フォード・ピント

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ピント (Pinto) は、フォード・モーターが発売していたサブコンパクトカーである。同社の元社長であるリー・アイアコッカが責任開発者となっており、また構造上の欠陥が問題となったことで有名である。

フォード・ピント

概要[編集]

ピントは北米市場向けに製造され、1970年9月11日に販売を始めた。当時アメリカのコンパクトカー市場はフォルクスワーゲンや、ダットサン日産自動車)、トヨタ自動車といった日本車メーカー、同じアメリカの自動車会社が競って参入する熾烈な状況となっており、この状況に対抗するため、同社のマーキュリー部品を共通化し、通常は約43ヶ月かける開発期間を僅か25ヶ月に短縮、市場へ投入されたが、後にこれが重大な問題(後述)となる。1972年にはステーションワゴンも発売され、価格も破格の2,000ドル以下ということで人気を博していった。その後数回の小規模なマイナーチェンジを繰り返し、1979年にはヘッドランプを角形とする変更を行い、翌年にフォード・エスコートにその座を譲り生産を終了した。姉妹車にマーキュリー・ボブキャットが存在する。

また、1973年から1974年にかけてピント・パングラと呼ばれる、ターボチャージャーデジタルメーターを装備したホットモデルも販売されていた(価格は5000ドル)。

当初販売面ではAMCが開発していた競合車種であるグレムリンに敗北したものの、そのグレムリンも売り上げこそは好調だったものの評価は良いとは言えず、後にピントが巻き返した。とはいえ、当時コスト削減のために品質が必然的に犠牲になった時代背景もあり、2005年NBCが行った「オールタイム・アメリカン・ワースト・カー」と呼ばれる調査において、同時期に発売されていた車種のほとんどがランクインしていることもまた事実である。

ピントはストックカーレースのベースとしても用いられ、大いに活躍した。

エンジン[編集]

  • 1971年モデル
    • 1.6 L (98 CID) OHV I4 - 75hp (56kW) and 96ft.lbf (130Nm)
    • 2.0 L (122 CID) SOHC I4 - 100hp (74.5kW)
  • 1972年モデル
    • 1.6 L Kent - 54hp (40kW)
    • 2.0 L EAO - 86hp (64kW)
  • 1973年モデル
    • 2.0 L EAO - 86hp (64kW)
  • 1974年モデル
    • 2.0 L EAO - 86hp (64kW)
    • 2.3 L OHC - 90hp (67kW)
  • 1975年モデル
    • 2.3 L OHC - 83hp (62kW)
    • 2.8 L (170 CID) V6 - 97hp (72kW)
  • 1976年モデル
    • 2.3 L OHC - 92hp (69kW)/121ft.lbf (163Nm)
    • 2.8 L Cologne - 103hp (77kW)/149ft.lbf (201Nm)
  • 1977年モデル
    • 2.3 L OHC - 89hp (66kW)/120ft.lbf (162Nm)
    • 2.8 L Cologne - 93hp (69kW)/140ft.lbf (189Nm)
  • 1978年モデル
    • 2.3 L OHC - 88hp (66kW)/118ft.lbf (159Nm)
    • 2.8 L Cologne - 90hp (67kW)/143ft.lbf (193Nm)
  • 1979年モデル
    • 2.3 L OHC - 88hp (66kW)/118ft.lbf (159Nm)
    • 2.8 L Cologne - 102hp (76kW)/138ft.lbf (186Nm)
  • 1980年モデル
    • 2.3 L OHC - 88hp (66kW)/119ft.lbf (160Nm)

欠陥[編集]

ピントに纏わるエピソードとして最も有名なのがいわゆる「フォード・ピント事件」である。

先述の通り、短期間で市場に送り込むこととコスト削減の目的で、通常43ヶ月を要する開発期間を25ヶ月に短縮して市場に送り込まれたが、開発段階でスタイリング重視によるガソリンタンクバンパーが近接した構造と、バンパー及び取付部の強度不足により追突事故に非常に脆弱である欠陥が発覚した。しかし、フォードは欠陥対策に掛かるコストと事故発生時に支払う賠償金額とを比較し、賠償金を支払う方が安価であると判断し、そのまま放置した。

そんな折、市販された翌年の1972年にインターステートハイウェイを走行中のピントがエンストを起こし、約50 km/h で走行していた後続車に追突されて炎上し、運転していた男性が死亡、同乗者が大火傷を負う事故が発生した。この事故での陪審評決でフォードを退社した元社員らが欠陥を知りながら開発を進めた事実を証言し、コスト比較計算の事実も発覚した。結果的にフォードは多額の賠償金の支払いが課せられることとなってしまい、逆に経済的に打撃を受け、加えて製品の信頼性や同社の信用も失墜してしまう皮肉な結果となった。フォードは対策としてガソリンタンクの配置を後車軸上に変更し、ガソリンタンクとバンパーの強化を行う等の対策を取った。

この事件は今日まで大学での企業倫理系統の講義にしばしば題材として用いられ、20世紀フォックス1991年に製作した映画『訴訟』(原題: Class Action)の題材となっている。

関連項目[編集]

参考文献[編集]