ファドリケ・アルフォンソ・デ・カスティーリャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

ファドリケ・アルフォンソ・デ・カスティーリャ(Fadrique Alfonso de Castilla, 1334年? - 1358年)は、カスティーリャアルフォンソ11世と愛妾レオノール・デ・グスマンの庶子。セビリャで生まれた。初代アーロ卿。第25代サンティアゴ騎士団長(在任:1342年 - 1358年)。生年に諸説あり、エンリケ・デ・トラスタマラ(のちのエンリケ2世)の双生児の弟とも、1歳年下の弟ともいわれている。

1351年に母レオノールが処刑されると、兄弟のエンリケ、テリョサンチョとともに、異母弟ペドロ1世に反旗を翻した(第一次カスティーリャ継承戦争)。彼はカスティーリャ貴族の反乱に加わったが、ペドロと和解し、王家の密使に任じられて国境でペドロの婚約者ブランシュ・ド・ブルボン(のちの王妃)に面会した。

1354年、ポルトガル国境警備に就き、ペドロの信頼を失った前宰相ジョアン・アロンソ・アルブケルケと、ペドロを裏切るための交渉をした。トレドの住民はファドリケを援助し、彼は700人の兵士を引き連れて現れた。戦いはわずかな期間のみで回避され、ペドロは譲歩し、ファドリケを宮廷の要職に就けた。ファドリケは、王の愛妾マリア・デ・パディーリャの叔父フアン・フェルナンデス・デ・イネストロサを仲介に立て、王に見せかけの許しを請い、受け入れられた。その間、兄エンリケはフランスへ亡命し、カスティーリャ王位簒奪の援助を求めて活動していた。

ペドロは、ファドリケをセビリャの王城へ招き、そこで彼に死を命じた。ファドリケは逃れようと王城の庭へ駆け込んだが捕らえられた。別の言い伝えでは、ペドロ自身がファドリケを殺したといわれている。

子女[編集]

ファドリケは、カスティーリャ貴族のレオノーラ・デ・アングロと結婚していたが、子供はなかった。

愛人パロマ(ポルトガルアフォンソ1世に重用されたユダヤ人ヤヒア・ベン・アリの子孫)との間には3人の庶子がいた。

  • アルフォンソ・エンリケス(1354年 - 1429年) 初代メディナ・デ・リオ・セコ卿
  • ペドロ・エンリケス(1355年 - 1400年) 初代トラスタマラ伯、カスティーリャの第2代警察長官。
  • レオノーラ・エンリケス(1357年 - 1382年) カスティーリャの陸軍元帥ディエゴ・ゴメス・サルミエントの妻

アルフォンソの子孫に、アラゴン家のアラゴンフアン2世の後妻でフェルナンド2世の母であるフアナ・エンリケスがいる。