フェルディナント・アルブレヒト2世 (ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公)

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フェルディナント・アルブレヒト2世
フェルディナント・アルブレヒト2世

フェルディナント・アルブレヒト2世(Ferdinand Albrecht II, 1680年5月29日 - 1735年9月2日)はブラウンシュヴァイク=リューネブルク公オーストリアの軍人として活躍し、最晩年の1735年にヴォルフェンビュッテル侯になった。

ブラウンシュヴァイク=リューネブルク公フェルディナント・アルブレヒト1世の四男として生まれた。スペイン継承戦争では皇帝レオポルト1世側に就いて戦った。1704年、彼は皇帝の副官に任じられ、1707年には少将に、1711年には准元帥となった。1716年から1718年の対オスマン帝国戦争では、オイゲン公の下で、ベオグラードペトロヴァラディンの戦いに参戦し、またコマールノ(現スロバキアの町)の要塞の司令官を務めた。1733年には元帥となった。

従兄で妻の父でもあるルートヴィヒ・ルドルフが1735年3月に死去すると、フェルディナント・アルブレヒトはヴォルフェンビュッテル侯国を相続し、元帥の職を辞したが、6ヵ月後に自身も死去した。

[編集] 子女

フェルディナント・アルブレヒトは1712年に、従兄であるブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公ルートヴィヒ・ルドルフの娘アントイネッテ・アマーリエと結婚した。2人の間の成人に達した子供は次の通り。