パルチザン (イタリア)

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イタリアのパルチザン: Resistenza italiana: Italian resistance movement)は、第一次世界大戦後から第二次世界大戦にかけてイタリアで行われたパルチザン活動で、ファシズム体制への抵抗(レジスタンス)を目的としたものである。

目次

主なパルチザン活動[編集]

1943年10月1日未明、ナポリを放棄したナチス・ドイツ軍は、イタリア半島を北上する連合軍の追撃を受けながら退却していくが、その際に数カ所で防衛ラインを設定し、そこで地雷を敷設したり、トーチカなどの要塞を築いて反撃をし、再び撤退する戦術を取った。

主な活動区域[編集]

ムッソリーニ政権下、およびドイツ占領下のイタリアにおいて、パルチザン活動はローマを含む各地で行われていた。

そのうち、パルチザンが住民と共にファシストの支配を排除した解放区は、約20カ所と考えられているが、その多くはスイスやフランス国境付近か、半島を南北に縦断しているアッペニーノ山脈の山中などの地域であった[要出典]

その中でも行政区域を明確にして自主的に管理した「共和国」は数少ないが、モンテフィオリーノ共和国などはそのひとつであり、県都モデナから南へ54キロメートルの距離にあった。

背景・影響[編集]

イタリアが第二次世界大戦で日本・ドイツに先駆けて休戦に踏み切ったのは、パルチザン活動も一因にあるとされる[1]。また、当時のイタリア人に強い人権意識が根付いていたことを、パルチザン活動がファシズムを終結させるだけの力を持った一因とみる者もいる[2]

イタリア・パルチザンを取り扱った映画[編集]

証言[編集]

  • 『イタリア抵抗運動の遺書』 河島英昭訳、冨山房百科文庫、初版1983年
     日付は、1943年9月8日から1945年4月25日である。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 早乙女勝元『イタリア・パルチザン』草の根出版会,p26~31
  2. ^ 早乙女勝元『イタリア・パルチザン』草の根出版会,p31~34
  3. ^ 早乙女勝元『イタリア・パルチザン』草の根出版会,p17
  4. ^ 早乙女勝元『イタリア・パルチザン』草の根出版会,p19
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