フョードル3世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フョードル3世

フョードル3世(Фёдор III Алексеевич, 1661年6月9日 - 1682年5月7日, 在位1676年 - 1682年)はロマノフ朝第3代のモスクワ大公ツァーリアレクセイ・ミハイロヴィチの三男。母はマリヤ・ミロスラフスカヤ

[編集] 生涯

14歳で即位。外戚のミロスラフスキー家によって、ナルイシキン派の重臣マトヴェーエフが追放された後は、ヴァシーリー・ゴリツィン公が実権を掌握した。宗教問題では、ニコンの名誉回復を行ったものの、古儀式派への弾圧は継続された。軍隊改革を断行、軍の指揮系統を家門で決める門地制を廃止して、能力本位の軍隊へと移行させる。さらに1680年からは土地調査も試みられた。外交では、継続中の対トルコ戦争が終結し、1682年のバフチサライ条約でモスクワ側のキエフ領有が承認された。

フョードルは、当時のロシア貴族社会ではめずらしく高度な教育を受け、文学的才能にも恵まれていた。ラテン語ポーランド語を理解したと言われる。やや病弱だったが、長時間の公務はこなせる程度だったらしい。1680年、正教を奉じるポーランド貴族の娘アガフィヤ・グルシェフスカヤと結婚し、宮廷では彼女の持ち込んだ西欧風の礼儀作法やファッションが流行した。しかしアガフィヤは最初の出産で子供と一緒に亡くなり、若いツァーリは悲嘆にくれた。世継ぎを望むミロスラフスキー家の説得でマルファ・アプラクシナと再婚した2か月後、フョードルは後継者を指名しないまま病死した。この後、ゴリツィン公と結んだ姉ソフィアが、1689年まで摂政として君臨した。

[編集] 参考文献

先代:
アレクセイ
モスクワ大公
全ルーシのツァーリ
1676 - 1682
次代:
イヴァン5世ピョートル1世
(共同統治)