パパモビル

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メルセデス・ベンツ 230Gを改装したパパモビル

パパモビルイタリア語: Papamobile)は、ローマ教皇が一般拝謁時に古めかしく時に実用的ではない御輿玉座sedia gestatoria)を使用しない場合に用いる特別に設計された自動車の非公式の名称である。パパモビルは一般拝謁時に信者達から教皇の姿がよく見えるように設計されている。ヨハネ・パウロ2世がローマ教皇として初めてポーランドを訪れた時に信者に祝福を与えるために改造したトラックを使用して以来様々な設計のパパモビルが製作された。

パパモビルにはオープンカー型のものが幾種類かある一方でその他の車はローマ教皇を防弾ガラスで囲っている(メフメト・アリ・アジャによる暗殺未遂事件後にこの種の型の必要性が考慮された)。ローマ教皇が座れるものもあり、立ったままの姿勢で乗る型の車もある。ローマ教皇庁は、必要とされる警護レベルや移動距離、速度に応じて幾種類かのパパモビルの中から各々の使用に最適な車輌を選択することができる。パパモビルのナンバープレートには「"SCV 1"」が使用される。「"SCV"」はイタリア語で「バチカン」を意味する「Stato della Città del Vaticano」を表している。

歴史[編集]

パパモビルの前身は、幾人もの教皇の従者の肩で担がれる椅子の「御輿玉座」であった。これは20世紀の後半になると使用されなくなっていた。

20世紀の初頭以来、多くの自動車製造業者がローマ教皇の専用車を製作してきた。フォード・モーター社は自社の大統領専用車を基にした一連の車を製作し、特別に製作された1964年製リーマン=ピーターソン(Lehmann-Peterson)社製リムジン1965年パウロ6世ニューヨーク訪問時に使用され、1970年ボゴタ訪問にも再度使われた。後にパウロ6世はメルセデス・ベンツ 600プルマン・ランドーレットを使用したが、「パパモビル」という用語はヨハネ・パウロ2世時代になるまでは一般的に使用されることは無かった。

メルセデス・ベンツ博物館に展示されているメルセデス・ベンツ 230Gのパパモビル

ヨハネ・パウロ2世が最初に故国を訪問したときにシュタラホヴィッツァ(Starachowice)の農場で使用していたポーランド製のFCS Star小型トラックを白く塗装した(2台の内1台)車を使用して、6 km/hの速度で移動した。1979年にヨハネ・パウロ2世が英国を最初に訪問したときに、現在バチカンで使用されているもう1台の車より大型のフォード・トランジットのトラックが専用車に改装された。もう1台というのは車体後部に教皇が座れるように小さなガラス張りの「部屋」をしつらえたメルセデス・ベンツ車を改装した車である。メルセデス・ベンツ 230Gを改装した車は1980年にヨハネ・パウロ2世が西ドイツを訪問した際に製作された[1]。現在のパパモビルの1台は、メルセデス・ベンツ Mクラス SUVを元に米国で製作され、このML430を基にしたパパモビルは2002年6月にヨハネ・パウロ2世に贈呈された。

1981年の暗殺未遂事件の後でパパモビルの前後左右には防弾ガラスが装着されたが、窓を開け放して走行することもある。1984年に教皇がカナダを訪問している間に使用した車はGMC・シエラを基にしてカナダのピエールヴィル(Pierreville)にあるチボー・ファイアーエンジン社(Thibault Fire Engine Company)で改装されたパパモビルであった[2]。この車はその後1998年の教皇のキューバ訪問時にも使用され、2005年の時点でカナダ科学技術博物館(Canada Science and Technology Museum)に展示されている。チボー・ファイアーエンジン社で製作された2台目のパパモビル用のトラック[3]は、1984年にバチカンに送り返された[4]

1987年9月の教皇の米国訪問期間中に2台のメルセデス・ベンツ 230GのパパモビルがワシントンDCに空輸され、シークレット・サービスにより前部座席から教皇席へ移動できるように改造されて以後もこの仕様で使われ続けた[5]。このうちの1台は退役し、現在はドイツシュトゥットガルトにあるメルセデス・ベンツ博物館(Mercedes-Benz Museum)に展示されている。

メキシコで使用されたパパモビル

教皇の国外訪問時に使用された車の中の幾台かはそのまま訪問国に残され、次回の訪問時に再度使用される。例えば、メキシコのパパモビル(Papamóvil)はヨハネ・パウロ2世の葬儀期間中に一般に公開された。チリでは一個人のアマド・パレデス(Amado Paredes)がチリ製のパパモビルを製作し、この車が教皇のチリ訪問時に使用された。同様にフィリピンの自動車製造業者であるフランシスコ・モータース(Francisco Motors)社は、1995年の教皇の訪問時に特製のパパモビルを製作した。これは民間企業からの寄進によって費用を賄い、防弾ガラスや耐爆弾用の部品を装備して教皇護衛のスイス衛兵隊による検査にも合格した車であった。ヨハネ・パウロ2世が死去したときにこのパパモビルは展示するために短期間クイアポ教会(Quiapo Church)の教区員により借り出された。これは教皇の葬儀に参列するためにバチカンへ行く余裕の無いフィリピンの信者達にとって巡礼の対象となった。

ヨハネ・パウロ2世のポルトガル訪問のためにUMMは、1992年製Alter IIのロング・ホイールベース版5ドアを基にした特製パパモビルを製作した。この車には教皇の玉座を取り囲む40 mm厚の防弾ガラスが装備されていた。また、エアコンと教皇の座る後部座席のマイクロフォンと接続された外付けのラウドスピーカーも取り付けられていた。

2002年にヨハネ・パウロ2世はこの用語が「威厳に欠ける」と言って、マスメディアに対し「パパモビル」と呼ばないように要請した[要出典]2006年にはヨハネ・パウロ2世の1982年の英国訪問時に使用されたパパモビルがオークションに掛けられ3万7,000ポンド(7万500ドル)で売却された。

現在の仕様[編集]

ブラジルサンパウロ訪問時のベネディクト16世が乗るメルセデス・ベンツ ML430を改装したパパモビル

ベネディクト16世の国外訪問時に最も頻繁に使用されたのがメルセデス・ベンツ Mクラス SUVを改装して車体後部に特製のガラスで覆われた「部屋」を造り付けたパパモビルである。教皇が後面ドアから車内に入ると数段上り、座ると御座は油圧でガラス張りの「部屋」に持ち上げられることで周りからは教皇の姿がよく見られるようになる。車の前部座席には運転手のほかに1名分(通常は警護官)の座席が確保されている。車体後部のガラス張りの部屋には昇降式の御座の前に教皇の従者用の2名分の座席が設けられている。この車は防弾ガラス製の窓と屋根や装甲で強化された車体側面と足回りを備えている[要出典]

オープンカー型式のパパモビルは、サン・ピエトロ広場で行われる行事で最も一般的に使用されている[要出典]

2007年6月6日、ローマ教皇が一般拝謁を始めたときに一人のドイツ人がベネディクト16世の乗るオープンカー型式のパパモビルに飛び掛ろうとした。教皇はかすり傷一つ負わず、27歳の男が広場の警護用の柵を乗り越えたことに気づいた様子すら無く、現場を走り抜けるときには白いフィアット車のパパモビルにしっかりと座っていた。広場をゆっくりと走行するパパモビルに伴走していた少なくとも8名の警護官が男を取り押さえ、地面にねじ伏せた。男はバチカン警察(Corps of Gendarmerie of Vatican City)により尋問された[6]

2013年に着座したフランシスコは着座式に先立つ一般謁見には会衆と握手や抱擁をすぐに交わせるようにヨハネ・パウロ2世のころに導入されたフィアット・カンパニョーラのオープンカーを選び、以後も広場での謁見時に使用している。清貧をモットーとすることから、フィアット・カンパニョーラのような古いパパモビルを使用している。7月の初の外遊となったブラジルサンパウロでは、多くの移動に地元の信者から借りたというフィアット・プントを用い、周りの護衛車両のほうが高級であるという逆転現象が起こった。

写真[編集]

出典[編集]

Popemobile by Thibault Fire Engine

関連項目[編集]

外部リンク[編集]