ビコーペガサス
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| ビコーペガサス | |
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2004年8月22日撮影(日高スタリオンステーション)
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| 品種 | サラブレッド |
| 性別 | 牡 |
| 毛色 | 鹿毛 |
| 生誕 | 1991年2月8日 |
| 死没 | (生存) |
| 父 | ダンチヒ |
| 母 | コンデッサ |
| 母の父 | コンドルセ |
| 生国 | |
| 生産 | Robert Steven Stable |
| 馬主 | (有)レジェンド |
| 調教師 | 柳田次男(栗東) |
| 競走成績 | |
| 生涯成績 | 27戦4勝 |
| 獲得賞金 | 3億5785万4000円 |
ビコーペガサスはアメリカ合衆国生まれで日本で調教された競走馬である。 短距離での追い込みを特徴とし、そのため追い込んで届かないレースも多く、重賞勝ちはGIII2勝にとどまったが、GIレースでも2着3回があり、能力の高さは見せた。
※現役時代における馬齢は当時の表記(数え年)で統一する。
目次 |
[編集] 戦績
3歳となった1993年11月6日に京都競馬場の新馬戦(ダート1200m)で上村洋行が騎乗しデビュー。 2着トロナラッキーに9馬身差をつけて圧勝。続くさざんか賞(500万下・ダート1400m)でも後のダート王ライブリマウントに5馬身差をつけて連勝。 4歳となった1994年初戦で京成杯(当時は芝1600m)に的場均が騎乗し出走。 芝初挑戦ということもあって、8頭立ての3番人気と、評価はそれほど高くなかったが、圧倒的一番人気であった阪神3歳牝馬ステークス勝ちのヒシアマゾンに2馬身差をつけて勝ち、デビュー3連勝を収めた。 この年ヒシアマゾンに土をつけたのは同競走の本馬と、有馬記念のナリタブライアンの2頭のみであった。
その後骨折で休養し、復帰初戦となったニュージーランドトロフィーは3着に終わって初の敗北を喫し、続く中日スポーツ賞4歳ステークス(当時は芝1800m)では単勝1.2倍の支持に応えられず2着に敗れた。 古馬相手となってスワンステークス、マイルチャンピオンシップ(以下「マイルCS」)は7着、5着に終わったが、スプリンターズステークス(以下「スプリンターズS」)では、狂乱ペースでサクラバクシンオーが1分7秒1の当時としては破格のレコードで勝つ中、追い込んで2着に健闘した。
しかし、1995年年明けに再び骨折。それもあって5歳春は3戦し、安田記念4着の他は大敗に終わった。 放牧を経て、秋になって武豊が騎乗し、初戦のセントウルステークス(GIII・芝1400m[1])で1年9ケ月ぶりの勝利を収める[2]。 この勝利で、マイルCSでは1番人気に支持されるが、トロットサンダーの4着に敗れる。[3]スプリンターズSでは横山典弘が初騎乗し2年連続の2着に入線(勝ち馬ヒシアケボノ)。
6歳(1996年)春はダービー卿チャレンジトロフィーで復帰(3着)し、短距離のGIに昇格した高松宮杯に出走。中団から脚を伸ばすも早めに先頭に立ったフラワーパークに届かず、三たび2着に終わる[4]。安田記念は直線やや前が狭くなる不利もあり、5着に終わった。 秋にはスワンS(2着)から始動。2番人気のマイルCSはジェニュインの9着と惨敗。 GI制覇の悲願達成を期したスプリンターズSでは、4コーナー手前で致命的な不利[5]があり、7着に敗れる。
7歳初戦にはJRA初のダートGIに昇格したフェブラリーステークスで3年ぶりにダートに出走も4着。 シルクロードステークスでは日本レコードで駆けたエイシンバーリンの2着に入り、高松宮杯では2番人気に支持されたが10着。 以後、骨折もあって能力が衰え、着順掲示板に載ることはなく、8歳の安田記念(13着)を最後に引退した。
最大でも442キロの小柄な馬体で、1歳下の大型馬ヒシアケボノとは100kg以上の差があった。
[編集] 年齢別成績
- 3歳(1993年):2戦2勝 (さざんか賞500万下)
- 4歳(1994年):6戦1勝 2着2回 (京成杯、スプリンターズS2着)
- 5歳(1995年):6戦1勝 2着1回 (セントウルS、スプリンターズS2着)
- 6歳(1996年):6戦0勝 2着2回 (高松宮杯2着)
- 7歳(1997年):4戦0勝 2着1回
- 8歳(1998年):3戦0勝
[編集] 騎手
- 上村洋行:11戦2勝 2着2回(さざんか賞)
- 的場均:8戦1勝 2着2回(京成杯)
- 武豊:4戦1勝(セントウルS)
- 横山典弘:4戦0勝 2着2回
- 3度のGI2着は、4歳時のスプリンターズSは的場。5歳時と高松宮杯は横山典。
[編集] 引退後
引退後は種牡馬となり、良血と潜在能力を期待されて当初はそこそこの人気を集めたが、目立った産駒はいない。2001年に腰の骨折のため1年間種付けを休養するアクシデントに見舞われたこともあって、以後ほとんど産駒は送り出せなかった。2006年に種牡馬を引退。 現在は功労馬管理施設Rolling eggs clubに繋養されている。
[編集] 血統表
| ビコーペガサスの血統 (ノーザンダンサー系/5代までアウトブリード) | |||
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父
Danzig 1977 鹿毛 |
Northern Dancer 1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco |
| Lady Angela | |||
| Natalma | Native Dancer | ||
| Almahmoud | |||
| Pas De Nom 1968 黒鹿毛 |
Admiral's Voyage | Crafty Admiral | |
| Olympia Lou | |||
| Petitioner | Petition | ||
| Steady Aim | |||
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母
Condessa 1978 栗毛 |
Condorcet 1972 鹿毛 |
Luthier | Klairon |
| Flute Enchantee | |||
| Pan American | Pan | ||
| Visibility Good | |||
| Varinessa 1970 鹿毛 |
Varano | Darius | |
| Varna | |||
| Silken Princess | Arctic Prince | ||
| Silken Slipper F-No.5-h | |||
- 母はヨークシャーオークス(英GI)勝ち、アイルランドオークス2着。
- 本馬の活躍もあって、姉妹の多くは繁殖牝馬又は競走馬として輸入され、いずれも日本で繁殖生活を送るが、現時点で甥姪に目立った活躍馬は居ない。
[編集] 脚注
- ^ この年は阪神・淡路大震災の影響で京都で開催。
- ^ これが最後の勝利となった。
- ^ マイルCSは1984年の創設以来、この前年の1994年まで一番人気馬が11回連続して連対(2着以内)を果たしていたが、本馬がレース史上初めて連対を外した。
- ^ 前年スプリンターズSで敗れたヒシアケボノや、初対決となった同期のクラシック三冠馬ナリタブライアンには先着を果たした。
- ^ 3~4コーナー中間で、目の前でニホンピロスタディが故障し、逃げ場をなくした本馬は他の馬から完全に取り残される不利を受ける。「絶望的な位置から1.4秒差の7着に入った直線での脚色からして、不利がなければ差し切っていた。」と悔やむファンも多い。

