フォード・スコーピオ

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スコーピオScorpio )は、1985年から1998年にかけてフォード・モータードイツケルンの工場で製造していたエグゼクティヴカーである。フォード社内ではDE-1のコードネームで知られるこの車はグラナダの後継車であった。しかし英国内では従前通りグラナダのバッジを付け、スコーピオのバッジは最高級グレードにのみ(Granada Scorpio の様に)付けられていた。1994年に第2世代に移行する段階で他の市場と共通のスコーピオに統一された。フォード・スコーピオは1986年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

マークI[編集]

1985-1994年[編集]

フォード・スコーピオ
フォード・スコーピオ 5ドア・ハッチバック
Ford Scorpio front 20070801.jpg
フォード・スコーピオ 5ドア・ハッチバック
FordScorpioMkI-4x4.jpg
フォード・スコーピオ 5ドア・エステート
Ford Scorpio Turnier rear 20071026.jpg
ボディタイプ 5ドアハッチバック、4ドアセダン、5ドアエステート
エンジン ピント・エンジン L4 1.8L、2.0L
L4 DOHC 2.0L
ケルン・エンジン V6 2.4L、2.8L、2.9L
変速機 5速 MT、4速 AT
駆動方式 FR、4x4
-自動車のスペック表-

スコーピオは技術的には多くをシエラを基礎としており、シエラのフロアパン(床構造)を引き伸ばしたものを使用し、そのスタイリングはシエラとエスコート マーク3と同じデザイン哲学を基礎にしていた。エンジンは充分に実力を実証された排気量1.8Lと2.0Lの古臭いピント・エンジン(Pinto engine )と2.4L、2.8L後に2.9Lに拡大されたV6のケルン・エンジン(Cologne engine )で始まった。1989年に2種のピント・エンジンは廃止され2.0 Lは8バルブDOHCエンジンに替えられた。

スコーピオは、ヨーロッパ市場でエグゼクティヴカーを購入しようとしている人がメルセデス・ベンツBMWと並べる主要な選択肢としてフォードの車を挙げるような地位を保ち続けるような役割を持たされていた。フォードは既に前モデルであるグラナダ MkIIで広範囲に渡る各種装備(この時期にはヒーター付電動調節革シート、エアコン、電動サンルーフ、トリップ・コンピューター等のような特別装備が装着できた)を装備して市場に非常に新しい技術を提供してきた。スコーピオではヨーロッパ・フォードでは最初となる熱線ウインドスクリーン、クルーズコントロール四輪駆動が含まれていた。スコーピオは背もたれのホールド感に欠けるのが多少評価を落としつつも非常に乗り心地が良く後部座席の足元の空間も広かったが、頭の側方空間は驚くほど狭かった。スコーピオの最大の長所はヨーロッパの量産車で初めて全てのグレードに渡り標準でアンチロック・ブレーキ・システムを装備したことであった。

グラナダとは異なりスコーピオは当初セダンエステートはなくハッチバック型しか提供されなかった。これはフォードの誤りであることが判り1990年にセダンが、2年後にはワゴンが追加された。数年間の間技術的にはほとんど変更はなく、特筆すべき物は1989年にDOHCエンジンが搭載され、翌年には2.9 L 24バルブのコスワース製V6エンジンを搭載したスコーピオン・コスワースが導入された。多くのシエラ所有者が破損したグラナダからコスワース製エンジンを外しシエラに搭載しアップグレードを図った。これは200+ BHPの出力を手に入れる安価で簡単な手法であった。これらのエンジンの中にはターボチャージャーを装着したものもあり、このエンジンはモータースポーツにも使用された。

コスワース製エンジンは大きく速かったので必然的に燃料消費率は悪かった。多くのオーナーが実際にこのエンジンで出せるのはせいぜい8.8km/L(25マイル/ガロン)程度であると述べていた。初期のマークIコスワースでは経年によりプロペラシャフトに問題が発生することがあった。

マークII[編集]

1994-1998年[編集]

フォード・スコーピオ
フォード・スコーピオ 4ドア・セダン
Ford Scorpio front 20080214.jpg
フォード・スコーピオ 4ドア・セダン
Ford Scorpio rear 20080214.jpg
フォード・スコーピオ 5ドア・エステート
Ford Scorpio 95 Turnier rear 20090309.jpg
ボディタイプ 4ドアセダン、5ドアエステート
エンジン L6 3.8L ガソリン
V8 4.5L ガソリン
変速機 5速 MT、4速 AT
駆動方式 FR
-自動車のスペック表-

第2世代はセダンとステーションワゴンのみが提供され、初代とほとんど同じフロアパンと初代の最終生産期に搭載されていたものと同じエンジンを使用していた。初代と2代目ではサスペンションと操縦性に多くの改善(エステートでのセルフレベリング後輪サスペンションを含む)が図られていた。革新的と言えるほどの変更が内装と外装に施されていた。

内装では新しい肘掛け椅子型のシートと品質が改善されていたが、新しい外観は物議をかもした。ヘッドライトは紡錘形でテールライトバンパーの直ぐ上に薄い線状に配されていた。通常とは異なり、フォードはデザイナーの名前を発表せず今日に至るまで予定販売台数を明かしていない。また実際の販売台数も決して明かさなかった。飛び出したヘッドライトと幅広のグリルはミニキャブ(minicab[1]と見間違うことがないとこのデザインを擁護する者もいたが、報道媒体や一般の人々の大多数は否定的であった。[要出典]

フランス人はこの車を「惨めなカエル」(grenouille triste )と呼び始め[要出典]ジェレミー・クラークソンJeremy Clarkson )は当時のタイムズ紙上で、路上で最も醜い車と評してこの議論を終結させた。スニッフ・ペトロール(Sniff Petrol )の執筆者のリチャード・ポーター(Richard Porter )は2004年の書籍『駄作車』(Crap Cars )の中で2代目のスコーピオを外観の部で50車中49位に挙げている。

特別版DVD『クラークソン:天国と地獄』(Clarkson: Heaven and Hell )の中でクラークソンはスコーピオとトライアンフ・TR 7の間で一騎打ち対決を行い、最終的には両車を正面衝突で破壊した。

1998年初めにスコーピオは、顔つきをおとなしく見せるためにヘッドライト回りを暗く隈取りされグリルを微妙に変更するフェイスリフトを施された。テールライトも車体後端が膨れて見えないように変更された。これがスコーピオに施された最後の改良となり、1998年夏に生産が終了した。しかし生産終了と最末期モデルの販売の間に2年の年月が経過する程、多くのスコーピオの在庫が残っていた。

スコーピオが純粋にフォードの期待した販売台数に達したかそうでないかに関わらず、1990年代末のヨーロッパの自動車市場はスコーピオの後継モデルを出すには程遠い状況であった。当時のこの状況は通常とは異なり、高所得者は高性能の大型ファミリーカー、所帯持ち者はミニバンと2極に分化していた。他のメーカーも同様の状況でボクスホール/オペルオメガの後継車を出さないことに決め、ホンダヨーロッパ市場でのレジェンドの販売を止めた。その一方でローバー・8001999年により小型のローバー・75に代替された。大型高級車の幾つかは(レジェンドのように)市場に戻ってきたが、フォードは現在のところヨーロッパ市場にスコーピオ級の車を投入する計画を発表していない。

車の外観にかかわらず、その充実した標準装備の強みで見かけ上はスコーピオ マークIIの販売状況は健全さを保っていた。

トリム・レベル[編集]

スコーピオ マークIIは以下のトリム(trim )・レベルが選択(それぞれはどのエンジンを搭載したセダンとエステートの双方に選択可能)できた。トリム・レベルに関わらず2.9Lのコスワース製エンジンを搭載した車にはトラクションコントロールシステムクルーズコントロールとAT(MTは追加料金なしで注文できた)が標準装備であった。その他のエンジンを搭載した車はMTが標準で追加料金を払えばATも選べた。

  • ウルティマ(Ultima ) - CDオートチェンジャー、クライメットコントロール、革シート、クルーズコントロール、自動防眩ミラー、電動調節シートや様々な細々した装備を備えていた。

エクゼクティヴは1997年に廃止されギアがベースモデルになったが、ギアXとして知られるモデルがギアとウルティマの間に設定された。ギアXはウルティマの装備の幾つか(クライメットコントロール等)を装着していたが革シートなどは装備されていなかった。

通常とは異なりトリム・レベルとエンジン・サイズの表示を車体後部には掲げていなかった。トリム・レベルの表示は後部窓フレーム上のスコーピオ・バッジ側の車体側面にあったが、エクゼクティヴにはトリム・レベルを表すバッジがなく単に"Scorpio"とだけであった。その他のモデルは"Scorpio Ultima"の様に名前の下にトリム・レベルを表すバッジを付けていた。

エンジン・サイズは車体前方の側面、外部ウインカーライトの上に表示していた:

  • 2.0L - バッジなし(古い2L8バルブ車はバッジなしだが、2L16バルヴには "2.0 16v")
  • 2.3L - "2.3" (古い車には "2.3 16v")
  • 2.9L - "2.9" (古い車には "2.9 12v")
  • 2.9L - コスワース製エンジン搭載車は "24v"

スコーピオ マークIとは異なり、最高級エンジン搭載車の証であるコスワースの文字は車体のどこにも見られなかった[2]

メルクール・スコーピオ[編集]

メルクール・スコーピオ

メルクール・スコーピオはヨーロッパのスコーピオ マークI(英国ではスコーピオはグラナダと呼ばれ、スコーピオの名称は1985年の第3世代のグラナダ:Granadaの最上級グレードに付けられた)の北米版であった。この車は1988年から1990年までリンカーンマーキュリーのディーラーで販売された。

メルクール・スコーピオは2.9LV6のケルン・エンジンのみが搭載され、細部は同時代のフォード車とは異なっていた。米国の排気ガス対策の要求に適合させるためにスコーピオのメルクール版は1988年に北米市場に導入されたときの出力は140hp(100kW)であった。大部分の車にはA4LD型4速ATを、残りはT-9型5速MTを装着していた。カナダではATモデルのスコーピオのみが販売された。この車は中型の上級車として市場に投入されたが、フォードが期待したほどには市場に影響を与えることはできなかった。メルクール・スコーピオはATの故障、電気系統の不具合にも悩まされ、広範囲にわたる信頼性に関する問題は消費者が抱く高級車に対するイメージを崩した。[要出典]フォードは1989年以降、全てのメルクールの看板を引き揚げた。

脚注[編集]

  1. ^ タクシーのことで、当然三菱・ミニキャブのことではない。
  2. ^ おそらく盗難にあう危険を減らすため。

外部リンク[編集]