コンセール・パドルー

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パドルー管弦楽団から転送)

コンセール・パドルーConcerts Pasdeloup)は、1861年に始まるフランス最古の、パリのコンサート・オーケストラである。ジュール・パドルーコンセール・ポピュレールConcerts populaires)として創設した。コンセール・ラムルーコンセール・コロンヌとともに、パリ3大民間オーケストラの一角を占める。

歴史[編集]

このオーケストラには、1884年から1918年まで、30年以上の休止期間がある。

コンセール・ポピュレール[編集]

パリ音楽院の卒業後に母校で教え、また「音楽院の若い芸術家協会」(Société des jeunes artistes du Conservatoire)を作り演奏活動を続けていたジュール・パドルー1861年、80人からなるコンセール・ポピュレール(クラシック音楽大衆演奏会、Concerts populaires de musique classique)を組織し、10月27日の日曜日、初のコンサートを開いた。

コンセール・ポピュレールは大衆のためのオーケストラとして、コンサートホールではなく5000人を収容するサーカス場「シルク・ナポレオン」(1852年オープン。1870年以降は「冬のサーカス」(シルク・ディヴェール、Cirque d'hiverと呼ばれる)を会場とし、入場料を安くしたので、それまでクラシック音楽と縁のなかった人々にも休日にオーケストラのコンサートに通う選択肢が生まれ、結果としてクラシック音楽の愛好者を大幅に増やすことになった。

また、クラシックに馴染みがなかった聴衆のために、ベートーヴェンメンデルスゾーンハイドンモーツァルトウェーバーを中心としたドイツの古典音楽をプログラムの基本とする一方、サン=サーンスビゼーブラームスワーグナーグリンカチャイコフスキーら、当時の作曲家の作品を紹介した。

しかし、このコンセール・ポピュレールは、後発のコンセール・コロンヌ1873年設立)やコンセール・ラムルー1881年設立)に押され、1884年に活動を停止した。

コンセール・パドルー[編集]

世紀が明け、第一次世界大戦が終わった1918年、映画企業家セルジュ・サンベール(Serge Sandberg)が、このオーケストラを復活し、ルネ=バトン(Rhené-Baton)へ指揮をゆだねた。演奏会場は、まず昔のサーカス小屋、それからガルニエ宮、マガドール劇場(Théâtre Mogador)、シャイヨ宮シャンゼリゼ劇場サル・プレイエルと移り、1921年からコンセール・パドルーを名乗った。

楽員数は95。コンセール・ポピュレール時代の日曜日でなく、月に1 - 2度の土曜の午後、コンサートを開いている。会場は、サル・プレイエル、シャトレ座、あるいはサル・ガヴォーである。

常任指揮者[編集]

おもな初演作品[編集]

コンセール・ポピュレール時代[編集]

コンセール・パドルー時代[編集]

関連項目[編集]

出典[編集]

  1. ^ 服部正 『広場で楽隊を鳴らそう』平凡社, 1958年, p111

参考文献[編集]

  • 岸辺成雄『音楽大事典』(平凡社、1983年)

その他、ウェブ情報など

外部リンク[編集]