パオラ・ルッフォ・ディ・カラブリア

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パオラ・ルッフォ・ディ・カラブリア
Paola Ruffo di Calabria
ルッフォ家
HM Queen Paola, Princess of Belgium.jpg
パオラ王妃(2006年)
称号 ベルギー王妃
全名 Paola Margherita Maria Antonia Consiglia
パオラ・マルゲリータ・マリア・アントーニア・コンシグリア
出生 1937年9月11日(77歳)
イタリア王国の旗 イタリア王国フォルテ・デイ・マルミ、ヴィラ・クラウディア
配偶者 アルベール2世
子女 フィリップ
アストリッド
ロラン
父親 フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア
母親 ルイーザ・ガゼッリ・デイ・コンティ・ディ・ロッサーナ
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パオラ・ルッフォ・ディ・カラブリアイタリア語: Paola Ruffo di Calabria, 1937年9月11日 - )は、ベルギー国王アルベール2世の王妃。

経歴[編集]

幼少期[編集]

空軍のエースだったイタリア貴族フルコ・ルッフォ・ディ・カラブリア公とその妻ルイーザの三女として、イタリアフォルテ・デイ・マルミで生まれた。幼少時代をローマで過ごし、1946年に父を亡くした。ギリシャ=ラテン文学を学び、イタリア語英語フランス語を話すことができる。

リエージュ公妃[編集]

1969年撮影

1958年ローマ教皇ヨハネ23世の即位の式典のために、ベルギー国王の使者としてローマに来たリエージュ公アルベール王子と出会った。2人は1959年7月2日ブリュッセルで結婚し、バルヴェデール宮殿で暮らし始めた。2人の間には、フィリップ王子、アストリッド王女、ロラン王子の3子が生まれたが、アルベールとの結婚生活は決して順調ではなく、共に愛人の存在があったり、長い期間別居していたために、離婚の調停が進んでいるという噂も起こった。

1970年代の終わりには、2人の結婚生活は危機を乗り越えた。しかし、王位継承権が第1位であったアルベールの妃であるにもかかわらず、パオラは公の場に姿を現すことが少なく、公的な役割を十分に果たすことをせず、公衆の前でスピーチをすることは決してなかった。パオラは宮殿内に安らぎを求め、ガーデニングインテリアなどに興味を持った。

ベルギー王妃[編集]

1993年8月9日に、アルベールはアルベール2世として国王に即位し、パオラは55歳にして王妃となった。パオラの父方の祖母はブリュッセル出身のベルギー人であり、ベルギー人の血を引く初めての王妃であった。

ベルギー王室
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