フアン (バルセロナ伯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
フアン・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグ
バルセロナ伯爵
J. de Borbón.jpg
続柄 アルフォンソ13世第六子王子
称号 バルセロナ伯爵、スペイン王(追尊)
全名 Juan Carlos Teresa Silverio Alfonso(スペイン)
出生 1913年6月20日
スペインの旗 スペイン・サン・イルデフォンソ、ラ・グランハ宮殿
死去 1993年4月1日(満79歳没)
スペインの旗 スペインパンプローナ
配偶者 マリア・デ・ラス・メルセデス
子女 ピラール
フアン・カルロス1世
マルガリータ
アルフォンソ
父親 アルフォンソ13世
母親 ビクトリア・エウヘニア
テンプレートを表示

フアン・カルロス・テレサ・シルベストレ・アルフォンソ・デ・ボルボン・イ・バッテンベルグ(Juan Carlos Teresa Silverio Alfonso de Borbón y Battenberg, 1913年6月20日 セゴビア - 1993年4月1日 パンプローナ)は、スペイン国王アルフォンソ13世と王妃ビクトリア・エウヘニアの四男。国王フアン・カルロス1世の父。バルセロナ伯の称号を有した。

フアンには死産の1人を除き2人の兄がいたが、長兄アストゥリアス公アルフォンソ貴賤結婚のため、次兄セゴビア公ハイメは聴覚の障害のため、それぞれ王位継承権を放棄していた。父アルフォンソ13世は1931年に亡命していたが、死の直前の1941年に名目上の王位をフアンに譲った。

フアンは1935年に、旧両シチリア王家(スペイン・ブルボン家の同族であるブルボン=シチリア家)の出身であるマリア・デ・ラス・メルセデス(最後の国王フランチェスコ2世の甥カルロ・タンクレーディの娘)とローマで結婚した。2人の間には4子が生まれた。

スペイン内戦ののちに実権を握ったフランシスコ・フランコは、フアンがリベラルすぎることを恐れて、その帰国を望まなかった。しかし、その長男フアン・カルロスは受け入れ、政権の後継者として帝王学を学ばせた。

フランコが1975年に死去すると、遺言により「スペイン公」フアン・カルロスは国王フアン・カルロス1世として王位に就き、スペインに王制が復活した。フアンは1977年に形式上の王位請求権を放棄し、その代償としてフアン・カルロス王は父にバルセロナ伯の称号(スペイン国王が歴史的に有してきた称号の一つ)を公式に認めた。1988年にはスペイン海軍大将に叙されている。

1993年パンプローナで薨去した。フアンはスペイン王に追尊され、「フアン3世」の追号をもってエル・エスコリアル修道院に埋葬された。

先代:
アルフォンソ13世
スペイン王位請求者
1941年 - 1977年
次代:
フアン・カルロス1世
(1975年即位)