パーヴェル・ポネジェーリン

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パーヴェル・グリゴリエヴィッチ・ポネジェーリンロシア語: Павел Григорьевич Понеделин1893年3月4日 - 1950年8月25日)は、ソ連の軍人。少将。独ソ戦初期に捕虜となり、戦後銃殺された。

経歴[編集]

イワノフ州パルニコヴォ村出身。1915年、モスクワ准尉学校を卒業。

1918年から赤軍に入隊。ロシア内戦時、連隊、旅団を指揮した。1926年、フルンゼ名称軍事アカデミー、後にその大学院を卒業し、講師となった。その後、歩兵学校長、軍団参謀長、管区参謀長を歴任。ソ・フィン戦争時、師団を指揮。

1941年3月~8月、第12軍司令官。1941年8月~1945年12月までドイツ軍の捕虜だった。帰国後に逮捕され、1950年8月25日に銃殺された。

1956年、名誉回復。