フェルディナント・ケラー
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| フェルディナント・ケラー Ferdinand Keller |
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肖像画、1888年頃
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| 生誕 | 1842年8月2日 |
| 死去 | 1922年7月8日(満79歳没) |
| 国籍 | |
| 分野 | 絵画 |
| 最終学歴 | カールスルーエ美術アカデミー |
| 芸術動向 | 歴史画家、象徴主義 |
| 代表作 | |
| ベックリンの墓 | |
フェルディナント・ケラー(独: Ferdinand Keller、1842年8月2日 - 1922年7月8日)はドイツの歴史画、象徴主義派の画家。
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生涯 [編集]
フェルディナント・ケラーは、父がアマチュア油絵画家、兄が画家でイラストレーター、叔父が画家というアーティスト一家に育った。彼はカールスルーエで初等教育を受け後、1857年に家族と共にブラジルへ移住した。そこで1862年まで、熱帯の豊かな自然の森を熱心にスケッチして過ごした。1863年にはカールスルーエに戻り美術アカデミーのヨハン・シルマーの下で風景画の、ハンス・カノンの下で人物画の教育を受けた。1863年から1867年にはローマに留学した。そして1867年の"フェリペ2世の死"で最初の成功を収めた。その後1868年までスイス、フランスを訪れた。その後1873年から1913年迄にカールスルーエの美術アカデミーで教授を務めた。彼はまたドイツで肌色主義団体の首席代表の地位についた。
作品 [編集]
彼の作品にはブラジルの風景、寓話、歴史的な絵画や肖像画が含まれるが、皇室一族の肖像画が重要作品であった。彼の "フィリップ2世の死"は1867年のリオデジャネイロ国際芸術博覧会で一等賞を獲得し、"ネロの下、燃える上がるローマ"は1873年にウィーン万国博覧会で金メダルを受賞した。彼は1876年に実施されたドレスデン新劇場のカーテン画のコンペティションの成功を通じてより広く知られるようになった。
その他の主要作品 [編集]
- バーデン辺境伯ルートヴィヒ·ヴィルヘルムのスランカメンでのトルコに対する戦いの勝利(1691)、1879年
- レアンドロスの遺体を認めるヘーロー、1880年
- 選帝侯Ruprectの前のパラス·アテネの勝利の進行 、1886年、ハイデルベルク大学講堂
- 勝利のヴィルヘルムの神格化、1888年
- 水の精たち、1893年
- リオ・デ・ジャネイロの海岸風景
- バーデン国王フレデリックの肖像、1900年
- 海辺の古代寺院
- ネプチューンの神殿
- ベックリンの墓、1901~2年、カールスルーエ州立美術館
ギャラリー [編集]
参考資料 [編集]
- Wikisource-logo.svg This article incorporates text from a publication now in the public domain: "Keller, Ferdinand". Encyclopedia Americana. 1920.
- Wikisource-logo.svg "Keller, Ferdinand. A German historical painter". New International Encyclopedia. 1905.
- Michael Koch: Ferdinand Keller, Karlsruhe (Verlag C.F. Müller) 1978 ISBN 3-7880-9618-7
- Richard Bellm: Keller, Ferdinand, in: Neue Deutsche Biographie (NDB), Band 11, Berlin 1977, S. 434 f.
- Leo Mülfarth: Kleines Lexikon Karlsruher Maler, 2. Auflage, Badenia-Verlag, Karlsruhe 1987 ISBN 3-7617-0250-7
出典 [編集]
- 英語版Ferdinand Keller (02:21, 20 June 2012 UTC) 、仏語版Ferdinand Keller (03:09, 20 June 2012 UTC)、独語版Ferdinand Keller (03:20, 20 June 2012 UTC) を翻訳