ロジャー・フェデラー
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2009年ウィンブルドンにて
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| 基本情報 | ||||||||||
| ラテン文字名 | Roger Federer | |||||||||
| 国籍 | ||||||||||
| 出身地 | 同・バーゼル | |||||||||
| 生年月日 | 1981年8月8日(30歳) | |||||||||
| 身長 | 185cm | |||||||||
| 体重 | 85kg | |||||||||
| 利き手 | 右 | |||||||||
| バックハンド | 片手打ち | |||||||||
| ツアー経歴 | ||||||||||
| デビュー年 | 1998年 | |||||||||
| ツアー通算 | 79勝 | |||||||||
| シングルス | 71勝 | |||||||||
| ダブルス | 8勝 | |||||||||
| 4大大会最高成績・シングルス | ||||||||||
| 全豪 | 優勝(2004,06,07,10) | |||||||||
| 全仏 | 優勝(2009) | |||||||||
| 全英 | 優勝(2003-2007,09) | |||||||||
| 全米 | 優勝(2004-2008) | |||||||||
| 優勝回数 | 16(豪4・仏1・英6・米5) | |||||||||
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||||||||||
| 全豪 | 3回戦(2003) | |||||||||
| 全仏 | 1回戦(2000) | |||||||||
| 全英 | ベスト8(2000) | |||||||||
| 全米 | 3回戦(2002) | |||||||||
| キャリア自己最高ランキング | ||||||||||
| シングルス | 1位(2004年2月2日) | |||||||||
| ダブルス | 24位(2003年6月9日) | |||||||||
| 獲得メダル | ||||||||||
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| 2011年11月27日現在 | ||||||||||
ロジャー・フェデラー(英語:Roger Federer、1981年8月8日 - )は、スイス・バーゼル出身の男子プロテニス選手。身長185cm、体重85kg。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。ATPツアー史上6人目となる生涯4大大会全制覇 キャリア・グランドスラムを達成し、4大大会男子シングルス部門で歴代最多となる16回優勝に輝いた他、年間最終戦の最多優勝記録、世界ランキング1位連続保持の最長記録といった数々の記録を築き上げた事から史上最高のテニスプレーヤーとの呼び声が高い[1][2][3][4]。また、優秀な成績を収めたアスリートに贈られるローレウス世界スポーツ賞を2005年~2008年にかけて4度受賞し、競技の枠を超えて高い評価を受けた。
目次 |
[編集] 選手経歴
[編集] プロ入りから4大大会初優勝へ
フェデラーはボリス・ベッカーに憧れて、8歳からテニスを始めた。1998年にウィンブルドンの男子ジュニア部門でシングルスとダブルスの両方で優勝を果たし、同年にプロ転向を表明。1999年にはブレストで開催されたチャレンジャー大会で優勝している。2000年シドニー五輪の男子シングルス部門 銅メダル決定戦でアルノー・ディ・パスカルに敗れた頃から急成長を始め、2001年の1月5日には国別対抗戦であるホップマンカップにてスイスの優勝に貢献し、同年2月4日にはミラン・インドアーズでようやくATPツアー・シングルス部門のタイトルを手にした。この頃のフェデラーは専門家の間で期待されていたものの、メジャーな大会で目立った活躍は無く、既に輝かしい活躍を魅せていた同世代のレイトン・ヒューイットやマラト・サフィン、フアン・カルロス・フェレーロに隠れた存在であったが、2001年ウィンブルドン4回戦で第1シードのピート・サンプラスを3時間41分のフルセット 7-6, 5-7, 6-4, 6-7, 7-5 の末に破る大金星を挙げ、大きな注目を集めた。当時サンプラスは1993年大会から2000年大会の8年間に7度も優勝に輝き、ウィンブルドンでは無敵の強さを誇っていたため、この出来事はサンプラス時代の終焉が近い事を予感させる出来事となった。翌2002年には四大大会に次ぐ大規模トーナメント群であるマスターズ・シリーズに所属するハンブルグ・マスターズでM・サフィンを破って優勝し、同年に世界ランキングでトップ10入りを果たす。そして2003年、サンプラスを破った舞台であるウィンブルドンでマーク・フィリプーシスを 7-6, 6-2, 7-6 で下して4大大会初優勝を果たし、スイス出生の男子プロテニス選手として初の四大大会優勝者となった。
[編集] 世界1位へ
2003年の年間最終戦テニス・マスターズ・カップで、それまで一度も勝った事がなかったアンドレ・アガシを破って大会初優勝を果たしてから、選手として大きな転機を迎えた。
2004年、全豪オープン決勝でマラト・サフィンを破って初優勝を果した後、2月2日から世界ランキング1位の座についた。その後もウィンブルドン決勝でアンディ・ロディックを、全米オープン決勝でレイトン・ヒューイットを破って優勝を果たし、1988年のマッツ・ビランデル以来16年ぶりの4大大会年間3冠という偉業を達成する。この年のフェデラーは非常に好調で、四大大会に次ぐトーナメント群であるマスターズ・シリーズで3大会、更にマスターズ・カップでも優勝を果たし、ランキング・トップ10同士の対戦で無敗を誇った。成績は 11大会優勝 74勝6敗 勝率0.925 を記録。年間勝率の9割達成は1989年のイワン・レンドル以来15年ぶり快挙であった。2004年のアテネ五輪開会式でスイス選手団の旗手を務めたが、テニス競技ではシングルス2回戦でチェコ代表のトマーシュ・ベルディハに 6-4, 5-7, 5-7 で敗れている。
[編集] 2005年
2005年も好調を維持し、全豪オープンでマラト・サフィンに、全仏オープンでラファエル・ナダルに、いずれも準決勝で敗れたものの ウィンブルドンではアンディ・ロディックを、全米オープンではアンドレ・アガシを破って優勝を果す。また、ATPツアー史上初となるマスターズシリーズ年間4冠を達成する等、非常に優秀な成績を収めている。しかし、年末の欧州インドア・シーズン中に負った怪我を押して出場した年間最終戦マスターズ・カップでは、決勝でダビド・ナルバンディアンに 7-6, 7-6, 2-6, 1-6, 6-7 の逆転負けを喫し、同大会3連覇と年間勝率歴代最高記録更新を阻まれた。この年も11大会で優勝し、年間成績は 81勝4敗 勝率0.953 を記録した。
[編集] 2006年
全豪オープン決勝でキプロスの新星マルコス・バグダティスを退けて2年ぶり2度目の優勝を果たすと、インディアンウェルズ・マスターズとマイアミ・マスターズで優勝。続く欧州クレー・シーズンではモンテカルロ・マスターズ、ローマ・マスターズ、全仏オープンといった出場した全ての大会で決勝進出し、いずれもクレーコートを得意とするR・ナダルに阻まれた。二人はウィンブルドンでも決勝対決となり、フェデラーが連敗の雪辱を果たして選手権4連覇を達成。全米オープン前哨戦のシンシナティ・マスターズでは初戦でイギリスの新星アンディ・マレーに敗れてしまったが、カナダ・マスターズで優勝。全米オープンでA・ロディックを下し自身2度目の4大大会年間3冠を成し遂げた。秋、ジャパン・オープン出場の為に初来日し、決勝でティム・ヘンマンを 6-3, 6-3 で下して初来日を優勝で飾っている。その後の欧州インドア・シーズンはマドリード・マスターズを含む出場した全ての大会で優勝し、マスターズ・カップは決勝でジェームズ・ブレークを圧倒して2年ぶり3度目の優勝を果たした。この年のツアー優勝は12大会、戦績 92勝5敗 勝率0.949を誇り、テニス史上類を見ない驚異的な成績を収めた。
[編集] 2007年
全豪オープン決勝でフェルナンド・ゴンサレスを下し、全試合ストレート勝ちで優勝を果たす。4大大会では1980年全仏オープンのビョルン・ボルグ以来27年ぶり史上4人目で、全豪オープンでは1971年のケン・ローズウォール以来36年ぶりの達成であった。その後の春の北米ハードコート・シーズンはインディアンウェルズ・マスターズとマイアミ・マスターズにてギリェルモ・カナスに連敗し、欧州クレー・シーズンではローマ・マスターズでフィリポ・ボランドリに敗れてしまう。しかし、モンテカルロ・マスターズ、(当時)ハンブルグ・マスターズ、全仏オープンでは決勝に進出し、いずれもR・ナダルと対戦。ハンブルグではナダルのクレーコート連勝記録を81で止めて優勝。2人はウィンブルドン決勝でも顔を合わせ、3時間45分にも及ぶ激戦の末にフェデラーが競り勝ち、ビョルン・ボルグ以来の選手権5連覇という偉業を成し遂げた。続く全米オープン前哨戦のカナダ・マスターズでは決勝でセルビアの新星ノバク・ジョコビッチに敗退するも、シンシナティ・マスターズ決勝でJ・ブレークを破って優勝。ATPツアー・シングルス・タイトル獲得数が「50」に到達。8月27日、彼の世界ランキング1位連続座位記録は「187週」に入り、同記録の最長保持者シュテフィ・グラフの186週を抜いて、歴代最長記録を樹立。 その後、全米オープン決勝でN・ジョコビッチを下し、大会4連覇を達成すると同時に自身3度目の4大大会年間3冠という偉業を成し遂げた。続く欧州インドア・シーズンはマドリード・マスターズ決勝とパリ・マスターズ準決勝でD・ナルバンディアンに連敗するもスイス・インドアで2連覇達成。また、マスターズカップの決勝でダビド・フェレールに勝利して、通算4度目の優勝を果たす。12月には世界ランキング1位連続在位期間が「200週」に到達。この年は7大会で優勝し、戦績 68勝9敗 勝率 0.8831を記録した。
[編集] 2008年
全豪オープン準決勝でノバク・ジョコビッチに敗れ、 大会3連覇を逃すと同時に2005年ウィンブルドンから続いていた4大大会連続決勝進出記録が10大会で途絶えてしまった。その後の北米ハードコート・シーズンで平凡な成績が続き、マスメディアからフェデラー時代の終焉の声が目立つようになる。欧州クレー・シーズンではモンテカルロ・マスターズ、(当時)ハンブルク・マスターズ、全仏オープンにて決勝に進出。いずれもラファエル・ナダルに阻まれた。続くウィンブルドンではウィリアム・レンショーが1881年~1886年にかけて達成した選手権6連覇の達成が期待されたが、決勝でナダルに4-6, 4-6, 7-6, 7-6, 7-9 の激戦の末に敗れてしまい、偉業達成とはならなかった。
北京オリンピックで、フェデラーは2大会連続でスイス代表旗手を務めた。男子シングルス部門では準々決勝でジェームズ・ブレークに 4-6, 6-7 のストレートで敗れたものの、スタニスラス・ワウリンカと組んだ男子ダブルス部門では決勝でスウェーデン代表のシーモン・アスペリン&トーマス・ヨハンソン組を 6-3, 6-4, 6-7, 6-3 で下して金メダルを獲得。オリンピック翌週の8月18日、フェデラーは世界ランキング1位の座をナダルに明け渡し、世界ランキング1位連続座位記録は237週で止まった。その後、全米オープン前哨戦は平凡な成績が続いた。不安を抱えて挑んだ全米オープンでは決勝でアンディ・マレーを 6-2, 7-5, 6-2 で下し、対マレー戦の連敗を止めて大会5連覇を達成。これは1920年~1925年にかけて全米選手権6連覇を達成したビル・チルデンの5連覇以来84年ぶりの出来事であり、4大大会シングルス部門における2大会5連覇は史上初の快挙であった。その後の欧州インドア・シーズンはスイス・インドアでダビド・ナルバンディアンを下して3連覇を果たした。2008年度をもって終了するマスターズ・カップでは準決勝進出をかけたラウンド・ロビンにて1勝2敗とし、敗退。この年はシングルス部門の優勝は4大会に止まったものの、戦績 66勝15敗 勝率 0.8148 と好成績を挙げた。
[編集] 2009年
全豪オープン決勝でラファエル・ナダルに4時間19分に及ぶの激闘の末に敗れた。その後のインディアンウェルズ・マスターズ準決勝でアンディ・マレーに、マイアミ・マスターズ準決勝でノバク・ジョコビッチに敗れた。
続く欧州クレーコート・シーズンは、マドリード・マスターズ決勝でナダルのクレーコート連勝数を33勝で止めて優勝。続く2009年全仏オープンは、ラファエル・ナダルが4回戦でロビン・セーデリングに敗れた事で、フェデラーにキャリア・グランドスラムの達成がメディアや現役選手およびファンから期待された。そんな中で準々決勝でガエル・モンフィスを下し、四大大会準決勝連続進出記録を20大会連続に伸ばし、準決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロを下して四大大会決勝進出回数でイワン・レンドルの19大会目に並んだ。決勝でセーデリングを 6-1, 7-6, 6-4 で破り、悲願の全仏オープン初優勝を果たし、史上6人目となるキャリア・グランドスラムを達成。サンプラスの歴代1位と並ぶ四大大会14度目の優勝を挙げた。
2009年ウィンブルドン、準々決勝でイボ・カルロビッチを下し、四大大会連続準決勝進出数を更新。準決勝ではトミー・ハースを下し、レンドルが持つ四大大会決勝進出数を更新する20回に到達。決勝ではロディックと対戦し、四大大会男子シングルス部門の最多ゲーム数を更新する77ゲームに及ぶ 5-7, 7-6, 7-6, 3-6, 16-14 の激闘の末に2年ぶり6度目の優勝を果たし、四大大会優勝数を15度に伸ばした。また、ウィンブルドン選手権7年連続決勝進出は現行のトーナメント方式になった1922年以降初めての事で、更に全仏とウィンブルドンの同一年度優勝は、前年のラファエル・ナダルに続いて、1968年の四大大会オープン化以降では史上4人目の達成であった。7月6日に発表された世界ランキングで、およそ11ヶ月ぶりに1位に返り咲いた。続く全米オープン前哨戦シンシナティ・マスターズ決勝で、ジョコビッチを下して優勝。2009年全米オープン決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロに 6-3, 6-7, 6-4, 6-7, 2-6 の惜敗。大会6連覇は成らなかった。その後の欧州インドア・シーズンはスイス・インドア決勝でジョコビッチに敗れ、2009年度からロンドンに移転した年間最終戦ATPワールドツアー・ファイナルも準決勝で敗退。この年は4大会で優勝を挙げ、戦績65勝13敗、勝率0.8333 とした。
[編集] 2010年
全豪オープン決勝でアンディ・マレーを破って優勝。これによって、自身の4大大会優勝最多記録を16に伸ばした。また、2月22日発表のランキングでイワン・レンドルの「270週」を抜いて歴代2位となった。
しかし、全仏オープンでは準々決勝でロビン・セーデリングに 6-3, 3-6, 5-7, 4-6 で敗れ、連続準決勝以上進出記録が23大会で途切れ、世界ランキング1位通算在位も歴代1位のピート・サンプラスの「286週」まであと1週と迫っていたが、6月7日発表の世界ランキングで2位に転落。続くウィンブルドンでも準々決勝にてトマーシュ・ベルディハに 4-6, 6-3, 1-6, 4-6 で敗れてしまう。フェデラーが同大会決勝進出を逃したのは実に8年ぶりのことであり、大会後のランキングでは3位に転落してしまった。
その後は好調さ取り戻し、全米オープンの前哨戦となるシンシナティ・マスターズで優勝を飾り全豪以来7ヶ月ぶりのタイトルを獲得する。しかし、全米オープン準決勝でノバク・ジョコビッチに 7-5, 1-6, 7-5, 2-6, 5-7 で敗退した事で、7年連続の同大会決勝進出を逃す。地元バーゼルのスイス・インドア決勝ではジョコビッチを6-4, 3-6, 6-1 で破りツアー優勝65勝目を挙げ、ピート・サンプラスの64勝を抜いて歴代単独4位となった。その後もATPワールドツアー・ファイナル決勝でナダルを 6-3, 3-6, 6-1 で破り3年ぶり5度目の優勝を果たした。
[編集] 2011年
開幕戦カタール・エクソンモービル・オープン決勝でニコライ・ダビデンコに 6-3, 6-4 で快勝し、通算67勝目を挙げた。ディフェンディングチャンピオンとして挑んだ全豪オープンは準決勝でノバク・ジョコビッチに 6-7, 5-7, 4-6 で敗退し、大会2連覇はならなかった。フェデラーは続くドバイ・テニス選手権決勝とインディアンウェルズ・マスターズ準決勝もジョコビッチに敗退。更に、マイアミ・マスターズでは準決勝でラファエル・ナダルに敗退した。今春のハードコート・シーズンをフェデラーは優秀な成績で終えたものの、ジョコビッチが出場した全ての大会を制覇した関係で、ランキング3位に転落してしまった。
クレーコート・シーズン、モンテカルロ・マスターズは準々決勝で第7シードのユルゲン・メルツァーに 4-6, 4-6 で敗退。続くマドリード・マスターズの初戦でフェリシアーノ・ロペスに 7-6, 6-7, 7-6 の苦戦を強いられながらも押し切り、その後の準決勝でナダルに敗退。ローマ・マスターズは、3回戦目でリシャール・ガスケに 6-4, 6-7 , 6-7 で早期敗退とやや失速してしまった。全仏オープン、ナダルとジョコビッチの席巻が注目される中、フェデラーはそれを覆す勢いで勝ち星を重ねて行き、準決勝で絶好調のジョコビッチを 7-6, 6-3, 3-6, 7-6 で退けて決勝進出を果たす。これによりジョコビッチの開幕戦からの連勝記録を41で止め、対ジョコビッチ戦の連敗も3で止めた。しかし、決勝はナダルにセットカウント1-3で敗れた。続くウィンブルドンは準々決勝で第12シードのジョー=ウィルフリード・ツォンガに 6-3, 7-6, 4-6, 4-6, 4-6 の逆転負けを喫した。これはフェデラーにとって、4大大会における初めての2セットアップからの逆転劇であった。
全米オープン準決勝ではノバク・ジョコビッチと対戦。マッチポイントを握りながらも、逆転され、セットカウント2-3で敗れた。これにより自身2002年以来となる四大大会無冠に終わった。その後の欧州インドア・シーズンは出場したスイス・インドア、パリ・マスターズ、ATPワールドツアー・ファイナルの全てで優勝。ツアー・ファイナルでは自身100回目の決勝を70回目の優勝で飾っており、更には歴代最多となる同大会6度目の優勝を果たした。
[編集] 2012年
カタール・エクソンモービル・オープンでは、準決勝直前に背中の痛みが出始め、試合を棄権。全豪オープンでは、準々決勝までは、ビッグ4の中では、1セットも落とさず勝ち上がったが準決勝で長年のライバルラファエル・ナダルに7-6, 2-6, 6-7, 4-6で惜敗し、2年連続のベスト4となった。2月のABNアムロ世界テニス・トーナメントの決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロを 6–1, 6–4 で破り2012年初のタイトルを獲得した。
[編集] その他経歴
慈善活動にも熱心に取り組んでおり、2003年にはロジャー・フェデラー基金を設立し、アフリカの子供たちの支援や、タイでおきた津波災害のときも自ら率先してチャリティイベントを企画して募金活動を行うなど、その活動はスポーツの枠を超えて世界中から高く評価されている。 2006年4月には、ユニセフ親善大使にも任命され、ユニセフとATPが結ぶグローバル・パートナーシップであるACE(Assisting Children Everywhere)という活動の中心人物として、世界中の子どもたちに健康と教育の機会を確保し、様々な困難から子どもたちを守るためのプログラムを推進している[1]。
2005年~2008年の4年連続で「ローレウス・スポーツ賞」の男子最優秀選手賞を受賞した。2000年に創設されたこの世界的なスポーツ賞で、男子最優秀選手賞の4年連続受賞は史上初めてである。
[編集] 私生活
2000年シドニー五輪がきっかけで、3歳年上のテニス選手ミルカ・バブリネックと交際を始め、2009年4月11日に結婚している。2009年7月23日に双子の娘が誕生している。
2011年6月、米経済誌フォーブス誌が「最も稼いでいる30歳未満のセレブ」のランキングを発表し、2010年の5月からの1年間で4,700万ドル(日本円で約37億6,000万円)を稼いで4位にランクインしている。[5]
[編集] 各種記録一覧
[編集] 4大大会
- 最多優勝記録「16勝」
- ピート・サンプラスの14勝を抜いて歴代最多。
- 最多決勝進出記録「23大会」
- イワン・レンドルの19大会を抜いて歴代最多。
- 連続決勝進出記録「10大会連続」
- 2005年ウィンブルドン~2007年全米オープンにかけて達成。
- 1933年全豪選手権~1934年ウィンブルドンにかけて達成したジャック・クロフォードの「7大会連続」を上回る歴代最多記録。
- 2006年・2007年の全仏オープン以外は全てに勝利。2008年全豪オープンでノバク・ジョコビッチに準決勝で敗れた事で途切れた。
- また、上記の記録を樹立後、2008年全仏オープンから2010年全豪オープンにかけて歴代2位の「8大会連続」も記録。
- 2010年全仏オープン準々決勝でロビン・セーデリングに敗れ、自己記録の更新はならず。
- 連続準決勝進出記録「23大会連続」
- 2004年ウィンブルドン~2010年全豪オープンにかけて記録。
- イワン・レンドルとロッド・レーバーの10大会連続を大きく上回る歴代最多記録。上記セーデリングとの対戦で途切れた。
- 連続準々決勝進出記録「31大会連続(2012年全豪まで)」(継続中)
- 2004年ウィンブルドンから継続中。歴代1位。(2位はイワン・レンドルの14大会連続である。)
- 連続4大大会出場記録「49大会連続(2012年全豪まで)」(継続中)
- 2000年全豪オープンから4大大会連続出場。歴代3位。2位はステファン・エドベリの53大会連続、1位はウェイン・フェレイラの56大会連続である。
- 初の決勝進出からの決勝連勝記録「7連勝」
- 2003年ウィンブルドン~2006年全豪オープンにかけて記録。史上初の達成。
- 全試合ストレート勝ち
- 2007年全豪オープンで達成。男子テニス史上4人目の記録で、全豪オープンでは1971年のケン・ローズウォール以来の達成。
[編集] その他
- 世界ランキング1位連続保持記録
- 2004年2月2日~2008年8月18日までの「237週」は、男女を通じた世界最長記録。2007年2月26日にジミー・コナーズの男子歴代1位記録「160週」を抜き、同年8月27日にシュテフィ・グラフの女子歴代1位記録「186週」をも更新。同年12月2日付で史上初の「200週」に到達。2008年8月18日、ナダルが世界ランキング1位となり、記録は「237週」で止まった。
- この快挙を称えて、スイスの郵政省は2007年4月1日にフェデラーを印刷した切手を発行[6]。これにより、フェデラーは存命のスイス人として初めて切手の印刷面を飾った人物となった。なお、この記念切手にはウィンブルドンの優勝トロフィーを掲げたフェデラーの姿が印刷されており、2010年2月8日にオーストリアで新たに発行された記念切手には全仏オープンでプレーするフェデラーの姿が印刷されている。
- 世界ランキング1位保持記録
- 連続ではない。2011年1月31日現在で「285週」。ピート・サンプラスの286週についで男子歴代2位である。
- 芝生コートでの連勝記録「65連勝」
- 芝生コートにおける歴代最多連勝。ビョルン・ボルグの41連勝を更新。2008年ウィンブルドン決勝でナダルに敗れるまでの記録。
- 男子プロテニスツアー決勝戦での連勝記録「24連勝」
- 2003年10月のバンク・オーストリア・テニスカップから2005年の年間最終戦マスターズ・カップの決勝戦でダビド・ナルバンディアンに敗れるまでの記録。
- 年間獲得賞金「843万ドル」
- 2006年に記録。ピート・サンプラスが保持していた歴代1位の記録を更新。
- 通算獲得賞金「6,793万0,818ドル」(2012年全豪終了時点)[7]
- ピート・サンプラスが保持していた歴代1位の記録「4,328万489ドル」を更新中。
- 3年連続年間10勝以上
- 2004年~2006年の記録。男子プロテニス協会によるコンピューター・ランキング導入以降史上初。
- ATPワールドツアー・ファイナル最多優勝記録「6回」
- レンドル、サンプラスの5回を抜いて歴代最多。
[編集] ATPツアー決勝進出結果
[編集] シングルス: 101回 (71勝30敗)
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| 結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 準優勝 | 1. | 2000年2月13日 | カーペット (室内) | 6–2, 3–6, 6–7(5–7) | ||
| 準優勝 | 2. | 2000年10月29日 | カーペット (室内) | 2–6, 6–4, 6–7(4–7), 6–1, 1–6 | ||
| 優勝 | 1. | 2001年2月4日 | カーペット (室内) | 6–4, 6–7(7–9), 6–4 | ||
| 準優勝 | 3. | 2001年2月25日 | ハード (室内) | 5–7, 6–3, 6–7(5–7) | ||
| 準優勝 | 4. | 2001年10月28日 | カーペット (室内) | 3–6, 4–6, 2–6 | ||
| 優勝 | 2. | 2002年1月13日 | ハード | 6–3, 6–3 | ||
| 準優勝 | 5. | 2002年2月3日 | カーペット (室内) | 6–7(2–7), 6–4, 1–6 | ||
| 準優勝 | 6. | 2002年3月31日 | ハード | 3–6, 3–6, 6–3, 4–6 | ||
| 優勝 | 3. | 2002年5月19日 | クレー | 6–1, 6–3, 6–4 | ||
| 優勝 | 4. | 2002年10月13日 | ハード (室内) | 6–4, 6–1, 3–6, 6–4 | ||
| 優勝 | 5. | 2003年2月16日 | ハード (室内) | 6–2, 7–6(8–6) | ||
| 優勝 | 6. | 2003年3月2日 | ハード | 6–1, 7–6(7–2) | ||
| 優勝 | 7. | 2003年5月4日 | クレー | 6–1, 6–4 | ||
| 準優勝 | 7. | 2003年5月11日 | クレー | 5–7, 2–6, 6–7(8–10) | ||
| 優勝 | 8. | 2003年6月15日 | 芝 | 6–1, 6–3 | ||
| 優勝 | 9. | 2003年7月6日 | 芝 | 7–6(7–5), 6–2, 7–6(7–3) | ||
| 準優勝 | 8. | 2003年7月13日 | クレー | 7–5, 3–6, 3–6, 6–1, 3–6 | ||
| 優勝 | 10. | 2003年10月12日 | ハード (室内) | 6–3, 6–3, 6–3 | ||
| 優勝 | 11. | 2003年11月16日 | ハード | 6–3, 6–0, 6–4 | ||
| 優勝 | 12. | 2004年2月1日 | ハード | 7–6(7–3), 6–4, 6–2 | ||
| 優勝 | 13. | 2004年3月7日 | ハード | 4–6, 6–1, 6–2 | ||
| 優勝 | 14. | 2004年3月21日 | ハード | 6–3, 6–3 | ||
| 優勝 | 15. | 2004年5月16日 | クレー | 4–6, 6–4, 6–2, 6–3 | ||
| 優勝 | 16. | 2004年6月13日 | 芝 | 6–0, 6–3 | ||
| 優勝 | 17. | 2004年7月4日 | 芝 | 4–6, 7–5, 7–6(7–3), 6–4 | ||
| 優勝 | 18. | 2004年11月4日 | クレー | 6–2, 6–3, 5–7, 6–3 | ||
| 優勝 | 19. | 2004年8月1日 | ハード | 7–5, 6–3 | ||
| 優勝 | 20. | 2004年9月12日 | ハード | 6–0, 7–6(7–3), 6–0 | ||
| 優勝 | 21. | 2004年10月3日 | ハード (室内) | 6–4, 6–0 | ||
| 優勝 | 22. | 2004年11月21日 | ハード | 6–3, 6–2 | ||
| 優勝 | 23. | 2005年1月9日 | ハード | 6–3, 6–1 | ||
| 優勝 | 24. | 2005年2月20日 | ハード (室内) | 5–7, 7–5, 7–6(7–5) | ||
| 優勝 | 25. | 2005年2月27日 | ハード | 6–1, 6–7(6–8), 6–3 | ||
| 優勝 | 26. | 2005年3月20日 | ハード | 6–2, 6–4, 6–4 | ||
| 優勝 | 27. | 2005年4月3日 | ハード | 2–6, 6–7(4–7), 7–6(7–5), 6–3, 6–1 | ||
| 優勝 | 28. | 2005年5月15日 | クレー | 6–3, 7–5, 7–6(7–4) | ||
| 優勝 | 29. | 2005年6月13日 | 芝 | 6–4, 6–7(6–8), 6–4 | ||
| 優勝 | 30. | 2005年7月3日 | 芝 | 6–2, 7–6(7–2), 6–4 | ||
| 優勝 | 31. | 2005年8月21日 | ハード | 6–3, 7–5 | ||
| 優勝 | 32. | 2005年9月11日 | ハード | 6–3, 2–6, 7–6(7–1), 6–1 | ||
| 優勝 | 33. | 2005年10月2日 | ハード (室内) | 6–3, 7–5 | ||
| 準優勝 | 9. | 2005年11月20日 | カーペット (室内) | 7–6(7–4), 7–6(13–11), 2–6, 1–6, 6–7(3–7) | ||
| 優勝 | 34. | 2006年1月8日 | ハード | 6–3, 7–6(7–5) | ||
| 優勝 | 35. | 2006年1月29日 | ハード | 5–7, 7–5, 6–0, 6–2 | ||
| 準優勝 | 10. | 2006年3月5日 | ハード | 6–2, 4–6, 4–6 | ||
| 優勝 | 36. | 2006年3月19日 | ハード | 7–5, 6–3, 6–0 | ||
| 優勝 | 37. | 2006年4月2日 | ハード | 7–6(7–5), 7–6(7–4), 7–6(8–6) | ||
| 準優勝 | 11. | 2006年4月23日 | クレー | 2–6, 7–6(7–2), 3–6, 6–7(5–7) | ||
| 準優勝 | 12. | 2006年5月14日 | クレー | 7–6(7–0), 6–7(5–7), 4–6, 6–2, 6–7(5–7) | ||
| 準優勝 | 13. | 2006年1月11日 | クレー | 6–1, 1–6, 4–6, 6–7(4–7) | ||
| 優勝 | 38. | 2006年6月18日 | 芝 | 6–0, 6–7(4–7), 6–2 | ||
| 優勝 | 39. | 2006年7月9日 | 芝 | 6–0, 7–6(7–5), 6–7(2–7), 6–3 | ||
| 優勝 | 40. | 2006年8月13日 | ハード | 2–6, 6–3, 6–2 | ||
| 優勝 | 41. | 2006年9月10日 | ハード | 6–2, 4–6, 7–5, 6–1 | ||
| 優勝 | 42. | 2006年10月8日 | ハード | 6–3, 6–3 | ||
| 優勝 | 43. | 2006年10月22日 | ハード (室内) | 7–5, 6–1, 6–0 | ||
| 優勝 | 44. | 2006年10月29日 | カーペット (室内) | 6–3, 6–2, 7–6(7–3) | ||
| 優勝 | 45. | 2006年11月19日 | ハード (室内) | 6–0, 6–3, 6–4 | ||
| 優勝 | 46. | 2007年1月28日 | ハード | 7–6(7–2), 6–4, 6–4 | ||
| 優勝 | 47. | 2007年3月3日 | ハード | 6–4, 6–3 | ||
| 準優勝 | 14. | 2007年4月22日 | クレー | 4–6, 4–6 | ||
| 優勝 | 48. | 2007年5月29日 | クレー | 2–6, 6–2, 6–0 | ||
| 準優勝 | 15. | 2007年6月10日 | クレー | 3–6, 6–4, 3–6, 4–6 | ||
| 優勝 | 49. | 2007年7月8日 | 芝 | 7–6(9–7), 4–6, 7–6(7–3), 2–6, 6–2 | ||
| 準優勝 | 16. | 2007年8月12日 | ハード | 6–7(2–7), 6–2, 6–7(2–7) | ||
| 優勝 | 50. | 2007年8月19日 | ハード | 6–1, 6–4 | ||
| 優勝 | 51. | 2007年9月9日 | ハード | 7–6(7–4), 7–6(7–2), 6–4 | ||
| 準優勝 | 17. | 2007年10月21日 | ハード (室内) | 6–1, 3–6, 3–6 | ||
| 優勝 | 52. | 2007年10月28日 | ハード (室内) | 6–3, 6–4 | ||
| 優勝 | 53. | 2007年11月18日 | ハード (室内) | 6–2, 6–3, 6–2 | ||
| 優勝 | 54. | 2008年4月20日 | クレー | 7–6(7–5), 1–2 途中棄権 | ||
| 準優勝 | 18. | 2008年4月27日 | クレー | 5–7, 5–7 | ||
| 準優勝 | 19. | 2008年5月18日 | クレー | 5–7, 7–6(7–3), 3–6 | ||
| 準優勝 | 20. | 2008年6月8日 | クレー | 1–6, 3–6, 0–6 | ||
| 優勝 | 55. | 2008年6月15日 | 芝 | 6–3, 6–4 | ||
| 準優勝 | 21. | 2008年7月6日 | 芝 | 4–6, 4–6, 7–6(7–5), 7–6(10–8), 7–9 | ||
| 優勝 | 56. | 2008年9月8日 | ハード | 6–2, 7–5, 6–2 | ||
| 優勝 | 57. | 2008年10月26日 | ハード (室内) | 6–3, 6–4 | ||
| 準優勝 | 22. | 2009年2月1日 | ハード | 5–7, 6–3, 6–7(3–7), 6–3, 2–6 | ||
| 優勝 | 58. | 2009年5月17日 | クレー | 6–4, 6–4 | ||
| 優勝 | 59. | 2009年6月7日 | クレー | 6–1, 7–6(7–1), 6–4 | ||
| 優勝 | 60. | 2009年7月5日 | 芝 | 5–7, 7–6(8–6), 7–6(7–5), 3–6, 16–14 | ||
| 優勝 | 61. | 2009年8月23日 | ハード | 6–1, 7–5 | ||
| 準優勝 | 23. | 2009年9月14日 | ハード | 6–3, 6–7(5–7), 6–4, 6–7(4–7), 2–6 | ||
| 準優勝 | 24. | 2009年11月8日 | ハード (室内) | 4–6, 6–4, 2–6 | ||
| 優勝 | 62. | 2010年1月13日 | ハード | 6–3, 6–4, 7–6(13–11) | ||
| 準優勝 | 25. | 2010年5月16日 | クレー | 4–6, 6–7(5–7) | ||
| 準優勝 | 26. | 2010年6月13日 | 芝 | 6–3, 6–7(4–7), 4–6 | ||
| 準優勝 | 27. | 2010年8月15日 | ハード | 5–7, 5–7 | ||
| 優勝 | 63. | 2010年8月23日 | ハード | 6–7(5–7), 7–6(7–1), 6–4 | ||
| 準優勝 | 28. | 2010年10月17日 | ハード | 3–6, 2–6 | ||
| 優勝 | 64. | 2010年10月24日 | ハード (室内) | 6–4, 6–3 | ||
| 優勝 | 65. | 2010年11月7日 | ハード (室内) | 6–4, 3–6, 6–1 | ||
| 優勝 | 66. | 2010年11月28日 | ハード (室内) | 6–3, 3–6, 6–1 | ||
| 優勝 | 67. | 2011年1月8日 | ハード | 6–3, 6–4 | ||
| 準優勝 | 29. | 2011年2月26日 | ハード | 3–6, 3–6 | ||
| 準優勝 | 30. | 2011年6月5日 | クレー | 5–7, 6–7(3–7), 7–5, 1–6 | ||
| 優勝 | 68. | 2011年11月6日 | ハード (室内) | 6–1, 6–3 | ||
| 優勝 | 69. | 2011年11月13日 | ハード (室内) | 6–1, 7–6(7–3) | ||
| 優勝 | 70. | 2011年11月27日 | ハード (室内) | 6–3, 6–7(6–8), 6–3 | ||
| 優勝 | 71. | 2012年2月19日 | ハード (室内) | 6–1, 6–4 |
[編集] ダブルス: 13回 (8勝5敗)
| 結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 準優勝 | 1. | 2000年10月29日 | カーペット (室内) | 6–7(11–13), 6–4, 6–7(4–7) | |||
| 優勝 | 1. | 2001年2月25日 | ハード (室内) | 6–3, 6–0 | |||
| 優勝 | 2. | 2001年7月15日 | クレー | 0–1, 途中棄権 | |||
| 優勝 | 3. | 2002年2月24日 | ハード (室内) | 4–6, 6–3, [10–4] | |||
| 準優勝 | 2. | 2002年3月17日 | ハード | 4–6, 4–6 | |||
| 優勝 | 4. | 2002年10月6日 | カーペット (室内) | 6–4, 7–6(7–0) | |||
| 準優勝 | 3. | 2003年2月23日 | ハード (室内) | 6–7(4–7), 2–6 | |||
| 優勝 | 5. | 2003年3月30日 | ハード | 7–5, 6–3 | |||
| 優勝 | 6. | 2003年10月12日 | ハード (室内) | 7–6(9–7), 7–5 | |||
| 準優勝 | 4. | 2004年10月3日 | ハード (室内) | 7–5, 4–6, 4–6 | |||
| 優勝 | 7. | 2005年6月12日 | 芝 | 7–5, 6–7(6–8), 6–3 | |||
| 優勝 | 8. | 2008年8月16日 | ハード | 6–3, 6–4, 6–7(4–7), 6–3 | |||
| 準優勝 | 5. | 2011年3月19日 | ハード | 4–6, 7–6(7–5), [7–10] |
[編集] 4大大会優勝
- 全豪オープン:4勝(2004,06&07,10年)〔準優勝1度:2009年〕
- 全仏オープン:1勝(2009年)〔準優勝4度:2006-08,11年〕
- ウィンブルドン:6勝(2003-07,09年)〔準優勝1度:2008年〕
- 全米オープン:5勝(2004-08年)〔準優勝1度:2009年〕
| 年 | 大会 | 対戦相手 | 試合結果 |
|---|---|---|---|
| 2003年 | ウィンブルドン | 7-6, 6-2, 7-6 | |
| 2004年 | 全豪オープン | 7-6, 6-4, 6-2 | |
| 2004年 | ウィンブルドン | 4-6, 7-5, 7-6, 6-4 | |
| 2004年 | 全米オープン | 6-0, 7-6, 6-0 | |
| 2005年 | ウィンブルドン | 6-2, 7-6, 6-4 | |
| 2005年 | 全米オープン | 6-3, 2-6, 7-6, 6-1 | |
| 2006年 | 全豪オープン | 5-7, 7-5, 6-0, 6-2 | |
| 2006年 | ウィンブルドン | 6-0, 7-6, 6-7, 6-3 | |
| 2006年 | 全米オープン | 6-2, 4-6, 7-5, 6-1 | |
| 2007年 | 全豪オープン | 7-6, 6-4, 6-4 | |
| 2007年 | ウィンブルドン | 7-6, 4-6, 7-6, 2-6, 6-2 | |
| 2007年 | 全米オープン | 7-6, 7-6, 6-4 | |
| 2008年 | 全米オープン | 6-2, 7-5, 6-2 | |
| 2009年 | 全仏オープン | 6-1, 7-6, 6-4 | |
| 2009年 | ウィンブルドン | 5-7, 7-6, 7-6, 3-6, 16-14 | |
| 2010年 | 全豪オープン | 6-3, 6-4, 7-6 |
| テニス4大大会男子シングルス優勝記録 | ||
|---|---|---|
| 順位 | 優勝回数 | 選手名 |
| 1位 | 16勝 | * |
| 2位 | 14勝 | |
| 3位 | 12勝 | |
| 4位タイ | 11勝 | |
| 6位タイ | 10勝 | |
| 8位タイ | 8勝 | |
| *は現役選手 | ||
[編集] 4大大会シングルス成績
- 略語の説明
| NH | 開催なし | A | 欠場 | LQ | 予選敗退 | #R | #回戦敗退 | QF | ベスト8 | SF | ベスト4 | F | 準優勝 | W | 優勝 |
| 大会 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 | 2003 | 2004 | 2005 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 通算成績 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 全豪オープン | LQ | 3R | 3R | 4R | 4R | W | SF | W | W | SF | F | W | SF | SF | 63–9 |
| 全仏オープン | 1R | 4R | QF | 1R | 1R | 3R | SF | F | F | F | W | QF | F | 49–12 | |
| ウィンブルドン | 1R | 1R | QF | 1R | W | W | W | W | W | F | W | QF | QF | 59–7 | |
| 全米オープン | LQ | 3R | 4R | 4R | 4R | W | W | W | W | W | F | SF | SF | 61–7 |
※: 2004年全米4回戦、2007年ウィンブルドン4回戦、2012年全豪2回戦の不戦勝は通算成績に含まない
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
- ロジャー・フェデラー公式ホームページ
- Roger Federer Facts & Figures
- ロジャー・フェデラー - ATPツアーのプロフィール (英語)
- ロジャー・フェデラー - デビスカップのプロフィール (英語)
- ロジャー・フェデラー - 国際テニス連盟のプロフィール (英語)
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