ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ

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ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ
Birendra Bir Bikram Shah
ネパール王
Birendra dev.jpg
ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ
在位 1972年1月31日 - 2001年6月1日
戴冠 1975年2月24日
全名 वीरेन्द्र वीर बिक्रम शाहदेव
ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ・デーブ
出生 1945年12月28日
ネパールカトマンズナラヤンヒティ王宮
死去 2001年6月1日(満55歳没)
ネパールの旗 ネパールカトマンズナラヤンヒティ宮殿
王太子 ディペンドラ
配偶者 アイシュワリヤ
子女 ディペンドラ
シュルティ
ニラジャン
王朝 ゴルカ朝
父親 マヘンドラ
母親 インドラ・ラージャ・ラクシュミー
宗教 ヒンドゥー教
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ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャハ・デーブネパール語: वीरेन्द्र वीर बिक्रम शाहदेव, ラテン文字転写: Birendra Bir Bikram Shah Dev1945年12月28日 - 2001年6月1日)は、ネパール王国の第10代君主(在位:1972年1月31日 - 2001年6月1日)。第9代マヘンドラの長男。

生涯[編集]

1945年12月28日、ネパール王マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハの息子として生まれた[1]

1972年、父マヘンドラ国王の死去に伴い、即位[2]

1990年11月、民主化を求める声が高まったのを受けて、複数政党制などを認める新憲法を公布[3]絶対君主制に終止符を打ち、ネパールは立憲君主制へ移行した。ビレンドラは開明的君主として、国民の厚い信頼を得た。

東京大学に留学経験もあり、親日家としても知られていた。1967年、大学に留学していたビレンドラに熱海の植物友の会がの種を献上し、その返礼としてヒマラヤザクラが贈られた。

2001年6月1日ネパール王族殺害事件でアイシュワリャ王妃らとともに射殺された[4][5]。事件の犯人とされる長男のディペンドラ王太子が意識不明のまま即位したが、3日後に死去したため、弟のギャネンドラが即位した。

脚注[編集]

  1. ^ Nepal 12
  2. ^ Nepal 12
  3. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.668
  4. ^ Nepal 12
  5. ^ 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.678

参考文献[編集]

  • 佐伯和彦 『世界歴史叢書 ネパール全史』 明石書店、2003年 

関連項目[編集]