ピート・シンフィールド

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ピート・シンフィールド
Pete Sinfield
基本情報
出生名 ピーター・ジョン・シンフィールド
(Peter John Sinfield)
生誕 (1943-12-27) 1943年12月27日(80歳)
出身地 イングランドの旗 ロンドン
ジャンル プログレッシブ・ロック
職業 詩人作詞家プロデューサー
活動期間 1968年 - 現在
共同作業者 キング・クリムゾン
ロキシー・ミュージック
エマーソン・レイク・アンド・パーマー ほか
公式サイト Song Soup On Sea

ピーター・ジョン・“ピート”・シンフィールドPeter John "Pete"[1] Sinfield、1943年12月27日 - )は、イングランドロンドン生まれの詩人作詞家

経歴[編集]

1969年に結成されたプログレッシブ・ロック・グループのキング・クリムゾンのオリジナル・メンバーの一人であり、作詞とステージでの照明を担当という極めて特異な役割を担った。デビュー・アルバム『クリムゾン・キングの宮殿』の収録曲「エピタフ」の"Confusion will be my epitaph"(「我が墓碑銘は『混乱』 」)という有名な一節に代表されるように、ロック・ミュージックに壮大なスケールの世界観を持ち込み、バンドの方向性を決定付けた。『クリムゾン・キングの宮殿』発表後に5名のオリジナル・メンバーのうち3名が脱退してからは、残ったギタリストのロバート・フリップとコンビを組んで、アルバム『ポセイドンのめざめ』『リザード』『アイランズ』の制作の要となった。またアルバム・ジャケットのデザインにも関与したほか、1971年のライブにおいては、FOH・サウンド・エンジニアリングとVCS3・シンセサイザーの操作も担当した[2]

アイランズ』発表直後の1971年の暮れにフリップと対立してキング・クリムゾンを去り、1973年エマーソン・レイク・アンド・パーマー(ELP)[注釈 1]が所有するマンティコア・レコードから、ソロ・アルバム『スティル』[注釈 2]を発表した[3]

シンフィールドは基本的にはミュージシャンではなく詩人である[注釈 3]が、キング・クリムゾンでの実績だけでなく、1970年代プログレッシブ・ロック・シーンに大きな業績を残した。ELPの『恐怖の頭脳改革』『ELP四部作』『作品第2番』『ラヴ・ビーチ』にゲスト参加して作詞に大きく関与した。また、本国イタリアでは有名であったが国外では無名だったプログレッシブ・ロック・グループプレミアータ・フォルネリア・マルコーニ(PFM)[注釈 4]のセカンド・アルバム『友よ』(1972年)の収録曲に英語の詞をつけて、再録音のプロデューサーを務めて『幻の映像』(1973年)としてマンティコア・レコードから発表した。プログレッシブ・ロック・グループ以外でも、ロキシー・ミュージックのデビュー作『ロキシー・ミュージック』(1972年)をプロデュースしたり[4][5]シェールセリーヌ・ディオンの作品に歌詞を提供して世界的な成功を収めたり、幅広い活動を行った[6]

2011年8月7日、BS-TBSで放送された番組「SONG TO SOUL ~永遠の一曲~ クリムゾン・キングの宮殿」に英国で取材を受けて出演。キング・クリムゾン誕生前後の状況や楽曲制作の裏話を証言した。

ディスコグラフィ[編集]

ソロ・アルバム[編集]

  • 『スティル』 - Still (1973年) ※ボーカル、12弦ギター、シンセサイザー、プロデュース、カバー・デザイン担当。1993年に『スティルージョン』 - Stillusionとして再発

キング・クリムゾン[編集]

エマーソン・レイク・アンド・パーマー[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ "Pete" は "Peter" の愛称 --ジーニアス英和辞典』(第3版)大修館書店〈シャープ電子辞書 PW-9600 収録〉、2002年。 より。
  2. ^ ライブCD『レディース・オブ・ザ・ロード』のライナーノーツより。
  3. ^ Smith (2019), pp. 159–164.
  4. ^ Smith (2019), pp. 158–159.
  5. ^ Buckley (2004), pp. 64–67.
  6. ^ Smith (2019), pp. 386–387.

注釈[編集]

  1. ^ ELPのグレッグ・レイクキング・クリムゾンのオリジナル・メンバーだった。
  2. ^ 1993年にピーター・シンフィールド名義で、CD『スティルージョン』として再発売された。
  3. ^ 但し、ソロ・アルバム『スティル』では、ボーカルだけでなく12弦ギター、シンセサイザーも担当した。
  4. ^ シンフィールドの発案で、イギリスやアメリカではP.F.M. またはPFMという略称が使用されたが、母国イタリアでは引き続きフル・ネームが使用された。

参考文献[編集]

  • Smith, Sid (2019), In the Court of King Crimson: An Observation over Fifty Years, Panegyric, ISBN 978-1916153004 
  • Buckley, David (2004). The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music. Andre Deutsch. ISBN 0-233-05113-9 

外部リンク[編集]