パルティアンショット

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パルティアンショット(Parthian Shot)とは古代において中東地域を支配したパルティア王国紀元前247年頃 - 226年)に代表される、遊牧民族弓騎兵による一撃離脱戦法一般を指す。なお、この戦法はパルティアのみに見られるものではない。

概要[編集]

パルティアンショットのイメージ

パルティアンショットは、戦いの最前線に出ては馬上で後ろ向きに矢を放ってから後退することを繰り返す戦闘方法である[1]。 パルティアは遊牧民が政権中核を構成した国家であり、の扱いに秀でていた。そのため軍隊の主力にも軽装騎兵を採用しており、機動力を生かした戦いを得意としていた。軽装騎兵はではなく弓で武装し、一定の距離を保ち矢を放って敵を苦しめた。こうした軽装騎兵を効果的に活用するためパルティアは接近した白兵戦につながる会戦をできるだけ避け、戦闘になっても会戦で決着をつけようとはせずにすぐに退却した。退却するパルティア軍は追撃する敵に逃げながら矢を放ち、その損害に敵が浮き足立ったり高速移動に敵の戦列が対応できずに戦闘隊形が乱れると、取って返して再び攻撃した。こうした戦法は特にパルティア独自のものではなく、スキタイ匈奴モンゴル帝国といった遊牧国家の戦争に共通したものであるが、ヨーロッパに古典文明を伝えたローマ帝国が本格的に対峙した遊牧民勢力がパルティアだったため、ヨーロッパ人にとって遊牧民の戦法は、パルティア的なものとして記憶されるようになった。 このようなパルティアの戦い方から逃げながら馬上から振り返りざまに打つ矢のことを「パルティアンショット」と呼び、現代では転じて「捨てぜりふ」の意味になった。こうした馬上の弓術は、パルティアの後継政権であるサーサーン朝帝王の狩猟図像などに記録されているものを、今日でも見ることができる。

脚注[編集]

  1. ^ 小島道裕『武士と騎士 日欧比較中近世史の研究』思文閣出版58頁

関連項目[編集]