ヒムヤー

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ヒムヤー
英字表記 Himyar
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1875年
死没 1905年12月30日(30歳没)
Alarm
Hira
母の父 Lexington
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産 Major Barak G. Thomas
馬主 Dixiana Farm
→Edward S. Gardner
競走成績
生涯成績 27戦14勝
獲得賞金 11,650ドル
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ヒムヤーHimyar1875年 - 1905年)は、アメリカ合衆国で生産・調教された競走馬、および種牡馬1893年のアメリカリーディングサイアーで、後世のアメリカ競馬界に息づく傍流系統ヒムヤー系の祖となった。

経歴[編集]

アメリカのオーナーブリーダーであった、バラク・トーマス少佐が生産した馬の一頭である。1877年にデビューし、5歳まで競走生活を送った。

最高で1マイル4分の3戦(14ハロン・約2816メートル)での勝鞍があるが、スタミナよりはその卓越したスピードで名の知られた馬であった。おもな勝鞍に、3歳時に優勝したフェニックスホテルステークスなどがある。1878年のケンタッキーダービーにも出走しており、デイスターの2着に入っている。4歳時には4戦4勝と無敗でその年を終えたほか、ほかの出走馬が回避して単走を経験している。ただ、ヒムヤーはおもにアメリカ中西部地区でのみ競走生活を送り、他地区へと遠征することがほとんどなかったため、同時代の競走馬たちとの能力比較は難しいものである。

1881年より種牡馬となった。種牡馬としての代表産駒に、1891年生まれのドミノと、1895年生まれのプラウディットがいる。とくにドミノは2歳時に9戦9勝の戦績で17万ドルもの賞金を稼ぎ、その後押しによってヒムヤーは1893年の全米リーディングサイアーに輝いた。この2頭はヒムヤーの後継種牡馬となり、ドミノはコマンドを、プラウディットはキングジェームズを輩出し、ともにヒムヤーの血統を後世に伝えることに成功した。

1905年12月30日に死亡。その遺骸はディキシアナファームに埋葬された。

主な勝鞍[編集]

1877年(2歳)
コルトステークス、コルト&フィリーフォールステークス、ベルメードステークス(ルイビル競馬場)
1878年(3歳)
ベルメードステークス(ナッシュビル競馬場)、フェニックスホテルステークス、ジャニュアリーステークス
2着 - ケンタッキーダービー、エルコーンステークス
1879年(4歳) 4戦4勝
オールエイジステークス
1880年(5歳)
マーチャンツステークス、ターフステークス
2着 - シチズンズステークス

血統表[編集]

ヒムヤー血統タッチストン系 / Cerberus Mare 5x5=6.25%、 Emilius 5x5=6.25%)

Alarm
1869 鹿毛 アメリカ
Eclipse II
1855 鹿毛 イギリス
Orlando Touchstone
Vulture
Gaze Bay Middleton
Flycatcher
Maud
1859 鹿毛 イギリス
Stockwell The Baron
Pocahontas
Countess of Albermarle Lanercost
Velocipede Mare

Hira
1864 栗毛 アメリカ
Lexington
1850 鹿毛 アメリカ
Boston Timoleon
Sister To Tuckahoe
Alice Carneal Sarpedon
Rowena
Hegira
1846 栗毛 アメリカ
Ambassador Plenipotentiary
Jenny Mills
Flight Leviathan
Charlotte Hamilton F-No.A15

外部リンク[編集]