フィレッティーノ

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フィレッティーノ
Filettino
フィレッティーノの風景
行政
イタリア国旗 イタリア
Flag of Lazio.svg ラーツィオ
Blank.png フロジノーネ
CAP(郵便番号) 03010
市外局番 0775
ISTATコード 060034
識別コード D591
分離集落
隣接コムーネ カニストロ (AQ)、 カピストレッロ (AQ)、 カッパドーチャ (AQ)、 カステッラフィウーメ (AQ)、 チヴィテッラ・ロヴェート (AQ)、 グアルチーノモリーノ (AQ)、 トレーヴィ・ネル・ラーツィオヴァッレピエトラ (RM)
公式サイト リンク
人口
人口 550 人
人口密度 7 人/km2
文化
住民の呼称 filettinesi
守護聖人 シエナの聖ベルナルディノ  (Bernardino da Siena
祝祭日 5月20日
地理
座標 北緯41度53分0秒 東経13度20分0秒 / 北緯41.88333度 東経13.33333度 / 41.88333; 13.33333座標: 北緯41度53分0秒 東経13度20分0秒 / 北緯41.88333度 東経13.33333度 / 41.88333; 13.33333
標高 1.063 m
面積 77 km2
フィレッティーノの位置
フィレッティーノの位置
フロジノーネ県におけるコムーネの領域
フロジノーネ県におけるコムーネの領域
Flag of Italy.svg ポータル イタリア
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フィレッティーノFilettino)は、イタリア共和国ラツィオ州フロジノーネ県にある、人口約550人の基礎自治体コムーネ)。

かつてはリゾート地としても知られたが、近隣に大型スキー場が開設されたことから過疎化が進行。2011年、政府の自治体統廃合・補助金削減案に抗議し、「独立」を宣言して話題となった。

地理[編集]

位置・広がり[編集]

フロジノーネ県の北西部に位置し、アヴェッツァーノから西南へ約17km、県都フロジノーネから北へ約28km、首都ローマから東へ約69kmの距離にある。西にローマ県、北東にラクイラ県アブルッツォ州)に接する。

面積は約78平方km。コムーネ全域がアッペンニーノ・モンティ・シンブルイニ州立公園 (it:Parco naturale regionale dell'Appennino - Monti Simbruiniに含まれる。

隣接コムーネは以下の通り。

地勢[編集]

山岳地帯にあり、東にモンテヴィリオ(Monte Viglio)、東南にモンテラモンナ(Monte la Monna)が聳える。

歴史[編集]

前近代[編集]

もともとは古代アエクイ族の土地であり、古代ローマに編入されたあとも小さな村落として存在した。山に囲まれた地形のために、800年にはイスラム教徒の侵入から逃れた人々の避難場所としての役割を果たした。

1297年には、教皇ボニファティウス8世の甥であるピエトロ・カエターニがこの地を支配下に置いた。以後この村は領主であるカエターニ家の過酷な支配を受けることとなった。1602年、フィレッティーノ・カエターニ家最後の当主がサンタンジェロ城で処刑され、フィレッティーノは教皇クレメンス8世から教皇空位期間管理局 (Apostolic Cameraに与えられ、のちに教皇領の一部となった。1870年にイタリア王国に編入された。

現代[編集]

シルヴィオ・ベルルスコーニ政権下で行われる財政緊縮策の一環として、1000人以下の村を統廃合し補助金を削減する案に村長のルーカ・セッラーリが反発し、2011年8月に独立を宣言(国名:Principato di Filettino、フィレッティーノ公国)。独自の通貨発行を画策したり、“公国”の君主とするべく旧王家にも接触するなどしたことでイタリア国内でも話題となった[1]。2011年12月には議会選挙が行われた。現在は、ベルルスコーニの下で国会議員を務めた弁護士のカルロ・タオルミーナが“摂政”として暫定君主を務めている。2012年3月には、映画監督のパスクエーレ・スクイティエリを“首相”とする12人の閣僚からなる内閣が発足した。

社会[編集]

人口推移[編集]

かつてはリゾート地としても知られ、冬場にはスキー客などが訪れていたが、現在は近くに大型スキー場が開設され、観光客が激減。急速に過疎化している。このことが「独立」宣言にいたる理由の一つとなっている。

人物[編集]

著名な出身者[編集]

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]