パルクール

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パルクール: Parkour、略:PK)とはフランス発祥の運動方法で、走る・跳ぶ・登るなどの移動動作で体を鍛える方法。周囲の環境を利用した身体動作でどんな地形でも自由に動ける肉体と困難を乗り越えられる強い精神の獲得を目指す。 フリーランニング、l'art du déplacement(原語)という別名があるが、パルクールと同じ概念を指す。 パルクールの核を成す精神は'Méthode Naturelle'(後述)に由来する。

語源[編集]

もともと"Le parcours(ル・パルクール)"というフランス語がレイモン・ベルが自分の行っていたトレーニングについて教える際に、息子のダヴィッド・ベルに伝えられたのが始まりである。"Le parcours" は、ジョルジュ・エベルによって提案された"parcours du combattant"という古典的な障害物コース形式の兵士トレーニングに由来するが、レイモンが"le parcours"という語を使った理由は、彼のトレーニングがエベルの提案したトレーニングよりも先進した運動であり、登ること・走ること・跳ぶこと・バランスをとることといった要素をより多く含んでいることを示唆するためであった。ある時ダヴィッドが映画の撮影中にHubert Koundéに'Speed Air Man'のビデオを見せると、彼から「より単語にダイナミックさや力強さをもたせるためにcをkにして、更に最後のsをとってはどうか」と提案を受けた。ダヴィッドはそのアイデアを気に入り、公式に "Parkour"という名前が定まった。

パルクールの実践者は"traceur(トラスール)"、また女性形として"traceuse(トラスーズ)"という名前で呼ばれる。これらはフランス語の動詞で「追う」「進む」といった意味を持つ"tracer"という語に由来する。"traceur"という言葉はもともとダヴィッドを筆頭にSébastien Foucan(セバスティアン・フーカン)やStephane Vigroux(ステファン・ヴィグルー)を含むパルクール団体の呼称であった。

歴史[編集]

Méthode Naturelle[編集]

第1次世界大戦前、元海軍将校であったジョルジュ・エベル(Georges Hébert)は世界中を旅していた。アフリカでの滞在中、ジョルジュはそこで出会った民族の身体能力と巧緻性に非常に感銘を受けた[1]

'彼らの身体は素晴らしかった。柔軟で、軽快で、巧みで、頑丈で、耐性があるのだ。彼らには体操の指導者がいる訳でもなく、ただ自然の中で生活しているだけなのだ。'―ジョルジュ・エベル

1902年8月5日、ジョルジュがマルティニークサン・ピエールで駐留中に、3万人以上の死者を出したというプレー山の大噴火に遭遇した[2]。その被災現場において救出活動を行ったジョルジュは約700人の脱出と救出を成功させた。この経験が彼自身に大きな影響を与え、「身体能力は勇気や利他の精神と共に在るべきだ」という考えを揺ぎ無いものにした。後にジョルジュはあるモットーを作った。

'être fort pour être utile(強く在れ、機能的であれ)'

フランスのランスの大学で体育教官となったジョルジュは自身の体育教育のシステムを定義し、様々な運動器具を作り始めた。そして、'méthode naturelle(メトード・ナテュレル)'という新しい運動システムを創り、その為の様々なトレーニングを編み出した。'méthode naturelle'は次のように定義される[3]

  • 目的を持ち、子供から大人まで参加でき、秩序だっていて前進的で継続的な活動。
  • 完全な身体的発達を保証すること。
  • 身体の抵抗力を増強すること。
  • すべての自然的な運動、不可欠な実用的運動の全てのジャンル(歩く、走る、跳ぶ、這う、登る、バランスをとる、投げる、持ち上げる、自衛する、泳ぐ)の良さをよく認識すること。
  • 身体活動の全ての面における能力や実用的運動における力強さを伸ばし、精神的にも身体的にも習熟すること。
  • 利他であること。

ジョルジュは10種の基礎的運動群(歩く、走る、跳ぶ、這う、登る、バランスをとる、投げる、持ち上げる、自衛する、泳ぐ)から'méthode naturelle'を組み立てた。これらは次の3つの力を培うものである。

  • エネルギー的センス:エネルギー、意志力、勇気、冷静さ、堅実さ
  • モラル的センス:慈悲、援助、自尊心、正直さ
  • 身体的センス:筋力、呼吸

第一次大戦および第二次大戦の間を通して、'méthode naturelle'は広まり続け、フランスの軍事教育とトレーニングのスタンダードな方式となった。また、フランスの兵士や消防士は独自に障害物コーストレーニング'parcours du combattant' や'parcours SP'を発達させた[4]

ベル一家[編集]

ダヴィッド・ベルはパルクールの発達に大きく貢献した。

レイモン・ベル(Raymond Belle)はフランス領インドシナ(現在のベトナム)に生まれた。レイモンの父は第一次インドシナ戦争中に亡くなり、またレイモンは1954年のベトナム国の分断によって母とも離別している。彼は応召してフランス軍に入隊し、ダラットで軍事教育と訓練を受けた。このことが彼の人格形成に影響を与えた[5]ディエンビエンフーの戦いの後、レイモンはフランスへ帰国し、1958年に軍事教育を修了した。レイモンが19歳の時、パリにおいて、フランスの消防事業である"sapeures-pompiers"で彼の身体能力を活かし活躍した[6]

後に、レイモンは彼の息子ダヴィッド(David Belle)に障害物コースを使うトレーニングや"méthode naturelle"を教えた。ダヴィッドは又格闘技や器械体操などの活動に参加し、それら運動の技術を実際に織り込もうとした。ダビッドは17歳の時、自由や活動を求めて学校を去った。そしてレイモンが彼に勧めたように、ダヴィッドは実際の生活において使用できるようにと彼自身の強靭さや巧緻性をトレーニングすることを続けていった[7]。これらが後のパルクール発展においての基盤となった。

リスにおける発展[編集]

'それは夕方のことだった。たくさんの子供たちと練習していたんだ。僕はよく失敗して落ちていた―"猿も木から落ちる"みたいに。でもそのシーンは決して動画には出てこないんだ。なぜなら、観衆たちはめざましい動きしか欲していなかったからね'―ダヴィッド・ベル "The New Yorker"にて

ダビッドはフランスのリス(Lisses)へ移った後、ダビッドは仲間たちと旅行生活をした。セバスティアン・フーカン(Sébastien Foucan)はジャンプ・ロンドンの中でこう語っている。

"そのときから僕たちは成長した。本当の町全体が見えるようになったんだ―僕たちのため、パルクールのためのね。子供みたいに、よく見つめて、考えなきゃいけないんだ"

また、セバスティアンはこれを"パルクールの視点(the vision of parkour)"だと話す。

1997年、シャルル・ベリエール(Charles Perriere)、チョウ・ベル(Chau Belle)、ダヴィッド・ベル(David Belle)、ロラン・ピエモンテージ(Laurent Piemontesi)、セバスチャン・フーカン(Sébastien Foucan)、ギレン・ペリエール(Guylain Perriere)、マリク・ディウフ(Malik Diouf)、ウィリアム・ベル(Williams Belle)をメンバーとするパルクール集団"ヤマカシ(Yamakasi)"が発足した。"ヤマカシ"という名前は、コンゴの言語であるリンガラ語で"強靭な精神"、"強靭な肉体"、"強靭な人物"、"忍耐力"などを意味する語に由来する。

しかし、ミュージカル"Notre-Dame de Paris"の後、ダビッドとセバスティアンは金銭、そしてこの新たな運動方法(l'art du déplacement)の定義における不和などを理由に決裂した。[1]実際、2001年公開の映画"YAMAKASI"、そしてフランスのドキュメンタリーである"ジェネラシオン・ヤマカシ(Génération Yamakasi)"にダビッドとセバスティアンは出演していない。

その後、たくさんの練習者が自身の技術を向上させ、多くの技が派生した。ビルからビルへの階を跨ぐジャンプはメディアで多く取り上げられたが、これらは多くの一般の人々にパルクールの偏った見方を与えることとなった。実際のパルクールでは、都市部では法の目が厳しいため、屋上など高所での活動よりも平地での活動の方が一般的である。このようにして、パルクールはパリの郊外からフランスそして世界で広く行われる活動となった。

用語[編集]

  • l'art du déplacement

『 1番最初に紹介され、もしかすると1番的確な、この運動方法を指すフランス語。 文字通り英語表記にすると"the art of displacement"。 』

  • Parkour

『 David Belleによって紹介された、1998年に最初に使われた言葉である。 これは"route"または"course"という意味のフランス語、parcoursという言葉に由来したもの。 』

  • Freerunning

『 Channel4 documentaly "JUMP LONDON"(2003)の制作に関わったフランスの練習者の代表であるGuillaume Pelletierによって、英語圏の視聴者にこの新しい概念を伝えるために使われた。 』


呼び方は様々であるが、この運動方法をいかに正しく実践しているかが重要であり、実践するにあたってどの言葉を使っても問題は無い。

パルクールに伴う危険[編集]

パルクールを実践するためには、心身ともに日々トレーニングを積み、距離や危険性を測る感覚を養い、いかなる状況にも適応できる能力が必要である。そのため、パルクールを始めてまもない時に動画に出てくるような動作を真似る事は、死に至る可能性がある危険な行動であると共にパルクールの本質に反する行為である。よって初心者はトレーニングを中心に、技術面では高低差の無い場所でだんだんと上達させていく事が好ましい。

靴選び[編集]

シューズは怪我防止や疲労軽減などの役割を持っている。また、足が生み出す力を倍増させる能力もある。

選び方のポイント[編集]

パルクールのシューズはランニングシューズや底の柔らかい靴が好ましい。また、その他登山靴メーカーなどからパルクール専用シューズも発売されていることがある。

日本国内の現状[編集]

日本国内で活動しているチームは、ネットで確認できるだけで約70チームほど。そのほとんどは3、4人程度の小規模なチームで活動しているが、都市部のチームでは10人前後の大所帯のチームもあるようだ。日本ではパルクール人口が少ないためトレーサー同士が実際に出会う機会は非常に少ないが、現在では全国で定期的にオフ会が開かれトレーサー同士が交流する貴重な機会になっている。また個人間、チーム間の小規模なオフ会が開かれる事も少なくない。オフ会の告知はオフ会を主催するトレーサーが自らのウェブサイトで告知するか、PukiWikiを利用したコミュニティサイトで告知されることが多い。 現在ではパルクールを教える教室が開かれている。

メディア[編集]

アクションシーンにパルクール・フリーランニングを取り入れたり、実践者が出演した映画が製作されている。映画以外にも2007年に発売された『アサシン クリード』など、アクションゲームにパルクール・フリーランニングの動きを取り入れた例がある。以下にパルクールの実践者が出演した主な映画と出演者を上げる。

その他の作品[編集]

以下に映画以外のパルクールやフリーランニングを取り入れた主な作品を上げる。

脚注[編集]

外部リンク[編集]