ファリド・モンドラゴン

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ファリド・モンドラゴン Football pictogram.svg
Faryd Mondragon 2.jpg
名前
本名 ファリド・カミロ・モンドラゴン・アリ
Faryd Camilo Mondragón Alí
愛称 El Turco
ラテン文字 Faryd Mondragón
基本情報
国籍 コロンビアの旗 コロンビア
生年月日 1971年6月21日(42歳)
出身地 コロンビアの旗 カリ
身長 189cm
体重 94kg
選手情報
在籍チーム コロンビアの旗 デポルティーボ・カリ
ポジション GK
背番号 1
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1991
1992
1992
1993
1993-1994
1994-1995
1995
1995-1998
1999
1999-2000
2001
2001-2002
2002-2007
2007-2010
2011
2012-
コロンビアの旗 デポルティーボ・カリ
コロンビアの旗 レアル・カルタヘナ
コロンビアの旗 サンタフェ
パラグアイの旗 セロ・ポルテーニョ
アルゼンチンの旗 アルヘンティノス・ジュニアーズ
アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ
コロンビアの旗 サンタフェ
アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ
スペインの旗 レアル・サラゴサ
アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ
フランスの旗 FCメス
トルコの旗 ガラタサライ (loan)
トルコの旗 ガラタサライ
ドイツの旗 ケルン
アメリカ合衆国の旗 フィラデルフィア・ユニオン
コロンビアの旗 デポルティーボ・カリ
1 (0)
15 (0)
2 (0)
11 (0)
21 (0)
0 (0)
8 (0)
103 (1)
13 (0)
16 (0)
30 (0)
28 (0)
157 (0)
106 (0)
27 (0)
23 (0)
代表歴2
1993- コロンビアの旗 コロンビア 50 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2013年2月14日現在。
2. 2013年2月14日現在。
テンプレート(ノート 解説)サッカー選手pj

ファリド・カミロ・モンドラゴン・アリFaryd Camilo Mondragón Alí, 1971年6月21日 - )は、コロンビアカリ出身の同国代表サッカー選手カテゴリア・プリメーラAデポルティーボ・カリ所属。ポジションはゴールキーパー。レバノン人を祖先にもつ両親の下で生まれた[1]

経歴[編集]

モンドラゴンは、コロンビアデポルティーボ・カリ, レアル・カルタヘナ英語版, インデペンディエンテ・サンタフェパラグアイセロ・ポルテーニョアルゼンチンアルヘンティノス・ジュニアーズ, CAインデペンディエンテスペインレアル・サラゴサフランスFCメスと様々なトップリーグのクラブに所属した。

第27節ライバルのボルシアMG戦でのモンドラゴン

1990年に地元のデポルティーボ・カリでデビューし、国内の複数クラブを経てパラグアイセロ・ポルテーニョに加入。1993年にアルゼンチントップリーグに属するアルヘンティノス・ジュニアーズと契約したことで、モンドラゴンのキャリアは飛躍の機会を得ることとなった。ここでスタメンの座を掴み、翌年にCAインデペンディエンテ移籍すると1995年から4シーズンの間で正GKを務めた。

その後、スペインレアル・サラゴサに移籍するも13試合の出場に留まり、インディペンデンテに復帰。2000-01シーズン、2度目の欧州挑戦となったFCメスで安定したプレーを見せ残留に貢献していたものの、ギリシャの偽造パスポートを所持した[2][3]として罰金と2年間のフランス入国禁止の有罪判決を受けた[4]。問題の1つとなっていたEU国外枠の上限には達しておらず、2月6日の聴聞会での"パスポートは代理人が用意した", "自分は詐欺の被害者"との発言[5]を受け、ナショナルフットボールリーグ(LNF=現LFP)司法委員会からの制裁はなかった[6]が、パリ裁判所の命令は覆ることはなくフランスを去ることを余儀なくされた。

2001-02シーズンはレンタルでガラタサライに在籍[7]し、クラウディオ・タファレルの後釜としてリーグ優勝に貢献。シーズン終了後にモンドラゴン自身とチームは4年契約を結んだものの、昨シーズンにチームを指揮したミルチェア・ルチェスク監督の要望でベシクタシュJKが獲得に乗り出し、保有権を持つメス側とクラブ間合意している事態が発生[8]。最終的にベシクタシュは撤退し、代わりにモンドラゴンと同世代のオスカル・コルドバを獲得した[9]。その後は、2007年までの間を不動の守護神として過ごし、幾度ものセーブでチームを救い、2005-06シーズンにリーグ優勝を果たした。また、UEFAチャンピオンズリーグで2度週間最優秀選手に輝いた。

2007年5月にクリストフ・ダウム監督率いる1.FCケルンへ移籍。プレシーズンで守護神ステファン・ヴェッセルス英語版とのスタメン争いに勝ち背番号1を獲得したことで、ヴェッセルスはシーズン開幕前にイングランドエヴァートンFCへ移籍していった。ヴェッセルス退団後は常に正GKとしてプレーしていたものの、2010-11シーズン代表に関してズヴォニミル・ソルド監督と確執が生まれたことで、クロアチア人若手GKミロ・ヴァルヴォディッチ英語版に取って代わられベンチを温める日々が続いた[10]

2度目のデポルティーボ・カリでのモンドラゴン

その後、MLSでのプレー願望から、2010年12月31日をもってケルンとの契約は解消[11]。2011年1月からに在籍したフィラデルフィア・ユニオンでは、若いチームの中でリーダーシップを発揮。その年のMLSオールスターゲームに出場し、メジャーリーグサッカー最優秀GK賞英語版は惜しくも逃したが、ケイシー・ケラーに次ぐ2位に選ばれるなど成功した[12]

2012年1月30日、自身のキャリアを終わらせるため、古巣デポルティーボ・カリに1年契約で復帰した[13]

代表[編集]

1993年にコロンビア代表デビューし、バルセロナオリンピック1994 FIFAワールドカップのメンバーだった。1998 FIFAワールドカップではグループリーグ敗退までの全3試合に出場し。最終戦となったイングランド戦では2度得点を許したものの、幾度ものセーブでそれ以上の失点を防いだ。

2013年、41歳の年齢ながらも代表招集されている。

所属クラブ[編集]


タイトル[編集]

アルゼンチンの旗 CAインデペンディエンテ
トルコの旗 ガラタサライ

脚注[編集]

外部リンク[編集]