パテック・フィリップ

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パテック・フィリップの腕時計
創業者の一人アントーニ・パテック

パテック・フィリップ(Patek Philippe)とは、19世紀に2人の亡命ポーランド人アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック(アントーニ・パテック)とフランソワ・チャペック(フランチシェック・チャペック)によって創業された、スイスの有名な高級時計メーカーである。

ヴァシュロン・コンスタンタンオーデマ・ピゲとともに世界三大高級時計メーカーの一つとして数えられている[1]。その中でもパテック・フィリップは頭一つ抜け出た存在として扱われているという主張もある[2]

以前はカルティエティファニー、ギュブラン (Guberin ) 、ゴンドーロ・ラブリオ等宝石店向けに製品を納入していた。

かつては全ての製品がジュネーヴシールの認証を受けており(ただし、パテック・フィリップの腕時計に関してはほぼ無条件に認証を受けることができたようである)、認証を受けた製品のうち95%以上が同社の製品であるという時期もあったようだが、現在は独自の認証である「パテック・フィリップ・シール」がジュネーヴ・シールにとって替わった。[3]

世界一高価な腕時計を販売するマニュファクチュールとしても知られている。

目次

[編集] 著名なユーザー

ヴィクトリア女王ヴィルヘルム1世ヨシフ・スターリンリヒャルト・ワーグナーピョートル・チャイコフスキーヴィルヘルム・フルトヴェングラーレフ・トルストイアレクサンドル・プーシキンウォルト・ディズニークラーク・ゲーブルは顧客である。[4]

今上天皇昭和天皇大正天皇徳川昭武フランツ・リストアルベルト・アインシュタインシャーロット・ブロンテマリ・キュリーエラ・フィッツジェラルドらも顧客であるとされる。 エラ・フィッツジェラルドが1958年にRef.2452を購入したことは事実である。[5]

特にヴィクトリア女王が1851年にブローチ型の懐中時計を購入したことにより、世界の名だたる名士が購入したとされる。[6]

[編集] 歴史

  • 1811年4月4日 - 創業者フランティシェック・チャペック (František Čapek ) がボヘミアで現在はヤロミェジ (Jaroměř ) の一部であるセモニツェ (Semonice ) 村に産まれた。後に時計職人としてポーランドワルシャワに移住し、帰化してフランチシェック・チャペック (Franciszek Czapek ) とポーランド風に名乗った。
  • 1812年7月12日 - 創業者アントーニ・パテック (Antoni Patek ) が「プラヴジツ (Prawdzic ) 紋章」を持つポーランド貴族(シュラフタ)としてポーランドルブリン市近郊のピャスキ・ルテルスキェ (Piaski Luterskie ) に産まれた。
  • 1815年 - ジャン・アドリアン・フィリップ (Jean Adrien Philippe ) が時計師の息子としてフランスのラ・バゾシュグエ(La Bazoche-Gouet)に産まれた。
  • 1821年頃 - アントーニ・パテックが10歳の時両親とともにワルシャワへ移った。
  • 1828年 - アントーニ・パテック、16歳でポーランド陸軍に入隊、「第1騎馬ライフル連隊」に配属され訓練を受けた。
  • 1830年 - アントーニ・パテックフランチシェック・チャペックがポーランド人による対ロシア帝国11月蜂起に参加した。アントーニ・パテックはロシア軍を相手の戦闘における英雄的活躍により少尉に昇進、「8月1日旅団」の副官にまで昇格した。1831年の10月にはその功績が認められポーランド軍最高の栄誉である「ヴィルトゥーティ・ミリターリ勲章」 (Virtuti Militari ) を授与された。同時期、フランチシェック・チャペックはポーランド人の民兵組織である「ポーランド国民衛兵」の兵卒としてワルシャワでロシア軍を相手に戦った。
  • 1832年 - アントーニ・パテック、ロシア軍が制圧したポーランドから亡命。このときポーランド軍のユーゼフ・ベム将軍直々に実力を認められ、ポーランド軍がその脱出ルート上に設置した5箇所のポーランド軍部隊終結地点のうちの1つ、ミュンヘン近郊のバンベルクにあったポーランド軍陣地の司令官に任命された。フランスへ到着後しばらくはポーランド軍亡命将校としてフランス側につき各地を転戦し、その後軍を離れてアミアンに定住し植字工となり、このころより自らをアントワーヌ・ノルベール・ド・パテック (Antoine Norbert de Patek ) とフランス風に名乗るようになった。同時期に同様に亡命生活を送っていたフランチシェック・チャペックスイスジュネーヴに定住をはじめると自らをフランス風にフランソワ・チャペック (François Czapek ) と名乗るようになった。
  • 1835年頃 - アントワーヌ・ノルベール・パテックフランソワ・チャペックがロシア帝国のフランスに対する政治的圧力によりスイスジュネーヴに移住させられる。その後パリへ旅に出て得た経験から高級懐中時計の販売を始めた。
  • 1839年5月1日 - アントワーヌ・ノルベール・パテックフランソワ・チャペックが共同で事業を開始することで同意し、同郷であるポーランド人時計製造業者のヴァヴジニェツ・ゴストコフスキヴィンセンティ・ゴストコフスキヴワディワフ・バンドゥルスキの財政援助を得て「Patek, Czapek & Cie」を創業、これより1850年ごろまでポーランドの歴史と文化に関連したデザインの時計をオーダーメイドのみで製造した。
  • 1842年 - ジャン・アドリアン・フィリップが現在非常に一般的である「リューズによる巻き上げ、時刻合わせ」の機構を発明した。
  • 1843年5月29日 - アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックがジュネーヴ市民となった。
  • 1844年 - アントワーヌ・ノルベール・ド・パテックは自社製品をパリの博覧会に出品するためパリに赴き、ジャン・アドリアン・フィリップと出会った。「リューズ巻き上げ、時刻合わせ」の機構に感銘を受け、意気投合した。
  • 1845年5月1日 - ジャン・アドリアン・フィリップが入社、社名を「Patek & Cie」に変更。パテック・フィリップ初のミニッツリピーターを製作。フランツ・リストシャーロット・ブロンテレフ・トルストイがポケットウォッチを購入。
  • 1845年5月17日 - フランソワ・チャペックが退社。
  • 1849年 - アメリカのティファニーに時計供給を始めた。
  • 1851年1月11日 - 社名を「Patek & Cie」から「Patek & Philippe Cie」に変更。
  • 1851年 - クリスタルパレスで開催された最初のロンドン万国博覧会に出品、8月18日ヴィクトリア女王がリューズ巻上げ・時刻合わせ式の18金ペンダントウォッチを購入。
  • 1854年 - 本社が現在地Quai General Guisanに移った。
  • 1867年6月26日 - ピウス9世が18金ケースクォーターリピーターのポケットウォッチ[7]を購入。裏蓋には教皇の紋章と両側に月桂樹が七宝で描かれている。
  • 1877年5月1日 - アントワーヌ・ノルベール・ド・パテック死去。
  • 1877年 - ピョートル・チャイコフスキーがルイ15世スタイルのクォーターリピーターポケットウォッチを購入。
  • 1891年1月 - ジャン・アドリアン・フィリップが経営を息子のジョセフ・エミール・フィリップに譲って退社。
  • 1894年1月5日 - ジャン・アドリアン・フィリップ死去。
  • 1895年頃 - マリ・キュリーがジュネーヴ芸術協会からペンダントウォッチを授与された。
  • 1907年 - ジョセフ・エミール・フィリップ死去、その息子アドリアン・フィリップが会社の経営を引き継いだ。
  • 1908年 - 現在の本社ビルが完成。
  • 1915年 - アルベルト・アインシュタインがポケットウォッチを購入。
  • 1927年4月6日 - パッカードの創業者の一人ジェームズ・ウォード・パッカード (James Ward Packard ) に「パッカードウォッチ」を12,815スイスフランで売却。
  • 1929年 - 世界大恐慌の影響で経営が悪化し文字盤製造業者のジャン・スターン (Jean Stern ) とシャルル・スターン (Charles Stern ) 兄弟が資本参加した。
  • 1932年6月14日 - スターン兄弟に買収され、アドリアン・フィリップが経営から退く。ジャン・フィスター (Jean Pfister ) が社長に就任。ドレスウォッチの傑作リファレンス96を発売。
  • 1933年1月19日 - ヘンリー・グレーブス・ジュニア (Henry Graves Jr. ) からティファニーを通じて「史上一番複雑な時計」を受注し24機能の複雑時計「グレーブス・ウォッチ」を製作、60,000スイスフランで売却した。
  • 1948年 - エレクトロニクス部門設立。
  • 1949年5月15日 - ジャイロマックス・テンプの特許取得。スイス特許番号261431。
  • 1951年12月31日 - ジャイロマックス・テンプの特許取得。スイス特許番号280067。
  • 1956年 - 全電気式クォーツ時計を製作。
  • 1958年 - ジャン・フィスターが定年退職、シャルル・スターンの息子で1936年以来ニューヨーク支店長だったアンリ・スターンが社長に就任。
  • 1966年8月6日 - 現在の社名である「Patek Philippe S.A.」に改名(スターン兄弟に買収された1932年説もある)。
  • 1968年 - 「エリプス」シリーズ発売。最初のモデルはRef.3548。
  • 1976年 - ジェラルド・ジェンタデザインによる「ノーチラス」シリーズ発売。最初のモデルはRef.3700/1。
  • 1978年 - アンリ・スターンの息子フィリップ・スターンが社長就任。
  • 1988年 - 「パッカード・ウォッチ」を買い戻した。
  • 1989年 - 「キャリバー89」を発表。
  • 1993年 - 「ゴンドーロ」シリーズ発売。最初のモデルはRef.4824。
  • 1999年12月 - サザビーズ・オークションにて「グレーブス・ウォッチ」が1個の時計としては史上最高値の11,002,500ドルで落札された。
  • 2000年10月5日 - 西暦2000年を記念し21機能、パーツ数1118個の複雑時計「スターキャリバー2000」が発表された。ハーフハンター・ケース、ダブル・フェイス・ポケットウォッチ。ケース素材違いの4個が1セットで価格は7,500,000ドル。毎年1セットずつ5セットが製造された。
  • 2002年4月 - アンティコルム・オークションにてルイ・コティエ (Louis Cottier ) が考案した方式の1949年製ワールドタイムが腕時計としては史上最高値、当時の日本円で約4億8000万円で落札された。
  • 2010年5月11日 - クリスティーズがスイスのジュネーヴで開いた腕時計のオークションで、1943年製のカレンダー・クロノグラフリファレンス1527(ワンオフ品)が、競売に出された黄金の腕時計として史上最高値、腕時計全体でも歴代2位の約626万スイスフラン(約5億2200万円)で落札された。

[編集] 著名な製品一覧

[編集] Ref.96

1932年に発売されたカラトラバモデル。デヴィッド・ペニーのデザイン。パテック・フィリップの製品の中でも特にデザインが優れていることで著名なロングセラーである。バウハウスのシンプルなデザイン哲学に基づいて文字盤やケースなどはデザインされており、スモールセコンドを配したシンプルな3針モデル。Ref.ナンバーから日本では「クンロク」の愛称で呼ばれている。キャリバーは時代に応じてCal.12、Cal.12-120、Cal.12-400、Cal.27-AM400などが使用されている。一般には1967年まで生産されたことになっているが、製造番号からさらに後まで生産された[8]ことが判明している。ケース径32mm。初代Ref.96が販売中止された後もCal.215をφ31mmケースに入れたRef.3796、1995年発売でCal.215をφ33mmケースに入れたRef.5096、2004年バーゼルフェアで発表されCal.215をφ37mmケースに入れたRef.5196など96のデザインを引き継いだ時計が販売され続けている。

[編集] Ref.130

シンプルな2レジスタークロノグラフ。直径33mm。キャリバーはCal.13。

[編集] Ref.1450

21×35mmの角形時計。帽子をかぶったような特徴的なケース形状から「トップハット」と俗称される。キャリバーはCal.9-90。

[編集] Ref.1518

パーペチュアルカレンダー、ムーンフェイズ、クロノグラフ機能を持つφ35mmの複雑時計。キャリバーは13Q。1941年から1954年までに281個が製造された。2010年5月11日のクリスティーズオークションで競売に出された黄金の腕時計として史上最高値、腕時計全体でも歴代2位の約626万スイスフラン(約5億2200万円)で落札された。

PATEK PHILIPPE Complicated Wrist Watch によると、この時落札されたものはOne Off(前記書籍文中ママ)のRef.1527(クリスティーズHP参照のこと)であり、Ref.1518が約626万スイスフランで落札されたわけではない。Ref.1518とRef.1527の違いはケースにあり、長く曲がったラグとほんの少しではあるがリューズガード様になった右側面で判断できる。 Ref.1518が高額であることは間違いではないがYGケースで5億円を超えることは各オークションリザルトを見ても2011年現在のところ考えにくい。

[編集] Ref.1526

リファレンス1518からクロノグラフを省略した型。キャリバーはCal.12-120Q。1942年から1952年までに210個が製造された。

[編集] Ref.1593

22×32mmの角形時計。「フレアード」と俗称される。キャリバーはCal.9-90。

[編集] Ref.2451

二重構造のケースでダストプルーフ(防塵構造)を実現し、アウターケースは、パテック・フィリップでは珍しいスクリューバック方式を採用。ケースの素材にはイエローゴールド、ピンクゴールド、プラチナのメジャーな素材以外に、パテック・フィリップにおいては極めて珍しいステンレスのモデルがある。ケースはφ30mm。キャリバーは手巻きのCal.10-200。

[編集] Ref.2526

強い日差しにも焼けないよう白七宝製文字盤を使用していることから、カメラの熱帯仕様にちなんで「トロピカル」と俗称されている。ケースはφ35mm。キャリバーはCal.12-600AT。

[編集] Ref.2499

リファレンス1518の後継で、ケースデザインが近代化された。φ38mm。派生型を含め1950年から1985年までに349個[9]製造された。1960年にクロノグラフのプッシュボタンが角型から丸型に変更された。1978年以降はサファイアクリスタルに変更された2499/100である。特殊な派生型としてインテグラルケースに収められた2499/101が4個以下存在する。

[編集] キャリバー89

創業150周年を記念して製作された33機能の複雑時計。基本計算、基本設計は1980年に開始され、作動する試作品は1988年7月、製品は1989年4月に完成した。直径88.2mm、ガラスを除いた厚み36.55mm、ガラスを含んだ厚み44.07mm、ケースのみの重量500g、総重量1,100g。1278個のパーツが洋銀製プレート3枚に4層になって組まれている。126石。ガラス、ディスクはサファイア・クリスタル製。文字盤は14金に銀蒸着が施してある。

18金イエローゴールドケースに収められた試作品の他18金イエローゴールド、18金ローズゴールド、18金ホワイトゴールド、プラチナのケース素材違いで4個が製作され、1989年4月9日のアンティコルム・オークションにイエローゴールドモデルが出品されて4,500,000スイスフランで落札された。2004年4月のアンティコルム・オークションにも出品され、6,600,000スイスフランで落札されている。試作品はパテックフィリップミュージアムにある。

[編集] 脚注

  1. ^ 並木浩一『腕時計一生もの』光文社新書刊、210項
  2. ^ 並木浩一『腕時計一生もの』光文社新書刊、210項
  3. ^ 並木浩一『腕時計一生もの』光文社新書刊、210項
  4. ^ 「至高の時計メーカー パテック フィリップ」(パテック フィリップ大図鑑 P4 図上 1998年10月5日)
  5. ^ 「ジャズ・ボーカリスト エラ・フィッツジェラルドが贈った時計」(パテック フィリップ大図鑑 P25 1998年10月5日)
  6. ^ 「至高の時計メーカー パテック フィリップ」(パテック フィリップ大図鑑 P4 1998年10月5日)
  7. ^ ケースNo.27033。
  8. ^ 例えば1971年に生産された個体がある。
  9. ^ うちプラチナケースが2個。

[編集] 外部リンク

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