ビクター・ウェイスコプフ

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ビクター・ウェイスコプフ

ビクター・ウェイスコプフ(Victor Frederick Weisskopf、1908年9月19日 - 2002年4月22日)は、オーストリア生まれのユダヤ系アメリカ人理論物理学者である。ヴェルナー・ハイゼンベルクエルヴィン・シュレディンガーウォルフガング・パウリニールス・ボーアらとともにポストドクターの研究を行った。第二次世界大戦中にはロスアラモス研究所マンハッタン計画に参加し、原子爆弾を開発したが、後に核拡散に反対する運動に加わった。

ウェイスコプフはウィーンで生まれ、ドイツゲッティンゲン大学で1931年に物理学の博士号を取得した。

第二次世界大戦後は、マサチューセッツ工科大学の物理学部に行き、最終的に学部長にまでなった。

ウェイスコプフは、アメリカ合衆国の「憂慮する科学者の会」の共同設立者の1人であり、1961年から1966年には欧州原子核研究機構の事務局長を務めた。

1956年にマックス・プランク・メダル、1972年にPrix mondial Cino Del Duca、1980年にアメリカ国家科学賞、1981年にウルフ賞物理学部門を受賞した。

また、彼は全米科学アカデミーのメンバーであり、1960年から1961年までアメリカ物理学会、1976年から1979年までアメリカ芸術科学アカデミーの会長を務めた。

ウェイスコプフはユダヤ教徒であったが、1975年にローマ教皇パウロ6世から、教皇庁科学アカデミーの70人のメンバーとして指名され、1981年には核兵器の使用を禁止する必要を説くためにヨハネ・パウロ2世からロナルド・レーガン大統領に派遣された4人の科学者を率いた。

彼はエレン・ トゥヴェーデと結婚した。2番目の妻ドゥーシャに先立たれ、2002年にマサチューセッツ州ニュートンで死去した。

参考[編集]

  • V. Stefan (Editor). PHYSICS and SOCIETY. Essays in Honor of Victor Frederick Weisskopf by the International Community of Physicists. ISBN 1-56396-386-8

外部リンク[編集]