ガンバ大阪

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Football pictogram.svg
ガンバ大阪
原語表記 ガンバ大阪
愛称 ガンバ
クラブカラー      ブルー
     ブラック
創設年 1980年
所属リーグ Jリーグ
所属ディビジョン J1
ホームタウン 大阪府吹田市
ホームスタジアム
Banpaku osaka expo 1970 stadium (field).jpg
万博記念競技場
収容人数 21,000
運営法人 株式会社ガンバ大阪
代表者 金森喜久男
監督 西野朗
公式サイト 公式サイト
   サッカークラブPJ
株式会社ガンバ大阪
GAMBA OSAKA Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 〒565-0826
大阪府吹田市千里万博公園3-3
設立 1991年10月1日
業種 サービス業
事業内容 サッカークラブ運営
代表者 代表取締役社長 金森喜久男
資本金 1,000万円[1]
売上高 43億9,900万円[1]
営業利益 2億6,200万円[1]
純資産 1億3,400万円[1]
総資産 12億5,500万円[1]
決算期 毎年1月[1]
主要株主 パナソニック 70%
関西電力 10%
大阪ガス 10%
西日本旅客鉄道 10%
  

ガンバ大阪(ガンバ おおさか、Gamba Osaka)は、日本大阪府吹田市にホームを置く、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。

目次

[編集] 概要

2006年9月23日 川崎フロンターレ戦
2007年4月7日 川崎フロンターレ戦

クラブの前身は1980年創部の松下電器産業サッカー部であり、1991年のJリーグ創設時より加盟している10クラブ(オリジナル10)のひとつである。Jリーグ開幕当初は、下位に低迷することが多かったが、2005年のJリーグ優勝を皮切りに数々のタイトルを獲得し、現在5クラブのみである国内3大タイトル(Jリーグ、天皇杯ナビスコカップ)の全てを獲得しているJリーグを代表する強豪クラブである。

ホームスタジアムは吹田市にある万博記念競技場。クラブハウスと練習グラウンドは同スタジアムの隣接地にある万博記念公園スポーツ広場内にある[2]。観客動員数は、スタジアムの収容人数の少なさもあって、毎年中位であるが、ホーム収容率はJリーグではトップクラスであり、アウェイ平均集客数もここ数年浦和レッズに次ぐ2位と人気面でもJリーグの上位に入る。

クラブ名の「ガンバ(GAMBA)」は、イタリア語でサッカーの原点である「」を意味する他、日本語の「頑張る」とも掛けられており、

  • チーム一丸となって勝利を目指してガンバるチーム
  • どんな状況でもガンバって勝利を勝ちとるチーム
  • 大阪をホームタウンとし、大阪を中心とした関西ファンの声援を受けてガンバるチーム
  • 日本一、世界一のクラブ組織に向けてガンバるサッカークラブ

という意味が込められている[3]

Jリーグ開幕当初は松下電器産業(当時)のAVブランド(現在は社名)として使われる「パナソニック」の冠を被せ「パナソニックガンバ大阪」としていた。メディア上での略称表記は、Jリーグ発足当初は「大阪」であったが、セレッソ大阪のJリーグ昇格以降は「G大阪」もしくは「ガ大阪」となっている。

1991年のJリーグ加盟当初から松下電器(パナソニック)が100%株式を保有する子会社であったが、1997年からは地域密着度を高めるために関西電力大阪ガスJR西日本が株主となった。なお、資本金はJリーグクラブの中でも最少規模である。

[編集] ホームタウン

ホームタウンは、ホームスタジアムの万博記念競技場がある吹田市をJリーグ公式のホームタウンとしており、クラブの人気低迷に喘いでいた1997年に、それまで新大阪にあったクラブ事務所と京田辺市にあった練習場をスタジアムがある万博記念公園に移し、本当の意味でホームタウンがベースのクラブ経営がスタートした。また、大阪市をホームタウンとし、南大阪を重点地域としているセレッソ大阪に対して、ガンバは吹田市周辺の北摂北河内地域14市3町を重点地域にしている[4][5]。その中でも2004年からホームタウンの吹田市と茨木市高槻市2006年からは豊中市を加えた4市を重点4市と定めている[5][6]2010年には今まで各市でガンバの支援活動を行っていた4市の後援会が一丸となり、ガンバとともに各自治体、企業等と協力し、青少年の健全育成やまちの活性化をはじめとする地域貢献活動を目的とした「ガンバ大阪後援会」が発足。

[編集] エンブレム

1995年までは、クラブマスコットガンバボーイそのものがエンブレムのかわりであり、正式なエンブレムができた1996年以降は、クラブカラーと同じブルーとブラックで大阪府の府鳥「百舌鳥」を伝統の象徴である盾型にアレンジし、その中央にはサッカーボールが描かれ、勝利の証である月桂樹のかわりに、大阪府の木「銀杏」の葉が周囲を飾るものになっている。

[編集] マスコット

マスコット松下進デザインの「ガンバボーイ」という名の雷小僧で、ゼウスの生まれ変わりという設定である。ガンバって 勝利を勝ち取る元気なサッカーボーイであり、雷の形の闘志あふれるエネルギーをその手につかんでいる。 Jリーグ開幕当初は、デザインイラストどおりギリシャ風の衣装を着用するデザインであったが、1990年代後半頃からユニフォームを着用したイラストにほぼ全て変更された。ユニフォーム以外を着用しているものも少数ではあるが存在する。動物ではなく人間をモチーフにした数少ないマスコットの1つ (オリジナル10では唯一の人間をモチーフにしたマスコット)である。

[編集] 歴史

[編集] 松下電器時代

1980年、当時日本サッカーリーグ(JSL)2部所属でヤンマーディーゼルサッカー部セレッソ大阪の前身)のBチームであったヤンマークラブ1979年に解散した事を契機に、同クラブの指導者であった水口洋次とヤンマークラブ所属選手が移籍する形で 「松下電器産業サッカー部」が結成され、奈良県社会人リーグ2部に加盟登録し、活動を開始。ちなみに当時は奈良県リーグに加盟したことで、現在の大阪府ではなく、奈良県を本拠地としていた。

1984年にJSL2部に昇格、1986年には創部わずか6年のスピード出世でJSL1部に昇格し、1987年にJSL2部へ降格するも、翌年にはJSL1部に再昇格し、その後は安定した成績を残し続けたことで、1993年からスタートしたJリーグへの初年度からの参加へと繋がった。また、1990年度の天皇杯では決勝で大会3連覇を狙った日産自動車サッカー部横浜F・マリノスの前身)にPK戦の末、勝利し初優勝。

Jリーグ参加にあたって1992年にクラブ名を「パナソニックガンバ大阪」に改称。加盟時は松下がユニヴァーサル映画を買収した時期と重なり、強そうなのでスティーブン・スピルバーグの名作『ジョーズ』から大阪城にも引っ掛け「大阪ジョーズ」というチーム名が有力候補だった。しかし、瀬戸内海サメが出没する事件が社会現象となったことなどから、このチーム名は不採用となっている[7]

Jリーグ創設時からの加盟チーム「オリジナル10」のひとつであり、当初は関西で唯一のJリーグクラブだった。

[編集] 1993年 - 1994年

かつての名選手釜本邦茂を監督に据え、永島昭浩礒貝洋光本並健治といった人気プレイヤーも抱えていたが、最下位争いの常連で成績は芳しくなかった。当時、ガンバ大阪は名古屋グランパスエイト浦和レッドダイヤモンズとともにリーグのお荷物扱いであり、ハンス・オフト日本代表監督を務めていた際には、Jリーグで唯一代表選手が不在であった。更に1994年のニコスステージ(2ndステージ)で7連敗を喫すると、同年限りで釜本は監督を解任された。

[編集] 1995年 - 1996年

1995年は釜本の後を継いだジークフリート・ヘルト監督の下、サントリーステージ(1stステージ)序盤には初の首位争いを展開したが、その後失速して負け続け、8連敗も喫した。終わってみれば前年以上に悲惨な成績であり、ニコスステージの更なる低迷もあって結局ヘルトは1年で解任となった。

1996年、チーム名を「パナソニックガンバ大阪」から「ガンバ大阪」に変更し、ヨジップ・クゼが監督に就任。ヴェルディ川崎に4年目で初めて勝利し連敗を15で止めたこと(この試合は前半にV川崎に2点先制されたものの、後半に3点を返し、3-2で大逆転勝ちを納めたという試合だった)以外、ファンを興奮させる出来事はなく、全体的に見ればチーム力は低いままであった。初の1ステージ制という状況の中、年間成績は初年度から参加の10チームの中で唯一、4年連続負け越した。

[編集] 1997年 - 1999年

1997年、ユースから飛び級でトップチームに昇格した稲本潤一が17才171日でJリーグデビューを果たし、当時のJリーグ最年少出場記録を塗り替え注目を集めた。さらに当時カメルーン代表パトリック・エムボマを獲得すると、エムボマはチームを一人で引っ張り、同年25得点でクラブ初のリーグ得点王ベストイレブンを獲得した。2ndステージにはチームとして当時最高の2位の成績も残し、初めて年間成績で勝ち越したが、エムボマに頼りきった戦術は関係者やマスコミから多くの批判を受け、「エムボマがいないとガンバれない」とスポーツ新聞に揶揄されることも多かった。翌年エムボマがチームを離れるとすぐに下位チームに戻り、再び暗黒時代を迎えた。

しかし、この頃、宮本恒靖(95年)稲本潤一、新井場徹(97年)橋本英郎(98年)大黒将志二川孝広(99年)などユース出身の選手がトップチームに相次いで昇格し、チームの中心選手になっていった。更に親会社の松下電器産業の社長森下洋一の母校姫路市立琴丘高等学校のエース播戸竜二1998年高卒新人として獲得した。

[編集] 2000年 - 2001年

2000年、1stステージで優勝争いを繰り広げたセレッソ大阪とは対照的に13位と大きく低迷するが、2ndステージでは第10節のサンフレッチェ広島戦での勝利で3年ぶりに首位になり、鹿島アントラーズと優勝争いを繰り広げた。しかし第14節の鹿島との天王山で敗れて優勝の可能性を失うと、最終節ではジュビロ磐田に0-4で大敗して、4位に終わる。

2001年、後にチームの中心選手となる、遠藤保仁山口智を獲得し、若手を積極的に起用することで1stステージは上位に食い込むも、1stステージ終了後、主軸として活躍していた稲本潤一がクラブ初となる海外移籍で、イングランドプレミアリーグの強豪アーセナルに移籍。

2ndステージでは、10月13日、第8節セレッソ大阪との大阪ダービーで延長逆転Vゴール負けを喫するとその翌日に1999年から監督を務めた早野宏史が辞任し、コーチの竹本一彦が監督に昇格するも、チームは波に乗れず、11位に低迷してしまう。

[編集] 2002年 - 2004年

2002年に前柏レイソル監督の西野朗が監督に就任。この年は1st・2ndステージ共に優勝争いに絡むが、どちらもジュビロ磐田との天王山で敗戦したこともあって、優勝を逃す。特に、8月3日の直接対決では、残り14分で2点リードしていながら追いつかれ、延長で4-5とVゴール負けを喫してしまった。しかし、この年の失点数はガンバの歴代最少であり、反則ポイントも最小であった。

2003年は、前年の躍進と変わり、後半ロスタイムに幾度となく失点する姿が目立ち、終盤の集中力の無さが幾度となく批判された。この年は、一時は降格の危機に立たされる羽目に陥いり、ここ数年では最悪のシーズンとなった。シーズン終了後、ユースからの生え抜き選手だった新井場徹鹿島アントラーズに移籍した。

4月17日、1996年12月29日の天皇杯準決勝のサンフレッチェ広島戦でのプレー中の事故を最後に、ガンバの創世記を不動の右サイドバックとして支え、1998年シーズン途中に退団した今藤幸治脳腫瘍により、30歳の若さで他界した。

2004年には上位チームに返り咲き、再び1st・2ndステージ共に優勝争いに加わるが、やはり前年と同じく、終了間際での失点癖や肝心な試合での黒星が目立ち、優勝することは出来なかった。それでもこの頃から西野監督が掲げる攻撃的パスサッカーがチームに浸透し始め、この年大黒将志がリーグ戦日本人最多の20得点を挙げる活躍を見せた。

この頃は、2002年のコンサドーレ札幌、2003年のベガルタ仙台に対してのように、連敗記録を作っていたチームに久々の白星を与えるパターンも目立った。

[編集] 2005年

2005年は、アラウージョ藤ヶ谷陽介を獲得し、リーグ戦・カップ戦とも快進撃を見せるが、宮本恒靖の負傷以後は調子がやや下降気味になり、首位の鹿島との勝ち点差が10以上に開いてしまう。そんな中、11月5日に開催されたナビスコカップでは、初の決勝へ進出するもジェフユナイテッド千葉にPK戦の末敗れ、クラブ初タイトルを逃す。

リーグ後半戦ではこの年合計82得点をあげたアラウージョ、大黒将志フェルナンジーニョを擁するリーグNo.1の攻撃力が爆発し、鹿島から首位の座を奪い、キープし続けるも、10月22日の大分トリニータ戦に敗れると、以降1勝5敗と急激に失速。下位に低迷していた柏レイソル大宮アルディージャにも黒星を喫し、11月26日には、ナビスコ杯で敗れたばかりの千葉に再び1-2で敗れ、残り1試合の時点でセレッソ大阪に抜かれ2位に後退した。しかし、12月3日最終節の川崎フロンターレ戦に4-2で勝利し、勝ち点1差の首位だったC大阪が試合終了間際に追いつかれFC東京と引き分けたため、再逆転でクラブ創設以来初タイトルとなるリーグ優勝を勝ち取った(詳細は2005年J1最終節を参照)。これは関西のチームとして初のリーグ優勝であった。同時にAFCチャンピオンズリーグ2006の出場権を獲得した。

シーズン終了後、クラブのシーズン最多得点の33得点で得点王と、クラブ初となるリーグMVPに輝いたアラウージョが退団し、チームでアラウージョに次ぐ16得点を挙げた大黒将志もフランス2部リーググルノーブルへ移籍した。また、1993年のJリーグ開幕から所属し、サポーターから「ミスター・ガンバ」として親しまれていた松波正信が現役を引退した。

[編集] 2006年

リーグ連覇を目指した2006年は攻撃力の低下が懸念されていたが、FWにマグノ・アウベスと7年ぶりにガンバに復帰となる播戸竜二を獲得したのを始め、MFでは西野監督の柏レイソル時代からの教え子である元日本代表明神智和や当時日本代表のレギュラーであったDFの加地亮らを獲得し大型補強を行なった。また、ユースからは安田理大ら過去最高の6人が昇格した。

初出場したAFCチャンピオンズリーグ2006はマグノ・アウベスが大会得点王を獲得するも、アウェイゲームで本領を発揮することができず、グループリーグで敗退し、A3チャンピオンズカップ2006でも国際試合の難しさを味わう結果に終わった。

リーグ戦はマグノ・アウベスが得点王の26得点、播戸が16得点の活躍で、Jリーグ初の2年連続リーグ戦80得点を記録し、33節の京都パープルサンガ戦ではロスタイムにマグノ・アウベスのハットトリックとなる劇的ゴールで勝利し、最終節前で首位・浦和に勝ち点3差の2位につけていたが、最終節の浦和レッズとの直接対決ではマグノ・アウベスの先制弾もむなしく、2-3で敗れ、リーグ連覇はならなかった。さらに勝ち点2差であった川崎フロンターレが勝利したために3位に転落し、AFCチャンピオンズリーグ2007の出場権も逃した。この年はリーグ終盤にチームの柱である遠藤保仁ウイルス性肝炎による離脱が響いたと言われている。

リーグ戦終了後、ガンバユース第1期卒業生であり、長年チームを支えた宮本恒靖オーストリアレッドブル・ザルツブルクへ移籍、また、2005年のリーグ優勝に貢献したフェルナンジーニョも退団した。

遠藤が復帰した天皇杯では、Jリーグ加入後初(チームとしては前身の松下電器産業サッカー部時代以来16年ぶり)の決勝進出を果たしたが、再び浦和に敗れ、タイトルを逃した。

[編集] 2007年

2007年は、FWではバレー、DFではレンタル中澤聡太を獲得した。シーズン開幕前に行われたゼロックス・スーパーカップでは、浦和レッズと2年連続で対戦し、マグノ・アウベスハットトリックを含む4-0で勝利。前年の雪辱を果たし、スーパーカップ初優勝を果たす。

2007年11月3日、2年ぶりに決勝に進出したナビスコカップ川崎フロンターレと対戦し、安田理大のプロ初ゴールにより1-0で勝利を収め、国内3大タイトル(J1リーグ天皇杯、ナビスコカップ)における、2つ目のタイトルとなるナビスカップ初優勝を果たす。

リーグ戦では、リーグトップの圧倒的な攻撃力を武器に首位で中断期間に入るも中断明けの浦和との直接対決で敗れ首位を明け渡してしまい、最終的に2年連続の3位に終わるが、浦和が前年度の天皇杯とAFCチャンピオンズリーグ2007を優勝したため、ACLの大会規定により天皇杯優勝枠でAFCチャンピオンズリーグ2008の出場が決まった。

シーズン後、外国籍選手のクラブ最多出場記録を持ち、キャプテンも務めたシジクレイが退団し、1995年からチームを支え続けた、實好礼忠も現役を引退した。

[編集] 2008年

佐々木勇人ルーカス山崎雅人らを獲得した2008年シーズンは300日余りの間に公式戦を過去最多の61試合こなす過酷なシーズンとなった。

2月、アメリカから2クラブ、オーストラリアから1クラブ、2007年ナビスコカップ優勝のG大阪の計4クラブが出場したパンパシフィックチャンピオンシップ2008では、初戦イングランド代表デビッド・ベッカムが所属するロサンゼルス・ギャラクシーに1-0で勝利し、決勝のヒューストン・ダイナモ戦では、バレーの4ゴールを含む6-1で勝利し、1992年クイーンズカップ以来となる16年ぶりに国際タイトルを獲得した。

5月17日、埼玉スタジアムで行われたJ1第13節の浦和レッズ戦で、一部のガンバサポーターによる浦和側の観客席に対する物の投げ込みが試合開始前から続いていたことがきっかけとなり、試合終了後に両クラブのサポーターが衝突し、応援器具の一部が破壊されたり、関係ないガンバサポーターがスタジアムから出られなくなるなどの騒動になったことでクラブ側は騒動を起こしたサポーターグループを永久入場禁止とし、さらにJリーグからはこの騒動により社会全体にJリーグ観戦が危険であると感じさせたとして、両クラブに制裁処分を下し、ガンバは1,000万円の制裁金を支払った。

7月30日、スルガ銀行チャンピオンシップ2008 OSAKAが開催され、2007年ナビスコカップ優勝クラブとしてコパ・スダメリカーナを優勝したアルゼンチンアルセナルFCと対戦するも、0-1で敗戦した。

2年ぶりに出場したAFCチャンピオンズリーグ2008では準決勝で前年の覇者である浦和レッズとのACL史上初のJリーグ勢対決を2戦合計4-2(第1戦 1-1、第2戦 3-1)で制すると、11月12日の決勝ではオーストラリアのアデレード・ユナイテッドに2戦合計5-0(第1戦 3-0、第2戦 2-0)で勝利し、クラブ史上初、Jリーグ勢では1999年(AFCチャンピオンズリーグの前身であるアジアクラブ選手権)のジュビロ磐田、2007年の浦和レッズに次ぐ3クラブ目となるアジア制覇を果たす。また、AFCチャンピオンズリーグ史上3クラブ目の無敗での優勝、そして史上初のアウェー全勝(6戦中4戦が逆転勝ち)での優勝であった。この優勝によりFIFAクラブワールドカップ2008に出場することが決定した。また11月25日に、AFCよりアジア最優秀クラブ賞を受賞した。

一方で、リーグ戦では苦戦を強いられる一年となった。シーズン序盤でやや躓くと、中盤に入り立て直してきたと思いきや播戸竜二肝機能障害遠藤保仁がウィルス感染症で離脱し、さらに、エースストライカーのバレーがUAEアル・アハリに引き抜かれる形で移籍。これに対し、横浜F・マリノスからロニーを獲得するものの、思うような結果が残せずに中盤で大失速。特にJ1第19節からナビスコカップなどを挟んで、J1第24節までの約2ヶ月間勝ち星から見放され、優勝争いから脱落する。シーズン最終順位はACL出場圏(リーグ3位以内)からも大きく離れ、8位に終わる。前年まではACLの優勝クラブに翌年のACL出場権が与えられていたが、翌年からのACLの大会方式の変更により、この年から優勝特権がなくなったためAFCチャンピオンズリーグ2009へ出場するには天皇杯の優勝のみとなった。

クラブワールドカップでも西野監督の掲げる攻撃的パスサッカーを貫き、準決勝ではヨーロッパ王者マンチェスター・ユナイテッド相手に3ゴールを奪うが3-5で敗れる。それでも、3位決定戦では北中米カリブ海王者パチューカと対戦し、山崎の先制点が決勝点となり、1-0で勝利。前年の浦和に続き大会3位に輝いた。

天皇杯はクラブワールドカップとの日程が並行したため、中2〜3日の間隔で試合が行なわれ、選手達の疲労もピークに達し、西野監督曰く「野戦病院状態」と化したが、2年ぶりに決勝へ進出。2009年1月1日、国立競技場で行なわれた柏レイソルとの決勝は0-0のまま延長戦に突入。迎えた延長後半11分、途中出場の播戸の先制点が決勝点となり1-0で勝利。前身の松下電器産業サッカー部時代以来、18年ぶり2度目の優勝を果たし、国内3大タイトルを全て制覇した。同時に2009年のACL出場権も獲得し、アジア連覇に望みをつないだ。

[編集] 2009年

2009年は、前年のリーグ戦の低迷からレアンドロチョ・ジェジンのJリーグ経験豊富なFW、さらに、高木和道パク・ドンヒョクの日韓代表経験を持つDFらを獲得する大型補強を行い、1月29日、クラブ史上初サポーター同席の下、ホームスタジアムの万博記念競技場で新体制発表会見を行なった。

5月2日、レアンドロがJ1第9節 vs大分トリニータ戦で4月8日のACLグループリーグ第3節 vsスリウィジャヤ戦から続いていた、公式戦の連続試合得点をクラブ新の7試合連続のゴールを決めた。最終的には5月10日のJ1リーグ戦 第11節[8] vs柏レイソル戦までの9試合まで記録を伸ばした。また、同試合で4月12日第5節 vs大宮アルディージャ戦から続いていた、J1リーグ戦の連続試合得点をクラブタイ記録の6試合連続のゴールも決めた。

5月6日、ACLグループリーグ第5節 vs山東魯能戦で1-0で勝利し、ACLが始まって以来、未勝利だった中国でのアウェイゲームでJリーグ勢初勝利となった。

5月20日、ACLグループリーグ第6節 vsFCソウル戦で、この年クラブ初の高校2年生でトップチームに昇格した宇佐美貴史が、稲本潤一のクラブ最年少記録を更新する、17歳14日での公式戦初出場・初得点を記録する。しかし、試合には敗れ2006年のACLから続いていたACLの連続無敗記録が19試合で途切れる。そして、ラウンド16で川崎フロンターレに敗れアジア連覇を逃した。

このシーズンは開幕から二川孝広加地亮の不在や期待された新戦力がチームに馴染まなかった影響により、なかなか調子が上がらず、特に5月後半から7月の半ば頃まで、万博でのホームゲームで6連敗(ACL、ナビスコカップ含む)を喫してしまい、一部のサポーターからは西野監督に解任要求が出る騒ぎも起こった。さらに8月にはまたしてもチーム得点王のレアンドロがカタールアル・サッドに引き抜かれてしまい、これに対し、アルビレックス新潟からペドロ・ジュニオールを獲得するもチームにフィットするのには時間がかかり、思うような結果は出せなかった。

11月8日、J1第31節 vs京都サンガF.C.戦のペドロ・ジュニオールの2得点目で鹿島、磐田に次ぐ3クラブ目となるリーグ戦クラブ通算1,000ゴールを達成。

リーグ戦は一時、夏場の失速で首位を独走していた鹿島との最大勝ち点差が19となるも、後半戦はなんとか立て直し、第32節まで優勝の可能性を残しつつも、第33節で首位の鹿島アントラーズとの直接対決で1-5と大敗してしまい、優勝を逃し3位に終わるもAFCチャンピオンズリーグ2010の出場権は獲得した。

天皇杯では、準々決勝でスーパーカップとリーグ戦で3連敗していた鹿島と対戦し、山崎雅人の2得点の活躍で勝利を収め、この1年の雪辱を果たす。その後はルーカスの活躍(通算6試合8得点)もあって、準決勝でJ2王者のベガルタ仙台、決勝ではリーグ戦で連敗していた名古屋グランパスを破り、歴代7チーム目の天皇杯連覇を果たす。これは、前身の松下電器産業サッカー部時代から試合を観戦したり、選手を食事に連れて行くなど、チームを支えてきた恩人で「オカン」や「ママ」と呼ばれて選手達に慕われ、12月22日に亡くなった、パナソニック・松下正幸副会長の夫人に捧げるタイトルとなった。そして、天皇杯決勝戦を最後に、1997年から13年間ガンバ一筋でプレーした松代直樹が現役を引退した。

[編集] 2010年

2010年は、ここ近年行った大型補強を行わず、新人とレンタル復帰以外の即戦力クラスではFWのゼ・カルロスの獲得のみで、現有戦力の維持を優先した。また、2006年ルーカス・シアレッチ以来、クラブ史上2人目のプロC契約でFWのドドを獲得した。

[編集] 選手

詳細は「ガンバ大阪の選手一覧#所属選手・スタッフ」を参照

[編集] チーム名変遷

[編集] スタジアム

本拠地は、吹田市万博記念競技場(万博スタジアム)を本拠地として使用している。収容人数は21,000人。同競技場の南にはクラブハウスがあり、練習グラウンドとクラブショップが併設されている。1997年までは京都府京田辺市の松下電工(現:パナソニック電工)敷地内にあった練習グラウンドを使用していた。

ガンバ大阪が関西唯一のJリーグクラブであった頃は、神戸ユニバー記念競技場西京極競技場でもホームゲームを行ったことがあるが、現在は年に一度石川県西部緑地公園陸上競技場で行う以外はすべて万博記念競技場でホームゲームを開催している。

[編集] 新スタジアム構想

現在のスタジアムはFIFAの定める国際規格を満たしておらず、AFCチャンピオンズリーグなどの国際試合を開催できなくなる可能性がある。実際、2008年に出場したスルガ銀行チャンピオンシップは、「万博は国際大会に不適格」という理由で同じ大阪を本拠地とするセレッソ大阪のホームスタジアムである長居スタジアムで行われ、使うガンバ・使われるセレッソ、双方の関係者に複雑な思いを抱かせた。同じく2008年に出場したAFCチャンピオンズリーグ2008では関係者の交渉によって全試合を万博記念競技場で開催したが、決勝第2戦がホームだった場合は開催できない可能性があった。

万博記念競技場は下に貯水槽があることから改築は困難とされ、クラブは新スタジアムの建設・移転を模索している。新スタジアムの移転先としては、2005年高槻市京都大学農場跡地、2007年茨木市のJR茨木駅前のサッポロビール工場跡地、2008年7月にエキスポランド内の敷地に建設案が浮上。決定までには至っていないが、2008年10月1日の大阪府議会でガンバ大阪と吹田市が万博記念公園の敷地内にある、エキスポランドの土地に新スタジアム建設を検討していることが明らかになった。しかし同地にはパラマウント・ピクチャーズによるテーマパークの建設計画もあり、未だに流動的である。

2009年7月11日、万博記念競技場でのJリーグ第17節の試合前、新スタジアム建設の構想がサポーターに明かされた[9]。発表によれば、収容人数は32,000人、屋根付きのサッカー専用スタジアムという計画で、屋根にはソーラーパネルの設置による電力供給も予定しているという[10]。また、発表と同時に新スタジアム建設費の一部を民間資金で調達する計画も明かされ、サポーターに寄付金の協力を呼びかけた[10]。しかし、建設予定地は未定のままとなっている[10]

2010年1月8日、日本サッカー協会が目指している2018/2022年FIFAワールドカップ日本招致構想の開催地自治体に吹田市が立候補し、開催スタジアムをガンバ大阪が同市内に建設予定の新スタジアムを使用することを発表した[11]。しかし、吹田市は、完成したスタジアムの寄贈を受ける一方、ガンバが市に肩代わりを求めていた用地賃借料年約2億円、完成後の大規模修繕費約20億円、ワールドカップ招致に向けたスタジアムの増改築費約20~30億円については費用負担しないことを決めた。これにより、ガンバは3月議会に予定していたスタジアムの寄付収受の議案の提出を当面見送り、新たな資金確保策について検討している[12]

[編集] 成績

[編集] 年度別成績と歴代監督

年度 所属 試合 勝点 勝利 敗戦 引分 ステージ
順位
年間順位
(チーム数)
ナビスコ杯 天皇杯 他公式戦 監督
1992年 - - - - - - - - 予選敗退 ベスト8 - 日本の旗 釜本邦茂
1993年 J サントリー 18 - 8 10 - 8位 7位
(10)
ベスト4 2回戦敗退 -
J ニコス 18 - 8 10 - 6位
1994年 J サントリー 22 - 7 15 - 10位 10位
(12)
ベスト4 ベスト4 -
J ニコス 22 - 8 14 - 10位
1995年 J サントリー 26 31 10 16 - 11位 14位
(14)
- ベスト4 - ドイツの旗 ジークフリート・ヘルト
J ニコス 26 26 8 18 - 13位 クロアチアの旗 ヨジップ・クゼ
1996年 J 30 33 11 19 - - 12位
(16)
予選敗退 ベスト4 -
1997年 J 1st 16 34 8 8 - 8位 4位
(17)
予選敗退 ベスト4 -
J 2nd 16 34 12 4 - 2位
1998年 J 1st 17 17 7 10 - 14位 15位
(18)
予選敗退 3回戦敗退 - オーストリアの旗 フリードリッヒ・コンシリア
J 2nd 17 13 5 12 - 16位 フランスの旗 フレデリック・アントネッティ
1999年 J1 1st 15 17 6 9 0 10位 11位
(16)
2回戦敗退 4回戦敗退 - 日本の旗 早野宏史
J1 2nd 15 15 5 9 1 13位
2000年 J1 1st 15 17 5 8 2 13位 6位
(16)
2回戦敗退 ベスト4 -
J1 2nd 15 28 10 5 0 4位
2001年 J1 1st 15 25 9 6 0 5位 7位
(16)
2回戦敗退 ベスト8 -
J1 2nd 15 17 5 8 2 11位 日本の旗 竹本一彦
2002年 J1 1st 15 27 9 5 1 4位 3位
(16)
ベスト4 4回戦敗退 - 日本の旗 西野朗
J1 2nd 15 27 10 5 0 2位
2003年 J1 1st 15 16 4 7 4 12位 10位
(16)
ベスト8 4回戦敗退 -
J1 2nd 15 23 6 4 5 7位
2004年 J1 1st 15 24 7 5 3 4位 3位
(16)
ベスト8 ベスト4 -
J1 2nd 15 27 8 4 3 3位
2005年 J1 34 60 18 10 6 - 優勝
(18)
準優勝 ベスト8 -
2006年 J1 34 66 20 8 6 - 3位
(18)
ベスト8 準優勝 スーパーカップ 準優勝
ACL2006 予選敗退
A3カップ2006 準優勝
2007年 J1 34 67 19 5 10 - 3位
(18)
優勝 ベスト4 スーパーカップ 優勝
2008年 J1 34 50 14 12 8 - 8位
(18)
ベスト4 優勝 パンパシ2008 優勝
スルガCS 準優勝
ACL2008 優勝
FCWC2008 3位
2009年 J1 34 60 18 10 6 - 3位
(18)
ベスト8 優勝 スーパーカップ 準優勝
ACL2009 ベスト16
2010年 J1 34 - - - - - -
(18)
- - スーパーカップ -
ACL2010 -

[編集] Jリーグ対戦通算成績

  • 2009年シーズン終了時
対戦チーム 勝ち 引分 負け 得点 失点
コンサドーレ札幌 3 2 3 9 8
ベガルタ仙台 3 0 1 11 1
モンテディオ山形 1 1 0 3 2
鹿島アントラーズ 12 6 22 49 73
水戸ホーリーホック - - - - -
栃木SC - - - - -
ザスパ草津 - - - - -
浦和レッドダイヤモンズ 15 7 16 53 55
大宮アルディージャ 5 0 5 17 13
ジェフユナイテッド市原・千葉 20 4 16 66 64
柏レイソル 14 1 15 50 55
FC東京 9 3 8 38 27
東京ヴェルディ1969 13 2 19 54 58
川崎フロンターレ 6 2 4 26 22
横浜F・マリノス 13 5 22 60 71
横浜FC 1 1 0 3 2
湘南ベルマーレ 10 0 6 35 32
ヴァンフォーレ甲府 3 0 1 11 4
アルビレックス新潟 5 2 5 26 21
カターレ富山 - - - - -
清水エスパルス 18 3 19 69 67
ジュビロ磐田 14 3 19 61 63
名古屋グランパスエイト 22 2 16 76 64
FC岐阜 - - - - -
京都サンガF.C. 12 0 8 40 26
セレッソ大阪 16 0 8 53 28
ヴィッセル神戸 11 6 7 55 41
ファジアーノ岡山 - - - - -
サンフレッチェ広島 15 5 16 62 62
徳島ヴォルティス - - - - -
愛媛FC - - - - -
ギラヴァンツ北九州 - - - - -
アビスパ福岡 7 2 5 24 17
サガン鳥栖 - - - - -
ロアッソ熊本 - - - - -
大分トリニータ 9 0 5 26 16
横浜フリューゲルス 8 0 10 30 27
合計 265 57 256 1007 919

[編集] 相性

[編集] 国際試合

開催年月日 大会名 対戦相手 会場 スコア 勝敗
2006年3月8日 ACL2006グループリーグ 韓国の旗 全北現代モータース 全州ワールドカップ競技場 2-3 敗戦
2006年3月22日 ACL2006グループリーグ ベトナムの旗 ダ・ナン 万博記念競技場 15-0 勝利
2006年4月12日 ACL2006グループリーグ 中華人民共和国の旗 大連実徳 万博記念競技場 3-0 勝利
2006年4月26日 ACL2006グループリーグ 中華人民共和国の旗 大連実徳 大連市金州人民体育場 0-2 敗戦
2006年5月3日 ACL2006グループリーグ 韓国の旗 全北現代モータース 万博記念競技場 1-1 引分
2006年5月17日 ACL2006グループリーグ ベトナムの旗 ダ・ナン チラン・スタジアム 5-1 勝利
2006年8月2日 A3チャンピオンズカップ2006 中華人民共和国の旗 大連実徳 国立競技場 3-2 勝利
2006年8月5日 A3チャンピオンズカップ2006 韓国の旗 蔚山現代ホランイ 国立競技場 0-6 敗戦
2006年8月8日 A3チャンピオンズカップ2006 日本の旗 ジェフユナイテッド千葉 国立競技場 2-0 勝利
2008年2月20日 パンパシ選手権2008準決勝 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス・ギャラクシー アロハ・スタジアム 1-0 勝利
2008年2月23日 パンパシ選手権2008決勝 アメリカ合衆国の旗 ヒューストン・ダイナモ アロハ・スタジアム 6-1 勝利
2008年3月12日 ACL2008グループリーグ タイの旗 チョンブリーFC 万博記念競技場 1-1 引分
2008年3月19日 ACL2008グループリーグ 韓国の旗 全南ドラゴンズ 光陽専用球技場 4-3 勝利
2008年4月9日 ACL2008グループリーグ オーストラリアの旗 メルボルン・ビクトリー テルストラ・ドーム 4-3 勝利
2008年4月23日 ACL2008グループリーグ オーストラリアの旗 メルボルン・ビクトリー 万博記念競技場 2-0 勝利
2008年5月7日 ACL2008グループリーグ タイの旗 チョンブリーFC スパチャラサイ国立競技場 2-0 勝利
2008年5月21日 ACL2008グループリーグ 韓国の旗 全南ドラゴンズ 万博記念競技場 1-1 引分
2008年7月30日 スルガ銀行CS2008 アルゼンチンの旗 アルセナル 長居スタジアム 0-1 敗戦
2008年9月17日 ACL2008決勝T準々決勝 シリアの旗 アル・カラマ ハレド・ビン・ワリド・スタジアム 2-1 勝利
2008年9月24日 ACL2008決勝T準々決勝 シリアの旗 アル・カラマ 万博記念競技場 2-0 勝利
2008年10月8日 ACL2008決勝T準決勝 日本の旗 浦和レッズ 万博記念競技場 1-1 引分
2008年10月22日 ACL2008決勝T準決勝 日本の旗 浦和レッズ 埼玉スタジアム2002 3-1 勝利
2008年11月5日 ACL2008決勝T決勝 オーストラリアの旗 アデレード・ユナイテッド 万博記念競技場 3-0 勝利
2008年11月12日 ACL2008決勝T決勝 オーストラリアの旗 アデレード・ユナイテッド ハインドマーシュ・スタジアム 2-0 勝利
2008年12月14日 FCWC2008準々決勝 オーストラリアの旗 アデレード・ユナイテッド 豊田スタジアム 1-0 勝利
2008年12月18日 FCWC2008準決勝 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド 横浜国際総合競技場 3-5 敗戦
2008年12月21日 FCWC2008三位決定戦 メキシコの旗 パチューカ 横浜国際総合競技場 1-0 勝利
2009年3月10日 ACL2009グループリーグ 中華人民共和国の旗 山東魯能泰山 万博記念競技場 3-0 勝利
2009年3月17日 ACL2009グループリーグ 韓国の旗 FCソウル ソウルワールドカップ競技場 4-2 勝利
2009年4月8日 ACL2009グループリーグ インドネシアの旗 スリウィジャヤ 万博記念競技場 5-0 勝利
2009年4月21日 ACL2009グループリーグ インドネシアの旗 スリウィジャヤ ジャカ・バリン・スタジアム 3-0 勝利
2009年5月6日 ACL2009グループリーグ 中華人民共和国の旗 山東魯能泰山 山東省体育中心体育場 1-0 勝利
2009年5月20日 ACL2009グループリーグ 韓国の旗 FCソウル 万博記念競技場 1-2 敗戦
2009年6月24日 ACL2009ラウンド16 日本の旗 川崎フロンターレ 万博記念競技場 2-3 敗戦
2010年2月24日 ACL2010グループリーグ 韓国の旗 水原三星ブルーウィングス 水原ワールドカップ競技場
2010年3月10日 ACL2010グループリーグ 中華人民共和国の旗 河南建業 万博記念競技場
2010年3月23日 ACL2010グループリーグ シンガポールの旗 シンガポール・アームド・フォーシズ ジャランベサールスタジアム
2010年3月31日 ACL2010グループリーグ シンガポールの旗 シンガポール・アームド・フォーシズ 万博記念競技場
2010年4月13日 ACL2010グループリーグ 韓国の旗 水原三星ブルーウィングス 万博記念競技場
2010年4月27日 ACL2010グループリーグ 中華人民共和国の旗 河南建業 鄭州航海体育場

[編集] ダービーマッチ

[編集] 大阪ダービー

詳細は「大阪ダービー」を参照

  • ガンバ大阪 vs セレッソ大阪(1995年 - 2001年, 2003年 - 2006年, 2010年 - )

[編集] その他のダービー

詳細は「関西ダービー」を参照

ガンバ大阪 vs 京都サンガF.C.(1996年 - 2000年, 2002年 - 2003年, 2006年, 2008年 - )
ガンバ大阪 vs ヴィッセル神戸(1997年 - 2005年, 2007年 - )

[編集] 獲得タイトル

[編集] 国内タイトル

[編集] 国際タイトル

[編集] 表彰

[編集] アジアサッカー連盟(AFC)

[編集] Jリーグアウォーズ

[編集] ナビスコカップ

[編集] その他

[編集] チーム記録

[編集] 最多得点試合記録

J1リーグ戦
  • 7-1 【2004年10月2日 2nd第8節 vsセレッソ大阪(万博)】
  • 7-1 【2005年7月2日 第13節 vs東京ヴェルディ1969(万博)】
Jリーグカップ(ナビスコカップ)
  • 5-0 【1993年10月16日 グループリーグ第7節 vsサンフレッチェ広島(西京極)】
  • 5-2 【1998年5月23日 グループリーグ第2節 vsコンサドーレ札幌(万博)】
  • 5-3 【2005年5月21日 グループリーグ第3節 vs東京ヴェルディ1969(万博)】
  • 5-2 【2007年7月14日 準々決勝第2戦 vs浦和レッドダイヤモンズ(万博)】
天皇杯
  • 6-1 【2009年10月31日 3回戦 vs福岡大学(万博)】
AFCチャンピオンズリーグ(ACL)
  • 15-0 【2006年3月22日 グループリーグ第2節 対ダ・ナン(万博)】(ACLの最多得点タイ記録)

[編集] 最多失点試合記録

J1リーグ戦
  • 1-7 【1996年5月4日 第12節 vs柏レイソル(万博)】
Jリーグカップ(ナビスコカップ)
  • 1-7 【1994年8月3日 準決勝 vsヴェルディ川崎(瑞穂)】

[編集] 連勝記録

J1リーグ戦
  • 9連勝 【1997年8月9日 2nd第4節 vs清水エスパルス(日本平) - 1997年9月13日 第12節 vs横浜フリューゲルス(万博)】
AFCチャンピオンズリーグ(ACL)
  • 8連勝 【2008年10月8日 決勝T準決勝第2戦 vs 浦和レッドダイヤモンズ(埼玉) - 2009年5月6日 グループリーグ第5節 vs山東魯能泰山(山東)】

[編集] 無敗記録

J1リーグ戦
  • 13試合 【2007年4月22日 第7節 vsジュビロ磐田(万博) - 2007年8月11日 第19節 vsアルビレックス新潟(万博)】
ホーム
  • 25試合(20勝5分) 【2006年3月29日 第4節 vs大宮アルディージャ - 2007年8月11日 第19節 vsアルビレックス新潟】(J1史上最多タイ記録)
AFCチャンピオンズリーグ(ACL)
  • 19試合 【2006年5月3日 グループリーグ第5節 vs全北現代モータース(万博) - 2009年5月6日 グループリーグ第5節 vs山東魯能泰山(山東)】

[編集] 連敗記録

J1リーグ戦
  • 8連敗 【1995年5月10日 サントリー第15節 vs浦和レッドダイヤモンズ(大宮) - 1999年7月8日 第22節 vsヴェルディ川崎(万博)】

[編集] クラブ通算勝利記録

  • 初勝利 【1993年5月16日 サントリー第1節 vs浦和レッドダイヤモンズ(万博)】
  • 通算100勝 【1999年8月16日 2nd第4節 vs柏レイソル(万博)】
  • 通算150勝 【2002年11月16日 2nd第13節 vs浦和レッドダイヤモンズ(駒場)】
  • 通算200勝 【2006年4月15日 第8節 vs横浜Fマリノス(日産)】
  • 通算250勝 【2009年4月17日 第6節 vsモンテディオ山形(万博)】

[編集] 個人記録

[編集] 最年少試合出場

  • 17歳14日 - 宇佐美貴史【2009年5月20日 ACLグループリーグ第6節 vsFCソウル(万博)】

[編集] 最年少得点

  • 17歳14日 - 宇佐美貴史【2009年5月20日 ACLグループリーグ第6節 vsFCソウル(万博)】

[編集] シーズン最多得点

[編集] 最多出場

日本人選手
  • 295試合 - 宮本恒靖(1995年 - 2006年)【初出場:1995年6月24日 Jリーグサントリーシリーズ第19節 vs柏レイソル】
外国籍選手
  • 122試合 - シジクレイ(2004年 - 2007年)【初出場:2004年3月13日 1st第1節 vs鹿島アントラーズ】

[編集] 最多得点

日本人選手
外国籍選手

[編集] リーグ戦出場記録

※2009年12月6日現在。他チームでの出場も含む。

[編集] 連続試合得点

公式戦
  • 9試合
    • レアンドロ【2009年4月8日 ACLグループリーグ第3節 vsスリウィジャヤ - 2009年5月10日 J1リーグ第11節 vs柏レイソル】
J1リーグ戦
  • 6試合
    • エムボマ【1997年8月23日 2nd第7節 vsセレッソ大阪 - 1997年9月13日 2nd第12節 vs横浜フリューゲルス】
    • アラウージョ【2005年9月3日 第22節 vs東京ヴェルディ1969 - 2005年10月15日 第27節 vsヴィッセル神戸】
    • 播戸竜二【2006年8月27日 第20節 vs名古屋グランパスエイト - 2006年10月1日 第25節 vsヴァンフォーレ甲府】
    • レアンドロ【2009年4月12日 第5節 vs大宮アルディージャ - 2009年5月10日 第11節[8] vs柏レイソル】

[編集] ハットトリック

J1リーグ戦
  • 4得点
    • マグロン【2002年7月14日 1st第8節 vs清水エスパルス】
  • 3得点
    • 永島昭浩【1993年6月5日 サントリー第7節 vs名古屋グランパス】(日本人選手初のハットトリック)
    • 松波正信【1993年11月20日 NICOS第14節 vsジェフユナイテッド市原】(18歳364日のJリーグ最年少記録)
    • 山口敏弘【1994年4月6日 サントリー第7節 vsベルマーレ平塚】
    • プロタソフ【1995年6月28日 サントリー第20節 vs清水エスパルス】
    • エムボマ【1998年4月18日 1st第7節 vs柏レイソル】
    • ドロブニャク【1998年8月8日 1st第17節 vs横浜フリューゲルス】
    • 小島宏美【2000年4月22日 1st第8節 vsアビスパ福岡】
    • 大黒将志【2004年10月2日 2nd第8節 vsセレッソ大阪】【2004年11月6日 2nd第12節 vsアルビレックス新潟】【2005年4月23日 第7節 vsFC東京】
    • アラウージョ【2005年7月2日 第13節 vs東京ヴェルディ1969】【2005年9月10日 第23節 vsサンフレッチェ広島】
    • フェルナンジーニョ【2006年3月12日 第2節 vsセレッソ大阪】
    • マグノ・アウベス【2006年3月12日 第2節 vsセレッソ大阪】【2006年11月26日 第33節 vs京都パープルサンガ】
    • バレー【2007年9月1日 第24節 vs名古屋グランパスエイト】
Jリーグスーパーカップ(ゼロックススーパーカップ)
  • 3得点
    • マグノ・アウベス【2007年2月24日 vs浦和レッドダイヤモンズ】(スーパーカップ初ハットトリック)
天皇杯
  • 5得点
  • 3得点
    • ルーカス【2009年10月31日 3回戦 vs福岡大学】
AFCチャンピオンズリーグ(ACL)
パンパシフィックチャンピオンシップ
  • 4得点
    • バレー【2008年2月23日 決勝 vsヒューストン・ダイナモ(ハワイ)】(大会初ハットトリック)

[編集] 記念ゴール

J1リーグ記録
  • 通算100ゴール - 松波正信【1993年6月9日 サントリー第11節 vsサンフレッチェ広島(万博)】
  • 通算10,000ゴール - 前田雅文【2005年5月8日 第11節 vs名古屋グランパス(万博)】
クラブ記録
  • 第1ゴール - 和田昌裕【1993年5月16日 サントリー第1節 vs浦和レッドダイヤモンズ(万博)】
  • 通算500ゴール - 吉原宏太【2002年4月13日 第6節 vsFC東京(万博)】
  • 通算1,000ゴール - ペドロ・ジュニオール【2009年11月8日 第31節 vs京都サンガF.C.(万博)】

[編集] その他

[編集] 観客動員記録

[編集] 最多観客動員試合

J1リーグ戦
参考記録
  • 国立競技場
    • 46,880人【2007年1月1日 天皇杯決勝 vs浦和レッドダイヤモンズ】
  • 横浜国際総合競技場
    • 67,618人【2008年12月18日 FCWC準決勝 vsマンチェスター・ユナイテッド】

[編集] 最少観客動員試合

J1リーグ戦
  • 万博記念競技場
    • 2,720人【1999年4月28日 1st第9節 vs京都パープルサンガ】
  • 石川県西部緑地公園陸上競技場
    • 7,739人【2001年11月3日 2nd第13節 vsサンフレッチェ広島】

[編集] 年度別観客動員記録

年度 合計
動員数
最多
動員数
最少
動員数
平均
動員数
ホーム
試合数
備考
1993年 388,286 21,571 18
1994年 492,084 22,367 22
1995年 346,054 13,310 26
1996年 120,058 8,004 15 スタンドの増築
1997年 135,088 8,443 16
1998年 148,290 8,723 17
1999年 119,934 7,996 15
2000年 146,917 9,794 15
2001年 175,849 11,723 15
2002年 191,429 12,762 15
2003年 153,324 16,146 4,828 10,222 15
2004年 187,752 17,874 4,429 12,517 15
2005年 271,416 22,884 6,646 15,966 17 初のリーグ優勝
2006年 276,395 20,916 8,388 16,259 17 ゴール裏の改装
2007年 296,465 20,982 12,163 17,439 17
2008年 274,169 20,773 10,039 16,124 17
2009年 301,105 20,394 10,159 17,712 17
4,024,615 13,926 289
  • 合計動員数の太字はガンバ大阪歴代最高年間観客動員数

[編集] 下部組織

ガンバ大阪の下部組織は、初代監督 釜本邦茂が主催していたジュニアユースおよびジュニア年代のクラブチーム「釜本FC」が移行する形でJリーグ開幕前年の1992年に発足したものである[13]。当時のJリーグユースの実力は、高校サッカー部よりも圧倒的に劣るものだったが、1998年高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 では、大黒将志二川孝広らを擁して、高校サッカー部と互角に渡り合い準優勝の成績を収めたことは大いに注目を集めた。また、この前年にユースから昇格し、当時のJリーグ最年少出場記録を塗り替えてデビューした稲本潤一も話題になった。

その後も、ガンバ大阪の育成・普及部長を務めた上野山信行の指導の元、様々な大会で実績を残すだけなく、現在も多くのJリーガーや日本代表選手、さらには宮本恒靖、稲本潤一、大黒将志といった海外移籍した選手を輩出しているJリーグのクラブの中では数少ない実力と育成を兼ね備えた下部組織として知られている。

[編集] ユース

Jリーグ開幕当初から全国のクラブユースチームを代表するチームで、Jユースカップの優勝回数(4回)は最多である。

主な大会実績
  • 1992年 第16回日本クラブユースサッカー選手権 準優勝
  • 1994年 第2回Jユースカップ 優勝
  • 1995年 第19回日本クラブユースサッカー選手権 準優勝
  • 1995年 第3回Jユースカップ 3位
  • 1996年 第4回Jユースカップ 準優勝
  • 1997年 第21回日本クラブユースサッカー選手権 3位
  • 1997年 第5回Jユースカップ 3位
  • 1998年 第22回日本クラブユースサッカー選手権 優勝
  • 1998年 第9回高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 準優勝
  • 2000年 第8回Jユースカップ 優勝
  • 2002年 第10回Jユースカップ 優勝
  • 2005年 第29回日本クラブユースサッカー選手権 3位
  • 2005年 第13回Jユースカップ 3位
  • 2006年 第30回日本クラブユースサッカー選手権 優勝
  • 2006年 第17回高円宮杯全日本ユースサッカー選手権 3位
  • 2007年 第31回日本クラブユースサッカー選手権大会 優勝
  • 2008年 第32回日本クラブユースサッカー選手権大会 3位
  • 2008年 第16回Jユースカップ 優勝
  • 2009年 第17回Jユースカップ 3位

[編集] ジュニアユース

ジュニアユースは万博・門真の3ヶ所にスクールがあり、ユース同様様々な大会で実績を残している。

主な大会実績

[編集] トップチーム昇格者

詳細は「ガンバ大阪の選手一覧#下部組織出身者」を参照

[編集] ユニフォーム

ユニフォームの色
カラー シャツ パンツ ストッキング
FP(1st) 青×黒
FP(2nd)
GK(1st) 水色 水色 水色
GK(2nd) オレンジ オレンジ オレンジ
GK(3rd) 栗色 栗色 栗色
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
FP 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 1st
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 2nd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
 
GK 3rd
Team colours Team colours Team colours
Team colours
Team colours
国際試合・FP 1st

[編集] チームカラー

チームカラーは青色と黒色。ゲームシャツには1997年シーズンより青と黒の縦縞模様のデザインを使用している。これには1996年シーズン終了後に当時ガンバ大阪でプレーしていた礒貝洋光が縦縞模様への変更を提案したという経緯があるが、彼自身は1997年から浦和レッズへ移籍したため一度も着ることはなかった[13]

[編集] ユニフォームスポンサー

  • 公式戦(国内試合)
掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
パナソニック Panasonic 1992年 -
背中 ロート製薬 ROHTO 2003年2nd -
ゼンショク でん 2001年2nd -
パンツ なし
  • 国際試合
掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考
パナソニック Panasonic 2008年 -

AFCチャンピオンズリーグに出場した際には胸のスポンサー1社以外認められないため、パナソニック以外のスポンサーマークを取り除いたユニフォームを使用。本来、ロート製薬のスポンサーマークがついている背中部分には選手名が記されている。

[編集] エピソード

  • 1992年のナビスコカップから1996年のシーズン終了までは背番号の下に「Matsushita Electric Industrial Co., Ltd.」ないしは「Panasonic/National」のクレジット、1997年 - 2003年ファーストステージまで背番号上部に"National"のロゴマークを入れていたが、同社の世界ブランドネームをパナソニックに統一することに伴いそのロゴを外すことになり、代って2003年セカンドステージからロート製薬が背番号スポンサーとなった。
  • ロート製薬は、2004年夏季にロゴが変更されたがそのシーズンは旧ロゴのままで試合を行い、2005年度から新ロゴを着用している。
  • 2006年シーズンは、2005年のJ1リーグ年間優勝チームであるため、日本サッカー協会のシンボルである八咫烏の付いたチャンピオンマークが右袖についていた。
  • 2006年まで、フィールドプレーヤーの3rdユニフォームを採用していたが、2007年シーズンからは廃止となった。
  • 2005年にリーグ優勝したことで、翌シーズンより左胸のエンブレム上に星がつけられ、さらに2007年のナビスコカップ、2008年度、2009年度の天皇杯の優勝を含め現在4つの星がついている。また、2008年のAFCチャンピオンズリーグ優勝により、国際試合ユニフォームにも星がつけられている。
  • 2009年の国際試合ユニフォームは、前年のAFCチャンピオンズリーグ優勝により、数字を金色にしていた。

[編集] ユニフォームサプライの遍歴

[編集] 歴代ユニフォームスポンサー年表

年度 背中 パンツ サプライヤー
1992年 Panasonic - - - Mizuno/adidas
1993年 Panasonic - - - Mizuno/adidas
1994年 Panasonic - - - Mizuno/adidas
1995年 Panasonic - - - Mizuno/adidas
1996年 Panasonic - - - Mizuno/adidas
1997年 Panasonic - National - adidas
1998年 Panasonic - National - adidas
1999年 Panasonic - National - le coq sportif
2000年 Panasonic - National - le coq sportif
2001年 Panasonic でん (2nd) National - le coq sportif
2002年 Panasonic でん National - le coq sportif
2003年 Panasonic でん National (1st)
ROHTO (2nd)
- UMBRO
2004年 Panasonic でん ROHTO - UMBRO
2005年 Panasonic でん ROHTO シャディ(8月から) UMBRO
2006年 Panasonic でん ROHTO シャディ UMBRO
2007年 Panasonic でん ROHTO MIDORI UMBRO
2008年 Panasonic でん ROHTO MIDORI UMBRO
2009年 Panasonic でん ROHTO - UMBRO
2010年 Panasonic でん ROHTO - UMBRO

[編集] スポンサー

  • 2010年2月現在

[編集] トレーニングウェアスポンサー

[編集] オフィシャルサプライヤー

[編集] スペシャルスポンサー

[編集] オフィシャルスポンサー

[編集] 協賛スポンサー

[編集] 公式ホームページ運営パートナー

  • オフィスセンティリオン
  • フューチャースピリッツ

[編集] クラブ応援番組

1993年から1996年3月までの間、テレビ大阪で「ガンバレ!GAMBA」という5分のミニ番組が放送されていたが、それ以来、在阪民放局(各社はセレッソ大阪の出資企業である)がスポンサーについていないことが理由なのか、テレビ番組ではケーブルテレビ局・J:COMの関西地区各局で2009年12月まで放送されていた「GAMBA EX」しかなかった。2009年9月28日から、地上波での久々の応援番組としてMBSにて月曜深夜に「GAMBA TV〜青と黒〜」(司会・たむらけんじ)が放送されている。

[編集] 脚注

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  1. ^ a b c d e f 2008年度Jクラブ個別情報開示資料PDF
  2. ^ クラブハウス - ガンバ大阪オフィシャルサイト
  3. ^ クラブ概要 - ガンバ大阪オフィシャルサイト
  4. ^ Jリーグニュースプラス Vol.2 - Jリーグ公式サイト、2008年4月
  5. ^ a b 『ガンバ大阪オフィシャルイヤーブック 2009』 102頁
  6. ^ 第2回 サポーターミーティング - ガンバ大阪オフィシャルサイト
  7. ^ 川淵三郎『虹を掴む』講談社、2006年 ISBN 978-4062126762
  8. ^ a b 第10節 川崎フロンターレ戦はACL出場の為、7月1日に実施。
  9. ^ G大阪、新スタジアム構想を発表=Jリーグ - 時事通信、2009年7月11日
  10. ^ a b c 【Jリーグ】G大阪、サポーターに30億円寄付募る 新スタジアム建設費 - MSN産経ニュース、2009年7月11日
  11. ^ ワールドカップ開催地自治体立候補の正式申請について - 吹田市
  12. ^ ガンバスタジアム、2012年度完成暗雲…吹田市、費用負担せず - 読売新聞、2010年2月6日
  13. ^ a b 『ガンバ大阪15年史』ベースボール・マガジン社、2007年 ISBN 978-4583614632

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク