ピート・チルカット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ピート・チルカット
Pete Chilcutt
引退
ポジション PF
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 (1968-09-14) 1968年9月14日(55歳)
出身地 サウスカロライナ州サムター
身長(現役時) 208cm (6 ft 10 in)
体重(現役時) 111kg (245 lb)
キャリア情報
出身 ノースカロライナ大学
ドラフト 1991年 1巡27位
選手経歴
1991-1994
1994
1994
1994-1996
1996-1999
1999-2000
2000
2000
サクラメント・キングス
デトロイト・ピストンズ
イタリアの旗 パラカネストロ・トリエステ
ヒューストン・ロケッツ
バンクーバー・グリズリーズ
ユタ・ジャズ
ロサンゼルス・クリッパーズ
クリーブランド・キャバリアーズ
受賞歴
Stats ウィキデータを編集 Basketball-Reference.com
Stats ウィキデータを編集 NBA.com 選手情報 NBA.Rakuten

ピーター・ショーン・チルカットPeter Shawn Chilcutt 1968年9月14日- )はサウスカロライナ州サムター出身のバスケットボール選手。1991-92シーズンから1999-2000シーズンまでの9シーズンで7チームを渡り歩いた[1]

経歴[編集]

学生時代[編集]

ノースカロライナ大学チャペルヒル校では1年次に中心選手のJ・R・リードを欠いたシラキューズ大学戦で同点となるブザービーターを決めた。リードが復帰すると控えに回った。3年次の1990年、平均9得点、6.6リバウンドをあげ、NCAAトーナメントの1回戦、第1シードのオクラホマ大学戦で17得点をあげて番狂わせに貢献したが、彼の活躍は同僚のリック・フォックスの影に隠れた。4年次には平均12得点、シュート成功率54%、フリースロー成功率77%の成績をあげて、フォックスやキング・ライス英語版とともに1982年以来となるNCAAトーナメントファイナル4にチームを導いた[2]

NBA[編集]

ノースカロライナ大学を卒業後、1991年のNBAドラフトで1巡目でサクラメント・キングスに指名されて入団した[3][4]

1994-1995シーズンには平均5.3得点、4.7リバウンド、3ポイントシュート成功率40.7%[4]、プレーオフ20試合中15試合で先発[5]、4.5得点、2.9リバウンドの成績をあげて、ヒューストン・ロケッツNBAファイナル制覇に貢献した[3]

1999年10月4日、ユタ・ジャズとベテランの最低年俸76万ドルで1年契約を結んだ[3]。2000年1月、ロサンゼルス・クリッパーズと10日間契約を結んだ[4]。契約延長は果たせなかったものの[6]、その後クリーブランド・キャバリアーズとの10日間契約をはさんで、2月下旬にクリッパーズとシーズン2度目となる10日間契約を結んだ[7]。さらにシーズン3度目となる10日間契約をクリッパーズと結んだ[8]

人物[編集]

  • 腎臓が1つだけで生まれている[9]

脚注[編集]

  1. ^ We Like Obscure NBA Players: Pete Chilcutt”. thenolookpass.com (2009年5月13日). 2012年3月24日閲覧。
  2. ^ Carolina’s Greatest Players of the ACC Era: 60-51”. tobaccoroadblues.com (2011年10月24日). 2012年3月24日閲覧。
  3. ^ a b c Jazz sign forward Pete Chilcutt”. スポーツ・イラストレイテッド (1999年10月4日). 2012年3月24日閲覧。
  4. ^ a b c d Chilcutt Is Added to Roster”. ロサンゼルス・タイムズ. 2012年3月24日閲覧。
  5. ^ ロケッツはオーティス・ソープクライド・ドレクスラー獲得のため放出していた。
  6. ^ Boom Times for Anderson”. ロサンゼルス・タイムズ (2000年1月29日). 2012年3月24日閲覧。
  7. ^ Chilcutt, McInnis Bolster Roster”. ロサンゼルス・タイムズ (2000年2月27日). 2012年3月24日閲覧。
  8. ^ Chilcutt's Season Has Run the Gamut”. ロサンゼルス・タイムズ (2000年4月5日). 2012年3月24日閲覧。
  9. ^ Ostertag just trying to be a brother”. cjonline.com (2002年6月11日). 2008年6月8日閲覧。

外部リンク[編集]