ピョートル・ニコラエヴィチ

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ピョートル大公

ピョートル・ニコラエヴィチロシア語表記:Пётр Николаевич,1864年1月10日 - 1931年1月17日)は、ロシアの皇族。ニコライ1世の孫息子の一人で、ロシア大公の称号を有した。ニコライ・ニコラエヴィチ大公とその妻アレクサンドラ・ペトロヴナ大公妃の次男。

1889年、モンテネグロ王ニコラ1世の娘ミリツァ・ニコラエヴナと結婚し、4人の子女をもうけた。

1907年、ピョートルの兄ニコライ・ニコラエヴィチ大公と、ミリツァの妹アナスタシヤが結婚した。ニコライ大公夫妻とピョートル大公夫妻は、20世紀初頭のロシア宮廷で非常に大きな影響力を振るった。彼ら二組の夫婦は「黒い家族」というあだ名を付けられ、オカルトに熱中していた。彼らは最初、フィリップ・ヴァショというスイス人の偽神秘家を皇帝ニコライ2世と皇后アレクサンドラ・フョードロヴナに紹介し、次いでロシア人農夫上がりのグリゴリー・ラスプーチンを皇帝夫妻に紹介した。

皇帝の義理の甥であるフェリックス・ユスポフ公爵は、ピョートル大公とミリツァ、アナスタシヤ姉妹を「邪悪な権力の中心」と呼んでいた。こうした見方は徐々にロシア宮廷中に浸透していった。マリヤ・フョードロヴナ皇太后は、ニコライ、ピョートル両大公とその妻たちが宮廷を牛耳るため、ノイローゼ気味のアレクサンドラ皇后のもとにラスプーチンを送り込んだと信じていた。しかし1914年までに、アレクサンドラ皇后本人も彼らを「黒い家族」と呼ぶようになり、彼らに操られていると意識し始めた。

ピョートル大公一家と兄ニコライ大公夫妻は、ロシア革命後にイギリスの戦艦「マールバラ」号に乗ってロシアを脱出し、南フランスに亡命した。ピョートルは1931年、アンティーブで亡くなった。