パールトシュ・エデン

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Flag of Hungary.svg この項目では、ハンガリー語圏の慣習に従い、名前を姓名順で表記していますが、ヨーロッパ風にエデン・パールトシュと表記することもあります。
パールトシュ・エデン

パールトシュ・エデンヘブライ語: עדן פרטוש‎, Ödön Pártos, 1907年10月1日 - 1977年7月6日)は、ユダヤ人ヴィオラ奏者、作曲家

ハンガリーブダペスト出身。リスト音楽院アンタル・ドラティシェイベル・マーチャーシュとともに、ヴァイオリンイェネー・フバイに、作曲コダーイ・ゾルターンに師事。卒業後は、ルツェルンの交響楽団で第1ヴァイオリン奏者を務め、その後ヨーロッパの主要なオーケストラのヴァイオリン奏者を歴任した。ベルリンに居住していたが、1934年ナチス・ドイツの台頭により、ブダペストに戻った。

ソビエト連邦の招きでアゼルバイジャンバクー音楽院でヴァイオリンと作曲を教えたが、1937年に共産党への加入を拒否してソ連を去った。パレスチナ管弦楽団(後のイスラエル・フィルハーモニー交響楽団)の創設者ブロニスラフ・フーベルマンに首席ヴィオラ奏者の地位を提示され、1938年イギリス統治下のパレスティナに移住した。

1938年から1956年までイスラエル・フィルハーモニー交響楽団の首席ヴィオラ奏者を務め、イスラエル内外で独奏活動を行った。1946年にはチェロ奏者ヴィンツェ・ラースローとともにサミュエル・ルービン音楽アカデミー(現在のブーフマン・メータ音楽学校)をテルアビブに設立した。彼はイスラエルで最も重要な作曲家とみなされ、1954年に音楽の分野ではじめてイスラエル賞を受賞した.[1]

文献[編集]

  • Lyman, Darryl. Great Jews in Music, J. D. Publishers, 1986.
  • Tischler, Alice. A descriptive bibliography of art music by Israeli composers, Harmonie Park Press, 1988.
  • Weingarten, Elmar; Traber, Habakuk. Verdrängte Musik. Berliner Komponisten im Exil, Argon Verlag, 1987.

脚注[編集]

  1. ^ 1954年のイスラエル賞受賞者(ヘブライ語)(イスラエル賞公式サイト)