway works)で製造を開始した。

1923年、イギリスの数多の鉄道会社は4大私鉄 ("Big Four") に統合された。グレズリーはGNRやNERの統合により誕生したロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道 (LNER) においても技師長に就任し、クラスA1蒸気機関車の製造も継続された。この年にクラスA1 No.1472として製造された機関車はフライング・スコッツマンと命名された[1][2]

クラスA3はグレズリーが、クラスA1を基本とし、ボイラー圧力の変更等を加えて設計したもので、1928年から製造が始まり、既存のクラスA1も大部分がクラスA3に改造された。No.4472のクラスA3への改造は1947年のことであった。全長21.6メートル、高さ4メートル、重量159トン、3つのシリンダーを備え、最高速度は時速177キロ。

コリドー・テンダーを採用したクラスA1蒸気機関車No.4472の炭水車の後部。進行方向右側に通路が設置されていて、妻面に通路の明かり取りの窓と客車との貫通幌がある。1928年撮影

1920年代終盤、LNERはフライング・スコッツマンのロンドン - エディンバラ間ノンストップ運転を計画した。ノンストップ運転は営業面では必ずしも得策とは言えなかったが、ライバル鉄道、特にウエスト・コースト本線を持つロンドン・ミッドランド・アンド・スコティッシュ鉄道(LMS)の看板列車「ロイヤル・スコット」との競争があり、LNERの威信を示すものとして必要とされていた。

長距離無停車運転の技術的な問題として機関車への給水と乗務員の交代の二点があるが、給水に関しては従来からレールの間に水路を設置し、機関車から走行中に「吸水」するという方法が採用されていた。残る乗務員の交代に関しては、コリドー・テンダーと呼ばれる、客車から運転室までの通路付きの炭水車を導入することで解決した。コリドー・テンダーは10両が製造され、No.4472を含むクラスA1およびクラスA3から選ばれた機関車に装備された。

1928年5月1日、フライング・スコッツマンのロンドン - エディンバラ間のノンストップ運転が開始され、ロンドン発の一番列車はNo.4472が牽引した。当時のフライング・スコッツマンの客車にはカクテルバー、映写室、化粧室などが設置され、最先端のサービスが提供されていた。なお、ノンストップ運転は毎年夏期のみの運行であった。

1935年に導入された クラス A4の増備が進むと、クラスA3は次第にフライング・スコッツマンの牽引から退いて行った。1937年にはNo.4472もコリドー・テンダーを他の機関車に譲り、以後は通常のテンダーを装備した。

フライング・スコッツマンは第二次世界大戦中、ドイツの爆撃機V-1V-2が飛来する最中でも、キングス・クロスを午前10時に出発し続けた。

第二次世界大戦後の変遷[編集]

フライング・スコッツマン塗装のクラス91機関車(2011年5月)

第二次世界大戦後1947年、イギリスの鉄道は国有化され国鉄(British Railways:BR)となった。しかしこの頃、世界的なモータリゼーションと航空路の発達により鉄道は斜陽の時代に入っていた。時を同じくして電車ディーゼル機関車の普及により蒸気機関車も淘汰され始めた。フライング・スコッツマンも例外ではなく、1963年からは、出力2460馬力のクラス55電気式ディーゼル機関車"Deltic"(デルティック)が牽引機となる。1976年からは"HST"(High Speed Train)とも呼ばれる"InterCity 125"(クラス43ディーゼル機関車 + Mark 3 客車)が投入されて、最高速度 200 km/h 運転となる。1990年に東海岸本線の全線電化が完成してからは"InterCity 225"(クラス91電気機関車 + Mark 4 客車)となり、最高速度が 225 km/h に引き上げられて、現在に至っている。

1990年に発足したメージャー政権は鉄道民営化を掲げ、1994年にイギリス国鉄を民営化、旅客輸送事業のフランチャイズ制が導入されたことにより多数の旅客列車運行会社が誕生した。その中で東海岸本線を担当するグレート・ノース・イースタン鉄道(Great North Eastern Railway:GNER)が、引き続きこの路線の特急列車の運行にあたっていたが、同社のイースト・コースト本線の運営権は2007年12月8日で満了となった。

翌2007年12月9日からは、イースト・コースト本線の運営権を購入したナショナル・エクスプレス・イースト・コースト社(National Express East Coast:NXEC、イギリスの交通事業者であるナショナル・エクスプレス社の系列企業)によって、2015年3月31日までの契約で運営されていた。しかし、同社の経営難により、契約期間を5年以上残して、2009年11月13日を最後に、同社は運営から撤退した。

2009年11月14日からは、政府出資の持株会社「ダイレクトリー・オペレーテッド・レールウェイズ」社の子会社である「イースト・コースト・メインライン」社が、「イースト・コースト」の商標名で、「フライング・スコッツマン」号を運転している。

現在もフライング・スコッツマンという列車名は伝統の午前10時、キングズクロス発と午後1時エディンバラ発のNXECの列車に使われている。この列車はInterCity 225の編成が使用され、ロンドン・エディンバラ間を4時間半で結んでいる。GNER時代には、車両に”The Route of the Flying Scotsman”の文字が記されていた。

クラスA3 No.4472の保存活動[編集]

一方、クラスA3 No.4472は1963年に引退後、アメリカ人実業家アラン・ペグラーに売却され、イギリス国内でのツアー運転に使用された。イギリス国内での蒸気機関車による定期運転が消滅し、線路内の給水路も無くなったため、長距離運転時の水を確保するため、2両目の炭水車が追加された。1969年には大西洋を渡りテキサス州などで遊覧列車として走ることとなった。この時アメリカの鉄道法規に従い前照灯、ベル、カウキャッチャーが付けられたので、オリジナルの外観は失われてしまった。

1972年、ペグラーが破産手続を申請したことで、A3型はアメリカ政府当局により没収、スクラップとなるところだった。その没収手続きが始まろうとした寸前、イギリスの経済人が買い取り、無事にA3型はイギリスに戻ることとなった(この辺は後述する「機関車のぼうけん」でもある程度言及されている)。外観もオリジナルに戻され、2004年、ヨークにある国立鉄道博物館の所有物となり、2005年にも臨時列車として走っている(この時の炭水車は1台)。2006年から、1988年以来18年ぶりとなる全検(オーバーホール)が行われている。運行再開は当初2010年以降とされていたが、スケジュールの遅延により2013年の再開が見込まれている。

No.4472の番号の変遷[編集]

イギリスの鉄道会社の変遷とともにクラスA3の番号も変化した。

  • 1923-1924(ロンドン&ノースイースタン鉄道LNER):1472
  • 1924-1946(ロンドン&ノースイースタン鉄道LNER):4472
  • 1946(ロンドン&ノースイースタン鉄道LNER):502
  • 1946-1948(ロンドン&ノースイースタン鉄道LNER、国鉄BR):103
  • 1948-1963(国鉄BR):60103

現在はLNER当時の番号が付されている。

汽車のえほん[編集]

ウィルバート・オードリー著「汽車のえほん」の23巻、「機関車のぼうけん」に登場。同作品に登場する他の機関車と同じくボイラーの先端に顔がある。また、同作品に登場するゴードンはフライング・スコッツマンの兄弟という設定である。なお、この作品を原作とするTV人形劇「きかんしゃトーマス」では、ゴードンの機関士曰く、『よそから来た機関車』として炭水車の部分のみが登場し、原作におけるフライング・スコッツマンとは完全に別の機関車とされている。

ゲーム[編集]

パソコンゲームの「Microsoft Train Simulator」で、1920年代当時のフライング・スコッツマンを運転できる。

その他[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 1924年にNo.4472に改番。
  2. ^ クラスA1/A3は当時の有名な競走馬から命名されたものが多い。なおフライング・スコッツマンという名の競走馬も存在した。