ビクトル・エリセ

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ビクトル・エリセ
Víctor Erice
本名 ビクトル・エリセ・アラス
Víctor Erice Aras
生年月日 1940年6月30日(74歳)
出生地 バスク地方ビスカヤ県カランサ
国籍 スペインの旗 スペイン
職業 映画監督脚本家
主な作品
ミツバチのささやき

ビクトル・エリセ・アラスVíctor Erice Aras, 1940年6月30日 - )は、スペインビスカヤ県出身の映画監督脚本家である。短編映画を除けば、エリセは1969年の長編監督デビューから3作品しか監督しておらず、とても寡作な監督として知られている。

経歴[編集]

1940年、バスク地方ビスカヤ県カランサに生まれた。幼少時に一家でギプスコア県サン・セバスティアンに引っ越し、そこで17年間暮らした。6歳の時に初めて観た映画は、ロイ・ウィリアム・ニール監督のアメリカ映画『緋色の爪(英語版)』である[1]。少年時代にはジョン・フォードハワード・ホークスマイケル・カーティスヴィクター・フレミングなどのアメリカ人俳優の映画を好んで観た[1]。中等教育を終えると首都マドリードに定住し、マドリード大学(現マドリード・コンプルテンセ大学)では政治学法学を専攻した。1960年にスペイン国立映画学校に入学して映画製作を学び、在学中にはクアデルノス・デ・アルテ・イ・ペンサミエント(芸術と思想)誌やヌエストロ・シネ(われらの映画)誌で映画評論を行っている。1963年に『失われた日々』で監督資格を得た。1964年、兵役についていたのち、溝口健二監督の『山椒大夫』を見て大きな感銘を受け、除隊後は映画一筋に生きる道を決意した。[要出典]アンチョン・エセイサ(英語版)監督やミゲル・ピカソ(英語版)監督と共同で脚本を執筆。1969年にはオムニバス作品『挑戦』の最終章を担当し、監督としてデビューした。

1973年には長編第一作『ミツバチのささやき』を撮り、同年のサン・セバスティアン国際映画祭でグランプリに輝いた。この映画はスペイン内戦終結直後(1940年代)のスペインの農村部の精神状況を的確に表現しており[2]、批評家のトニー・ラインズは『みつばちのささやき』を「忘れられない気持ちの作品」と表現した。その後はコマーシャル映像を手掛け、なかなか第二作を撮らなかった。1983年にはアデライダ・ガルシア・モラレスの短編を原作とする、長編第二作『エル・スール』の脚本と監督を務めた。前作同様に少女の成長をテーマとしたが、プロデューサーのエリアス・ケレヘタは物語の後半部1/3をカットした。カンヌ国際映画祭で高評価をされるも、カンヌでは今村昌平監督の『楢山節考』が作品賞を受賞した。

1992年の長編第三作『マルメロの陽光』は画家のアントニオ・ロペス・ガルシアについてのドキュメンタリーであり、カンヌ国際映画祭の審査員賞国際映画批評家連盟賞を受賞した。2002年には、数人の監督がそれぞれ10分の短編を監督したオムニバス映画『10ミニッツ・オールダー 人生のメビウス』に参加。ジェフ・アンドリューはTime Out Film Guide誌で、『10ミニッツ・オールダー』におけるエリセの作品を「実に見事である」と称賛し、「もっと頻繁に作品を撮ってくれることを望む」と付け加えた。スペイン国内外でのエリセの作品の評価は、ほぼ全会一致で熱狂的である。2007年にはマドリードのポンピドゥーセンターで、アッバス・キアロスタミ監督との映像による往復書簡『ビクトル・エリセ/アッバス・キアロスタミ、書簡』展が開催された。2010年にはカンヌ国際映画祭の長編部門審査員を務め、初めて映画を審査する側に回った[1]

監督作品[編集]

長編[編集]

オムニバス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c ビクトル エリセ独占インタビューカンヌ国際映画祭公式サイト, 2010年5月17日
  2. ^ 乾(1992)、p.79

外部リンク[編集]