フィーリン・オールライト

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フィーリン・オールライト
トラフィックシングル
初出アルバム『Traffic
B面 Withering Tree
リリース
規格 7インチ・シングル
ジャンル ロック
時間
レーベル イギリスの旗 アイランド・レコード
アメリカ合衆国の旗 ユナイテッド・アーティスツ・レコード[2]
作詞・作曲 デイヴ・メイスン
プロデュース ジミー・ミラー
トラフィック シングル 年表
No Face, No Name and No Number
(1968年2月)
フィーリン・オールライト
(1968年9月)
Medicated Goo
(1968年12月)
ミュージックビデオ
「Feelin' Alright?」 - YouTube
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フィーリン・オールライト」(Feelin' Alright?)は、イングランドロックバンドであるトラフィック1968年に発表した楽曲。メンバーのデイヴ・メイスン英語版によって作詞作曲され、セカンド・アルバム『トラフィック英語版』に収録された。

概要[編集]

トラフィックは1967年12月にファースト・アルバム『ミスター・ファンタジー英語版』を発表。その直後の1968年1月、メイスンはグループを脱退した。彼は次のように述べている[3]

自分の書いた「ホール・イン・マイ・シュー」が大ヒットして、そのあとに出したファースト・アルバムも売れて成功を収めた。その頃19歳くらいだったと思うが(注・実際は21歳)、物事があまりに早く進みすぎた。俺は対処の仕方が分からず、それでバンドを辞めてしまった。いささか重荷に感じたわけさ。そしてこれから曲を書いて行くのなら、もう少し人生の経験を積んだっていいだろうと思った。だから鞄ひとつとギターを一本持ってギリシャに飛んだ。ヒドラ(Hydra)という小さな島に行き、そこで「フィーリン・オールライト」を書いた。音楽的には練習曲みたいなもので、俺はできる限り単純な曲を書いてみようと思った。「ホール・イン・マイ・シュー」や「ペイパー・サン」などでシタールを弾いていたことが極力単純な曲を書いてやろうという意欲をかきたてたんだ。そんなわけで「フィーリン・オールライト」はたった2つのコードしか使っていない。

1968年5月、メイスンはトラフィックに再加入。彼等はニューヨークレコード・プラント・スタジオでセカンド・アルバムを制作し、本曲も録音された。メイスンはアコースティック・ギター、メンバーのスティーヴ・ウィンウッドがピアノとベースを担当した。

同年9月、アルバム発表に先立ってシングルとして発表[注釈 1]され、ビルボード・Hot 100で123位を記録したが、本国イギリスではチャート入りを逃した。10月に発表されたセカンド・アルバム『トラフィック』に収録[4]。モノラル・ミックスのシングル・バージョンは再発盤CD(2001年)にボーナス・トラックとして収録された。

メイスンは、アルバム『Headkeeper』(1972年)[注釈 2]にライブ録音を収録。その後も『Certified Live』(1976年)など幾つかのライブ・アルバムで取り上げた[注釈 3]

カバー・バージョン[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

注釈[編集]

  1. ^ B面はアルバム未収録の'Withering Tree'。
  2. ^ A面がスタジオ録音、B面がライブ録音。
  3. ^ Dave Mason Is Alive』(1973年)に収録されたものは『Headkeeper』のそれと同じものである。
  4. ^ A面1曲目に収録。以後、彼のカバーを元にした様々なカバーが生まれた。